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北澤豪氏とブラインドサッカー加藤&川村の3者対談が実現!「ブラサカに恋して」ノーカット版

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日本障がい者サッカー連盟会長の北澤豪氏と加藤健人(右)と川村怜の3者対談

 サッカーとはまた異なった面白さがあるブラインドサッカー。視覚に頼らず、音の鳴るボールを駆使してゴールを狙うこのスポーツの魅力を、知っている人はまだ多くはない。新型コロナウイルスの影響で活動が中止していたが、今年10月から来年2月までには「〜ブラインドサッカーを未来へつなごう〜 アクサ×KPMG ブラインドサッカー2020カップ」も開催。ブラインドサッカーを知るチャンスは再び増えてきている。

 10月10日には、TOKYO MX「週末ハッピーライフ! お江戸に恋して」の企画「ブラサカに恋して」で、男子日本代表強化指定選手でありアクサ生命所属の加藤健人と川村怜の両選手と、日本障がい者サッカー連盟会長の北澤豪氏による3者対談が放送された。内容は、ブラインドサッカー界のトップを走る2選手が語る競技の魅力や始めたきっかけ、私生活のこと。今回ゲキサカでは、放送で入りきらなかった部分も含め、特別ノーカットでお伝えする。


北澤氏
「今回は、ブラインドサッカーのことをより深く知るために、川村怜選手、加藤健人選手に話をうかがっていきたいと思っています。よろしくお願いします」

両選手
「お願いします」

北澤氏
「ここ最近で言うとコロナもありましたが、2人はどんなトレーニングをしていますか」

川村
「代表チームとして6月10日からグランドでのトレーニングが再開しました。最初は条件付きで、限られたメンバーしか集まれなかったですけど、7月からは全員が集まって、合宿ができるような状況にまでなっていますね」

北澤氏
「本格的にトレーニングはやれていると」

川村
「そうですね。だいぶ質も上がってきて」

北澤氏
「6月よりも前の状況はどうだったんですか」

川村
「基本的にはみんな自宅で与えられたメニューをこなすという形でしたし、あとはコーチとオンラインで選手が集まって、画面を共有しながら、オンライントレーニングを行っていました。コーチが指示をして、選手が全員同じ動作をしたりとか、インターバルトレーニングをしたり、ボールを扱ったりだとか。自宅でですけど、かなり強度を上げてトレーニングを実施できました」

北澤氏
「けっこう継続的にやれていたということですね。加藤選手はどうでした?」

加藤
「日本代表メンバーでオンライントレーニングは、週に2、3回はやっていました。ボールの感覚とか、フィジカルトレーニングをやっていたんですけど、視覚に障がいがあると、外でひとりでランニングしに行くことはできないので、ほかの感覚っていうのは落ちてきたんじゃないかなって思いましたね」

北澤氏
「色んな条件が整っていかないと、自分のコンディションが高められていかないということですか」

加藤
「そうですね。なかなか家の中でできることは限られてくるので」

■子どもの頃からサッカーが好き



北澤氏
「子どもの頃の将来の夢を改めて聞かせていただきたいです」

川村
「小学生のころは自分はサッカーをしていて、将来はサッカー選手になりたい、ワールドカップに出たい、そんな夢がありました」

加藤
「僕も同じですけど、小学校3年生からサッカーを始めて、そのころ始まったJリーグを観て育ったので、僕もいつかJリーガーになりたいなって夢を持って、サッカーをやっていました。ヴェルディ川崎のファンでしたね」

北澤氏
「ヴェルディ川崎って言ってくれるところが、ちゃんとヴェルディを観てたんだなって感じますね(笑)」

北澤氏
「ブラインドサッカーをされているっていうことは、視覚に障がいがあるっていうことになると思うんですけど、何がきっかけで目の症状が悪くなってきたか、いつ頃だったりとかっていうのはありますか」

川村
「僕は5歳のときに、目の病気で視覚障がいになりました。当時はまだ少しは見えていたんですよね。限りなく見えにくかったですけど、まだ少し視力は残っていて、そこから少しずつ進行して、いまはもう全然見えていない状況です。そんな中で友達とサッカーをしたりとか、休み時間に遊んだりとか、けっこう走り回って遊んではいたんですけど、やっぱり徐々に見えにくくなってきて。段々サッカーができなくなってきたりとか、できていたことができなくなってきたっていうのが中学高校とか、その時期でしたね」

