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[J内定者の声]高校最後の試合での大怪我乗り越え…山口内定、福岡大FW梅木翼「サッカーが魅力的だった」

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 福岡大のFW梅木翼レノファ山口FCへの入団内定が発表になった。「不安もありながらという感じだったけど、今はすごくうれしいです」。リーグ戦の開催が困難となるなど、前例のない状況が続く中での進路決定にまずは胸をなでおろした。 

 島根県出雲市出身。姉2人、兄1人の4兄弟の末っ子で、「自由に育ててもらえた」という。6歳年上の兄の影響でサッカーを始め、実家の裏にあったフットサルコートで毎日のようにボールを蹴って遊んでいた。高校は小学生の時に高校選手権で活躍する姿に感動し、憧れを持ったという立正大淞南に進んだ。

 そこで入学早々、転機を迎えることになる。それまでボランチを主とした守備的な選手だったが、南健司監督の勧めでFWにポジションを移すことになった。最初は戸惑いも多かったというが、2年生の選手権前には試合に絡めるようになった。そして最終学年の3年生ではプリンスリーグ中国で17得点。優秀なストライカーを輩出し続ける同校で、梅木も得点王の称号を得る点取り屋に成長した。


 しかし高校最後の試合は、嫌な意味での思い出深い試合になってしまっている。正月の高校選手権。正智深谷高と対戦した1回戦で、梅木は前半37分に同点弾を記録。全国にプリンスリーグ得点王の実力を示した。だが実は前半早々に芝に足を取られて転んだ時に右膝に違和感を覚えていた。そして後半10分過ぎ、ついに限界が訪れた。

「検査の結果は前十字靭帯の断裂でした。サッカー人生で初めての大怪我。2月ごろ、福岡に入って手術しました。プロになりたいと思って、プロに入る選手が多い福岡大に進学したのですが、いきなり躓きました。でも上半身のトレーニングを主にやりました。高校の時と比べるとそこで体を変えられたかなと思います」

 怪我をしている間も常に練習場に顔を出し、イメージを膨らませていたことで楽しみな部分も多かった。そして迎えた10月の復帰戦。リーグ優勝が決まるという試合だった。ただ感慨深いものになるかと思ったが、いざ試合に入るとそんな余裕はなく、ボールを追いかけるだけで必死だったという。

「怪我は自分をいろんな意味で成長させてくれたと思っています。それからは怪我をしないようにと意識するようになりました。当時は準備不足があったと思っています」


 高校時代からしのぎを削ってきた仲間の活躍が刺激になっていた。“7年間”一緒にプレーしたFW井上健太(4年=立正大淞南高/大分内定)は、大学1年生の時からインカレで得点するなど、全国レベルで結果を残してきた。「焦りはあった。差は広がっていると感じた。常に一歩も二歩も先に行かれていた」。追いかける存在がいたからこそ、常に成長したいという思いを途切れさせることをしなかった。

「最初は高校からプロに行きたいと思っていました。実際、アルビレックス新潟の練習にも参加させてもらった。でも当時はレオ・シルバ選手とか鈴木武蔵選手がいたので、差を感じました。だから大学では足りないなと思った部分を鍛えることができました。あとクロスに対する入り方やポストプレーには磨きがかかったと思っています」

 山口に声をかけてもらったのは今年に入ってから。しかし霜田正浩監督には、1年生でインカレに出場していた時から注目していたと声を掛けられたという。練習参加は3月末。1週間の日程で参加し、合格通知を貰った。

「最終日がゲームだったんですけど、それが終わって監督と少し話をしてという感じで決まりました。若手が多いチームという印象で、チームの雰囲気がいいなと感じました。山下敬大さん(現千葉、福岡大出身)が以前レノファでプレーしていたので、試合を見ていました。すごく魅力的なサッカーをしているなと前々から思っていました」

 コロナ禍で活動が制限されているが、今はプロで戦うための体づくりに多くの時間を割いているという。「自分の一番の武器は得点力。ゴール前の入り方に自信を持っています。でもプロで戦うための体はまだまだ足りない。高さ(184cm)を武器に戦える選手になれるように準備していきたいと思います」。

 次回は大分トリニータに内定したFW井上健太(福岡大)を予定。

※学校の協力により、電話で取材をさせて頂きました
(取材・文 児玉幸洋)

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