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今、自分がすべきことは何か…MF三好康児、強くなる「サッカーをしたい」思い

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アントワープMF三好康児

 昨年8月にベルギーのアントワープへと期限付き移籍したMF三好康児。初の海外挑戦から続く東京五輪へと向かう道は、自身にとって大きな1年となるはずだった。しかし、新型コロナウイルスの影響でシーズンは途中で終了を迎え、目標の一つとしていた東京五輪は1年の延期が発表された。自由にサッカーボールを蹴れない状況が続く中、23歳を迎えた男は何を思うのか――。

(取材は5月13日にオンラインで実施)


サッカーが再開した後も
この活動を継続していきたい


――新型コロナウイルスの影響を受けてベルギーリーグが中断し、4月あたまに帰国したようですが、その後はどのように時間を過ごしていますか。
「個人トレーニングとトレーナーの方と一緒にするトレーニングを織り交ぜながら体を動かしています。運動量をできるだけ維持できるようなメニューを意識しているし、チームにアプリで毎日報告することになっているので体重管理等もしっかりできている。再開の時期が分からず、この先のことは分からない部分が多いけど、気持ちの部分を切らさないようにしていて、毎日、淡々とトレーニングするよりも、どこかの部分を鍛えていくことを意識したり、目標を持ってトレーニングに打ち込んでいます」

――人と直接会う機会が少ない中、帰国後には「#つなぐ」プロジェクトのオンライン上トークイベントで、子供たちと触れ合う機会がありました。
「普段、大人数の子供たちと話せる機会は限られています。僕の地元のチームを対象にしたときのイベントでは100人くらいが参加してくれて、どういった反応を実際にしてくれているのか、自分が話す内容が良いのか悪いのか分からない部分もありました。ただ、子供たちからいろいろな質問を受けたり、彼らの近況を聞くことで、こういう時期に小学生には何が必要なのか、自分が今すべきことは何なのかを改めて考える良い機会になった。そして、子供たちが楽しんでくれたと聞いているので、触れ合う機会があって本当に良かったと思うし、サッカーが再開した後もこういう活動を継続していきたいと感じています」

――子供に刺激を与えるだけでなく、ご自身も新たな刺激を受けたようですね。
「自分が子供の頃はそういう機会が少なかったけど、今はオンラインも積極的に使えるので、こういう時期でも触れ合うことは可能です。小学生の頃にプロ選手と少しでも関わったことは、彼らの記憶に少しは残ると思う。たとえ、いつも応援しているチームの選手ではなかったとしても、『小さい頃にあの選手と話をしたな』と思い出してもらえるだけでもいいし、『あの時、あの選手がああいうことを言っていたな』『言われたことをやったらプロに近付けるかもしれないな』『教えられたことを少しでもやってみよう』と思ってもらえるだけでもいい。僕としても自分がどう見られているか感じられたし、応援して下さっている人たちがいると再認識できた。応援してくれる人たちと顔を合わせて話をできたのは嬉しかったし、元気をもらえたので、またプレーを見てもらえるのを楽しみにしたいですね」

――「#つなぐ」プロジェクトには積極的に参加されているようですが、今後はどのようなことを伝えていきたいですか。
「元々、形で恩返しできればと思っていたので、こういう状況だからこそ、何かできればという気持ちが強くなりました。今は自分たちが少しでもできることを考えながら行動していくことが大事だと思っています。サッカーをしたい気持ちはもちろんありますが、サッカー以前に生活することを支えてくれている人たちがいるので、そういう方々に対して自分たちができることで支援していきたい。あと、トークイベントでは、小学校でサッカーをしている選手やプロを目指している選手と話す機会が多いので、できるだけ自分の経験や小学生のときにしていたことなどを話したり、ここまでどういう目標を立ててサッカーをしてきたかなど、自分なりのものが伝えられればと思っています」

――「ボールを思い切り蹴りたい」「サッカーをしたい」という思いも強くなっていると思います。
「人と話せば話すほど直接会いたくなるし、サッカーのことを話せば話すほどサッカーをやりたくなりますね。皆もそうだと思うけど、何かをしたいという気持ちは強くなると思う。僕の場合はサッカーですが、自分が何をしたいのかという思いを再確認できる時期でもあるのかなと感じています。ただ、今は自分がしたいことができないのは仕方がない状況だと思っているので、気持ちを切らさないようにトレーニングを続けるだけでなく、プロジェクトを通じて触れ合う人たちとお互いに刺激を与えられるようにしていきたいです」