加藤
「自分は18歳頃なんですけど、たまたま部活動で人とぶつかってしまって、目が腫れてしまって。それがきっかけで眼科に行って視力検査をしたところ、腫れていないほうの視力が落ちていたんですね。そこから色んな検査をしたところ、自分には遺伝性の病気があることがわかって。当たったことが原因ではなくて、当たる前から半年くらい前から、徐々に視力が落ちていたらしくて、最初気づいたときには、片方の目の視力はほとんどなかったですね。進行性の病気で、見えている片方の目も徐々に視力が落ちていって、いまは光を感じる程度しか見えていません」

北澤氏
「それは気づかなかったんですか。それまでは」

加藤
「そうなんですよね。片方視力が落ちていたときは、あまり気づかずに生活していて、日常生活にも支障はなかったですね」

北澤氏
「徐々に見えづらくなっていくっていう、そのときの気持ちの部分はどうだったんですか」

川村
「ある日突然ばっと見えなくなったわけではなくて、少しずつ霧がかかっていくような、だんだん視界が濁っていくような感覚だったので、一か月前、半年前、一年前はもっと見えていたなあ…っていう実感の仕方でした。だんだん見えにくくなっていったなっていう感じがしていて、サッカーが好きで、サッカー選手に憧れていた中で、サッカーができなくなってしまったときは、けっこう複雑な気持ちというか。最初は受け入れがたかったですけど、ブラインドサッカーと出会って、少し変わったかなとは思います」

北澤氏
「好きなサッカーができなくなるっていう、自分の中の決断は自分でしていたんですか」

川村
「けっこう性格も楽観的なタイプなので、自分ができなければ、それをサポートする立場でありたいっていう風に気持ちが整理できて、切り替えられたので。そういう道を与えられたんだって捉えて、大学に進学しましたけど、今となっては自分が競技者としてプレーできているので、そういう意味ではすごく幸せですね」

加藤
「自分は視力が低下していった時期が17歳、18歳頃だったので、ちょうど進路や将来を考える時期でもありました。あとは思春期というか、色々考える時期だったので、まさか自分がこんな目に遭うとは、っていうのは思いましたね。身近に視覚に障がいを持っている方がいらっしゃらなかったので、視覚障がい者ってどんな人なんだっていうか、何ができて何ができないかもわからなかったので、自分のイメージで、視覚障がい者の人って何もできないんじゃないかなって思ったんですよね」

加藤
「なので、高校はなんとか卒業できたんですけど、高校を卒業した後はどうしたらいいかわからずに、結局家にこもることが多くて、何かしなくちゃいけないなとは思っていたんですけど、もうこの先何もできないんじゃないかとか、自分なんて必要ないんじゃないかと、どんどんマイナスのほうに考えるようになってしまって。それで家にこもっていたんですけど、自分の親は違って、健人のために何かできることあるんじゃないかと色々探してくれて、その中でインターネットでこのブラインドサッカーを見つけてくれました」

加藤健人選手

■ブラインドサッカーと出会って



北澤氏
「そこからブラインドサッカーに出会ったんですか」

加藤
「僕が福島県福島市出身なんですけど、そこから一番近かったのが、茨城県つくば市にあるチームだったので、連絡を取って、父親と2人で見学しに行きました」

北澤氏
「ご両親に勧められて自分はどう思ったんですか、ブラインドサッカーって」

加藤
「ブラインドサッカーっていうスポーツをもともと知らなかったので。アイマスクをして音の鳴るボールでサッカーをやるって聞いたときに、どうやるのかなって。あとは日本代表もあるよっていうくらいしか聞いていなかったので、初めて見たときはびっくりしましたね。アイマスクをしてサッカーをやっていることが」

北澤氏
「通うのもけっこう距離ありますよね」

加藤
「最初は見学しに一回だけ行って、体験させてもらって。なかなか最初は難しかったんですけど、そこのチームの方々が一緒にやろうよって誘ってくれたので、大学のチームだったんですけど、その大学に行こうと決めました」

