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32歳で引退決断、DF内田篤人は声詰まらせ「もうひと花、ふた花、咲かせたいと…」

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引退セレモニーで声を詰まらせたDF内田篤人

 2006年に清水東高から鹿島に加入して14年半、日本サッカー史にその名を刻んできた偉大なサイドバックがプロサッカー選手生活に幕を閉じた。鹿島アントラーズDF内田篤人は試合後の引退セレモニーで、32歳での決断に至った理由をときおり声を詰まらせながら語った。

「鹿島アントラーズというチームは数多くのタイトルを取ってきた裏で、多くの先輩方が選手生命を削りながら勝つために日々努力する姿を見てきました。僕はその姿をいまの後輩に見せることができないと、日々練習していく中で体が戻らないことを実感し、このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うんじゃないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」。

 鹿島入団後は高卒1年目から常勝軍団のレギュラーを担い、07年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した内田。8年間を過ごしたドイツのシャルケでは日本人最多の欧州CL出場など偉大な実績を残し、日本代表でも歴代23位の74試合に出場したが、2015年に負った右膝の怪我がキャリアに大きな影を落とした。それでも内田は18年から過ごした鹿島での2年半に感謝の言葉を紡いだ。

「もうひと花、ふた花、咲かせたいと日本に戻ってきましたが、その中で隣に寄り添ってくれたトレーナー、まだやれると背中を押してくれたザーゴ監督、大岩前監督、いい時も悪い時もともに過ごしたサポーター・ファン、スポンサー、そしてチームメート、本当にありがとうございます」。

 その上で、無念さをうかがわせながらもきっぱりと幕引きを告げた。「このようなシーズン、チーム状況で僕の決断を理解してくださった強化部、監督、そしてチームメート、本当に申し訳ない。日の丸を背負ってプレーする重さも、殺気のあるドイツでのスタジアムも、つらさも、うれしさも、全て僕の財産です」。スピーチの最後はプロサッカー選手を志す少年たちに鹿島を勧める粋なメッセージも残し、「サッカーを通じて出会えたすべての人たちに感謝します。また会いましょう」と語って14年半のキャリアに終止符を打った。

 クラブはこの日、内田に宛てたビデオメッセージをセレモニーで上映。1年目の06年に開幕から先発に抜擢したパウロ・アウトゥオリ氏からは「内田篤人は素晴らしい選手で、チャンスを与えました。プレーを見て練習3日目で決めました。彼は素晴らしいキャリアを歩む選手だと確信しました」という思い出が語られ、07年からの3連覇に導いたオズワルド・オリヴェイラ氏は「われわれの3連覇にはあなたのアントラーズでの歴史が刻まれています。あの素晴らしい雰囲気の中で大粒の涙を流していましたね」と回顧。偉大な背番号2を最大限のリスペクトで送り出した。

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