ベルギーでは外国人選手としてプレー
日本以上に感じたプレッシャー


――昨年9月からベルギーのアントワープでプレーしていますが、食事面など海外での生活はいかがでしたか。
「一人暮らしなので基本的に自炊をしていましたが、小林祐希くん(ベフェレン)が近くに住んでいたので、たまにごちそうになっていました。でも、日本にいたときも一人暮らしをしていたので大きな変化は感じません。言葉は違うけど、とても住みやすい街だし、食べ物も違うところはあるけど、日本食が手に入らないこともなかった。お米が好きなので、お米に合うようなものしか作っていませんでしたが、簡単なのでガパオライスとか得意になりましたよ。クックパッドを見てしっかり作っているので、料理の知識も増えているし、大した実力ではないけど料理の腕も上達していると思います」

――コミュニケーションの部分では苦労もあったと思います。
「チームには14か国くらいから選手が集まっていて、僕は英語しか話せないので、100パーセントの意思疎通ができるわけではないと思う。でも、伝えたいことはジェスチャーを交えて話して、話していることを何とか聞き取れています。言葉はもちろん大事だし、もっとコミュニケーションをとれるように努力しているけど、ベルギーに行った頃はまずはプレーで見せるしかないと思っていた。サッカー選手である以上、練習の中からプレーで見せていくことを一番に考えていたので、コミュニケーションの部分でそんなに困ったことはないかもしれません」

――一昔前は日本人選手には練習中でもなかなかパスが回ってこないという話も聞いたことがありますが。
「日本人だからということはないけど、シンプルにパスが出てこない、誰からも(笑)。選択肢として自分がボールを運ぶことを優先していると思うので、僕に限らず、最初からパスを簡単にもらえるわけではない。でも、本当にボールを受けられる位置に顔を出したり、しっかりと要求して『パスを出した方がいいぞ』と思わせることを練習で重ねることで、自然とボールをもらえるようになりました」

――デビュー戦で奪ったゴールは大きなアピールになったと思います。
「チームに溶け込みやすくなった大きな要因の一つだと思うし、自分のことをチームメイトや監督、スタッフ、そしてサポーターに印象付けることはできたと思うけど、あのゴールで状況がガラッと変わって、ずっとスタメンで起用してもらえたかと言われたら、そうではない。すべてが変わったわけではないので、与えられたチャンスの中でしっかりと自分のプレーを出すように意識してきましたね」

――移籍直後は「僕は無名で自分のことを知っている選手や監督は、なかなかいない」と話していましたが、シーズンを通してプレーすることで当時とは違う感触も得られたのでは?
「ケガもあったし、納得のいくシーズンにはできなかったので、そのときの言葉は覆せていません。でも試合を重ねる中で自分の特長を出せるようになってきた手応えもあったし、自分のことを少しずつ理解してきてもらえていたと感じています。だから、欲を言えば、仕方のないことですけど、この中断期間がなければ…。10試合以上は残っていたので、最後に自分のプレーをもっともっと見せられたのかも…という気持ちはありますね」

――Jリーグとの違いを特に感じた部分はありますか。
「ベルギーでは外国人選手としてプレーするので、それだけ結果を求められます。結果を残せなければ、すぐにベンチに座ることになるし、ベンチ外になってしまうので、そういう部分でのプレッシャーは日本でプレーするとき以上のものを感じました。でも、逆に少しでも結果を残したり、チームに貢献するプレーができれば周りが認めてくれることを肌で感じられたので、達成感や手応えは感じやすいのかもしれません。僕はベルギーリーグで初めてプレーする日本人選手ではなかったし、先輩方がいろいろな国でプレーして結果を残してきたので、日本人選手のイメージはベルギーでは特に良いものがあったと思う。自分の仕事をこなしながら、チームのために戦えるというのは日本人の良さだと思われていたので、プレーしやすい環境だったと感じています」

――プレー面でも違いを感じる部分はあったと思います。
「いろいろな特長を持った選手がいるのはベルギーリーグの面白い部分でしたね。自分の武器だったり、得意としているプレーは通用する自信があったし、確実にどのリーグでも出せると思っていたけど、ベルギーリーグにはいろいろな国の選手がいて、身体能力が高く、フィジカルが強い選手が多い中で、自分のような選手がどうやって特長を出していくのかまだまだ考えさせらえる部分ではあります。日本人にはなかなかない特長を持っている選手が本当に多いんですよ。ただ、そこで勝とうとは思っていなくて、今後どうやって攻略していくかは楽しみの一つですね」