北澤氏
「川村選手のブラインドサッカーと出会ったきっかけは何ですか」

川村
「僕も加藤選手と同じ大学で、僕が進学して、そこで活動しているブラインドサッカーのチームがあって、見学させていただきました。僕も第一印象は衝撃でしたね。アイマスクをつけて見えない選手たちが、ドリブルで敵をかわして、見えているGKからゴールを決めていたんですよね。そんな姿を見て、すごく感動しましたし、衝撃を受けて、すごいパワーのある競技だなと感じて。このサッカーだったら自分もできると思いましたし、世界にもつながる競技だなと感じたので、挑戦してみようと思いました」

北澤氏
「最初やり始めたときはどうでしたか」

川村
「何もできなかったですね。自分がピッチのどこにいるかとか、どこを向いているかとか、ボールの音は鳴っていて聞こえるけど、全然触れなかったりとか。でもそんな中でいきなり敵はぶつかってきて、とか。最初は恐怖心のほうが強くて、これ本当にうまくなるのかなとか、けっこう思いましたけど、少しずつ練習を重ねるごとに、だんだんできることは増えてきて。時間はかかりましたけどね。仲間と一緒にサッカーができるっていう喜びが一番大きかったので。仲間の存在はすごく大きかったかなと思います」

川村怜選手

北澤氏
「加藤選手も子どもの頃からサッカー選手が夢で、情熱という部分では一度消えてしまったものかもしれないけど、それが回復してきたっていう思いになりましたか。ブラインドサッカーと出会って」

加藤
「僕の場合はブラインドサッカーがあるっていうことを知っていて、サッカーをしに大学に入ったんですね」

川村
「僕は資格を取るために進学しました」

北澤氏
「そこに偶然にもブラインドサッカーがあったっていう」

加藤
「ブラインドサッカーをやりたい気持ちっていうのは大学行くときからあったので、でも実際にやってみると本当に難しくて、今までサッカーの経験はあったので、足下にあればなんとか触って蹴るっていうことはできたんですけど、ボールの音だけを聞いてトラップする、止めるっていうのが難しかったですね。そこに関してはサッカーじゃないなっていうか。聞いて取れるかどうかなので。最初はトラップ練習をやっていましたね。でも徐々にできてくると、できる喜びがあるので、もっともっとうまくなりたいっていう気持ちが出てきました」

■激しさも…ブラインドサッカーの魅力



北澤氏
「僕もブラインドサッカーを体験させてもらったりする中で、もちろん思うようにいかないっていうところがあるんですけど、一番何が嫌かっていうと恐怖心ですよね。何が起こってしまうのか、ぶつかるとか、その怖さがあるんですけど、そこはどうなんですか」

川村
「恐怖心は当然ありますよね。今ももう、ないと言ってしまえば嘘になりますけど、それ以上にブラインドサッカーで向上したいとか、チームを勝たせたいとか、自分がもっと上手くなりたいとか、そういった気持ちのほうが大きいので。中途半端な気持ちでピッチに立ってぶつかって怪我してしまうと、後悔するなって思ったので、ピッチに立つときは本気で、覚悟を持ってピッチに立つって決断しているので、本気で立ち向かって、ぶつかって怪我してしまうっていうのはしょうがない。割り切って、怖さを克服しているというか。あとは練習してうまくなれば、ぶつからない。そういう僕の考えでプレーしています」

北澤氏
「加藤選手は恐怖心というところでは、どう乗り越えてきたか」

加藤
「今でも多少なりとも恐怖心はあるんですけど、やっている最中はあまり気にしていないかな、と。ピッチに入ったら勝ち負けの世界なので、恐怖心があって一歩遅れてしまったら、抜かれてシュートを打たれたりとか、チャンスをつぶしてしまったりとかもあると思うので。一回ぶつかって痛めてしまうと、また来るんじゃないかなって、そういうところで恐怖心が出たりするので、やる前からそういうこともあると意識して、気持ちを整えたりしています」

