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[蹴活生ガイド2020(関西)]CチームのFWがCB転向後に飛躍。阪南大DF本石捺は高さとスピード兼ね備えたレフティ

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CB転向後に飛躍した阪南大DF本石捺

 阪南大Aチームでの出場機会を掴んだのは昨年からであるため、DF本石捺(4年=佐野日大高)の知名度はまだ高くないが、秘めたポテンシャルは高い。「似たようなタイプの選手はいないと思う」と話す通り、181cmの身長と左利きのキックを備えたCBは希少価値が高く、このタイプのCBは近年のJリーグでも人気銘柄となっている。加えて、30m走の速さはチームでも1、2番を争う速さで、活動再開後のアピール次第では、プロ入りも十分に狙える選手だ。

 元々は、大阪セゾンFC出身。遠征先でのプレーが佐野日大高のスタッフの目に留まり、縁もゆかりもない栃木県の高校に進学した。入学当時の身長は、チーム最小クラスの160cmほど。ポジションも今とは違いFWで、ボール扱いに長けたテクニシャンだった。

 全国大会での活躍が目標だったが、入学後に身長が18cmも伸びたため、思うように身体が動かず持ち味を出し切れない時期が続いた。「高校3年間で挨拶とか人間としての基本を教えてもらえた」と精神的に逞しさを増す一方で、試合ではベンチからのスタートが続いた。3年の冬に佐野日大は選手権でベスト4入りを果たしたが、本石がピッチに立ったのは3試合で50分のみ。「埼スタの舞台を味わっても、嬉しさよりも悔しさの方が強かった。負けた悔しさよりも、自分が試合に出られない悔しさの方が強かった」。

「悔しい気持ちを晴らそう」と選んだ舞台が阪南大だが、当時の4回生は脇坂泰斗(現川崎F)、重廣卓也(現福岡)、山口一真(現水戸)、藤原奏哉(現北九州)ら後にJリーガーとなった実力者がズラリと並んでいた。「めちゃくちゃ上手い先輩ばかりで、高校を出てすぐにあれだけ高い基準を知れたのは良かった。4年生になる頃にはあそこのレベルまで行きたいなと思っていた」と振り返る本石は、Cチームからの成り上がりを目指した。

 転機が訪れたのは、2年生の夏。恵まれた体格と組み立て能力を買われ、CBにコンバートされた。サッカーを初めてからずっとアタッカーであったため、「ちゃんとプレーできるんかなと不安だった」が、1歳上で同じくビルドアップを売りにする長谷川隼(現讃岐)のプレーを熱心にチェック。守備でも課題だった1対1の強さを磨き、CBの持ち場を自らの物にしていく。

 冬にはIリーグと新人戦の全国大会を経験し、自らのプレーに自信も掴んだ。昨年はAチームでの出場機会を増やしたが、大量失点を許す試合が多く、「このままじゃアカンなという気持ちが強かった」。一方で、与えられた試合でセンスの片りんを覗かせ、昨年11月には関西学生選抜のメンバーに選ばれるなど飛躍の礎を築く一年になったのは間違いない。「小中時代のチームメイトどころか、高校の友だちでも俺がCBをやっているなんて想像できないと思う。大学のCチームで一緒だった選手も今の自分を見て、驚いている」。

 今年は緊急事態宣言が発動された4月から活動休止となったが、「サッカーがしたいと強く思った。改めてやっぱりサッカーが好きなんだと思えた。これからもサッカーを続けるためにはサッカーでご飯を食べていくしかない。よりプロになりたい気持ちが強くなった」。中心選手としての自覚も増し、再開後のリーグ戦では失点ゼロに抑え、攻撃陣がノビノビとプレーできる環境を作るのが目標だ。チームとして結果を残し、自らのサッカー人生を切り拓いていく。

執筆者紹介:森田将義(もりた・まさよし)
1985年、京都府生まれ。路頭に迷っていたころに放送作家事務所の社長に拾われ、10代の頃から在阪テレビ局で構成作家、リサーチとして活動を始める。その後、2年間のサラリーマン生活を経て、2012年から本格的にサッカーライターへと転向。主にジュニアから大学までの育成年代を取材する。ゲキサカの他、エル・ゴラッソ、サッカーダイジェストなどに寄稿している。

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