――期限付き移籍でアントワープに加入しましたが、4月に完全移籍が発表されました。
「今までは期限付きでしたが、移籍したら移籍したチームのために戦うことしか考えていなかったので、それが完全移籍になったからと言って変わるわけではありません。僕はヨーロッパでステップアップしていきたい気持ちがあります。高いレベルで戦いたいというのは小さな頃からの夢だったし、いつかはフロンターレから海外のクラブに移籍してやっていきたい思いを小学生の頃から持っていたので、そのタイミングが今だった。今はアントワープのために戦い、自分の力でもっともっと上のレベルまで辿り着けるようにしたい」


五輪への思いは変わらない
今までよりも強くなっていく


――2020年の目標の一つであった東京五輪が1年延期されました。
「今の状況になったとき、少なくとも今年、五輪が開催されるのは難しいだろうと思っていたので、中止ではなく、延期で良かったという感じです。来年ちゃんと開催されるかどうかも現時点では分からないし、もしそうなっても仕方ないと思うけど、選手としては目の前で起きていることに対してどう対応していくかだけ。来年、開催されるのであれば、そこに照準を合わせていきたいし、自分たちは開催されると思ってやっていくしかない」

――今年に賭けていた部分もあると思います。1年延期されたことでモチベーションを維持する難しさもあるのでは?
「そんなことは言ってられません。やっぱりプロとして僕たちはやっているので。周りの選手は自分以上にやっていると思わないといけないし、いざ五輪本番になったとき、『あの期間があったから』と言い訳はできない。起きてしまったことは仕方ないし、そのときに何ができるかを問われている時期だと感じています。五輪への思いは変わらないし、サッカーをしたい気持ちがこの期間で強くなるように、五輪への思いも今までよりも強くなっていくと思う。今は五輪のことを考えている場合ではない世の中になっていると思うけど、気持ちを切らさず、五輪が開催されたときに自分の実力を100パーセント出せるように意識してやっていくだけだし、100パーセントに向かっていくための準備期間だと捉えるようにしています」

――五輪代表の活動を2年間行い、積み重ねも感じられると思います。
「選手が変わる中ではあったけど、2年間やってきて積み重ねてきたものは確実にあるし、自分たちの自信にもつながっていた。選手一人ひとりもそうだし、チームとしても手応えを持ってここまで来れていました。もちろん直近のアジアの大会(AFC U-23選手権)で結果が出なくて、世間的には厳しい目で見られていると思う。でも、そこで自信を失うのではなく、見返したいという思いや闘志につなげていかないといけないと思います」

――史上初のグループリーグ敗退となったAFC U-23選手権に、ご自身は出場していませんでした。
「日本にとって、アジアでの戦いは難しいということを改めて感じた。僕はあの場で戦っていたわけではないし、外から見ているのと、実際に中であの大会を戦っているのとでは全然違うので、外から簡単に言うことはできませんが、僕も五輪世代のあのチームの一員ということで考えると、やっぱり何かが足りなかったんだろうと感じる部分はある。だから、外で見ていて感じたことは次の活動のときに自分なりに伝えたい。今後も誰がメンバーに選ばれるのか、誰が試合に出るのかは全然分からないけど、全員が同じ目標に向かって、チームとしてのまとまりがあったので、チームとして何が足りなかったのか、何が必要かなど、本気でいろいろな話をする機会にもなったと思っています」

――五輪が開催されるかだけでなく、ベルギーリーグもいつから再開されるか分からない難しい状況ですが、新シーズン、そして東京五輪に向けての抱負を最後にお願いします。
「アントワープでタイトルを獲りたいし、獲れるクラブだと思っています。今年の順位がどうなるか、まだ分からないけど、結果次第でヨーロッパリーグやチャンピオンズリーグという上のレベルが見えてきます(15日にリーグの打ち切りが正式に決定。アントワープは4位となり、来季はヨーロッパリーグ予選3回戦から出場)。もっと高いレベルで戦うためにチームに貢献したいし、チームに貢献することが個人的なステップアップにもつながっていくと思って必死にやっていきたい。五輪代表ではチームとしても、個人としても金メダルを目標にずっとやってきたので、できることを継続しながら、目標を達成するための準備を常に意識してやっていく。五輪が開催されたとき、後悔のないように、万全の準備ができたと自信を持って言えるように一日一日を大事に過ごしていきたいと思います」

(取材・文 折戸岳彦)

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