加藤
「アジア選手権だったんですけど、海外で試合をしたときに、敵とぶつかって眉の下を切ってしまったんですよね。縫うだけだったらよかったんですけど、そこで全身麻酔をして縫ったんですよ。海外で全身麻酔をして縫うっていう恐怖心があって。その大会はアジア選手権で、日本が次の試合で勝てば世界選手権に行けたんですけど、自分は病室からその試合の様子を確認して、残念ながら引き分けてしまいました。世界選手権に行けなかったっていう大会だったんですけど、それを経験してちょっとその後、自分とその恐怖心との戦いもあったかなって思います」

北澤氏
「日本代表の選手たちを見ていると、恐怖心を乗り越えてあれだけのプレーをしているんだなってすごく魅力のひとつだと思うんですけど、このブラインドサッカーのプレーをする上で、ご自身が考える魅力っていうところは何だと思いますか」

川村
「僕自身純粋にサッカーができて楽しいっていうのは、個人的にすごく魅力を感じていますけど、5人制サッカーで、4人の選手が視覚障がい、GKが見える人が務めるんです。その多様性というか、視覚障がいの僕が本気でシュートを打ったボールを見えているGKが本気で止めに来るんですよね。その真剣勝負の中には、見えている見えていないとか、障がいの有る無しっていうのは存在しないんですよね。いちスポーツとして、純粋にフットボールを楽しみながら、真剣勝負ができるっていう、その時間を共有できるっていうのは、僕にとってすごく魅力として感じますし、見ている側の方々にとっても、ブラインドサッカーでしか感じられないことなんじゃないかなって思います」

加藤
「視覚に障がいがある人とない人、お互い協力し合ってできるところも良いところだと思いますし、可能性は無限大だなって感じさせてくれるスポーツだと思いますね。自分がブラインドサッカーを始めてから10年以上が経っていますけど、そのときと比べたら今のプレーって全然違うんですよね。日本のブラインドサッカーそのものも成長していると思うんですけど、自分自身もすごく成長させてもらっているんじゃないかなって思います」

北澤氏
「逆に嫌だったとか辛かったと思うことはないんですか」

川村
「辛いことはたくさんあります(笑)。やっぱり上手くいかないときは何事もそうですけど、辛かったり悩む時期が続いたりとか、そういう時間は誰しもが経験するとは思います。そんな中でも、競技を通して何かを乗り越えた瞬間や、何かを達成した瞬間に報われるというか、やっぱりやっていて良かったなとか、充実感、達成感を感じられるので、継続すること、続けることっていうのがすごく大事なんだなって感じています」

加藤
「自分は小学校3年生から高校までサッカーをやっていたので、正直見えていたらもっとできるのにっていう葛藤はありましたね。特に最初の頃は。たまにアイマスクを外して自分の昔の視力でできたら、監督やコーチ陣に言われていることもできるのになって思うこともあります。やっぱりいいときもあればうまくいかないときもあるんですけど、目標を立てたりとか、色々工夫してやっていくと、少しずつ登っていけるかなって思うので、自分にとっても成長できるいいスポーツに出会えたなって思っていますね」

■小さい頃の憧れは…



北澤氏
「目が見えていたころ、憧れていた選手はいましたか」

川村
「僕が小学生のときに、Jリーグが開幕して、日本代表がちょうどフランス・ワールドカップに出場したころだったんですけど、そこで日本人として初めてゴールを決めたゴン(中山雅史)さん。その姿は小学生の僕にとってはすごくヒーロー的な存在でしたし、純粋にサッカーでゴールを決める選手が輝いて見えたんですよね。かっこいいなっていうか、すごいなって。子どもながら純粋に。サッカーの魅力を伝えてくれた選手だったのかなって思います」

北澤氏
「影響されたこととかありますか」

川村
「何度かお会いしたこともあるんですけど、最初は魂のストライカーとか、貪欲な、泥臭いイメージがありました。でも実はすごく冷静な方なんだなと感じていて、自分をコントロールする力を持っている方ですし、ゴール前で思いっきりシュートを打ちたくなる局面もあるんですけど、そこをいかに自分をコントロールして冷静にプレーできるかっていうことが大事。やっぱりあれだけゴールを決めたゴンさんの自分をコントロールする力っていうのは、すごく学ばせていただきました」

北澤氏
「よく見抜いていますね。あの人カメラ回ると騒いだりしゃべったりするんですけど、カメラ回っていないと静かだからね(笑)。読書しているタイプですから、真面目で。冷静な時間をつくることが多いかなって、よく見抜いていると思いますね」

加藤
「自分はJリーグを観てサッカーを始めたので、三浦知良選手がカッコよかったですね。そこに憧れてヴェルディ川崎も好きでしたし、サッカーをやっていたっていうのもあったので。まだお会いしたこともないですけど、いつかお会いして話を聞いてみたいなとは思います。ピッチ内だけじゃなくて、ピッチ外でもそうですけど、サッカー選手としてみんなが憧れる存在なんじゃないかと思いますね」

■トップを走る2選手、その得意なプレー



北澤氏
「ご自身の中で得意としているプレーはありますか」

川村
「ドリブルシュートっていうのはすごく自分が得意とするプレーのひとつで、ゴールを決めることが、一番求められますし、自分の得点でチームが勝利すること、チームが勝つために必要なことを自分が表現するっていうのは、常に考えています。その中でドリブルシュートっていうのは、自分のストロングポイントかなとは思います」

加藤
「最近いじられキャラなんですよね(笑)。だから盛り上げるっていうのはひとつ、プレーというか、あるかなって。監督、コーチ陣、選手もそうなんですけど、いじられながらも、暗いと盛り上がらないので。プレーでは、しっかり守備をしてから攻撃につなげるところかなと。相手のボールをディフェンスでしっかり当たりに行って奪って、川村選手なり、前の選手にどうつなぐかっていうところかなって思いますね。パスの技術を生かしていきたいなと思っています」

北澤氏
「色々役割はあると思うんですけど、役割的には川村選手が点を取って、加藤選手は中盤?」

加藤
「4人の中で決まったポジションっていうよりかは、動きながらやっているので、どこのポジションもできなきゃいけないですね」

川村
「流れの中でも入れ替わったりするので、今はどのポジションも求められる戦術、戦い方なので、ある程度決まったポジションもありますけど、前も後ろも、攻撃も守備も、求められるチームになっています」

北澤氏
「お客さんにはどこに注目してもらいたいですか。どうすればブラインドサッカーを楽しく観られますかね」

加藤
「ボールを持っている選手に目が行きがちだと思うんですけど、ブラインドサッカーは声で、ボールを持っていない選手たちも声を掛け合ってポジショニングを取っているんですよね。奪われた後のことだったりとか、パスをもらう位置だったりとか。ボールを持っていない選手にも、目を向けてもらうと、ブラインドサッカーの良さをより知ってもらえるんじゃないかと思いますね」

川村
「これまでは攻撃と守備で分担してプレーすることが多かったんですけど、今の日本代表チームは、フィールドプレーヤー4人全員が攻撃も守備も関わって、ポジションもどんどん入れ替えて、戦術的に戦っています。見えない中でそういうポジションを入れ替えたりだとか、パスをつないだり、シュートまで行ったりとか、おそらくテレビでは伝わりづらい部分であって。実際に会場で選手たちがどういった声かけをしているのかとか、どういう指示が飛んでいるのかとか。会場でどんな音が聞こえるのか、どんな声が聞こえるのかっていうのは、実際に生でしか味わえない、感じられないと思うので、ぜひ多くの方に生の試合を見に来てもらいたいなと思います」

北澤氏
「特にディフェンスのときって、ボールを持っている選手に行くのってボールの音があるから行けるじゃないですか。2番目、3番目のポジションを取るのってすごく難しくないですか」

川村
「練習で反復して積み重ねていくんですけど、本当に微調整で。チャレンジ&カバーで、ファーストセカンドサードって。すべて声です。あとはGKのコーチング。一歩右とか、一歩前とか、一歩単位で修正して調整して。でも、ある程度は自分たちでやらないといけないので、そこはボールの音とか、仲間の声とか、相手の音とか。そういう情報に頼って自分たちがポジションを取っています」

北澤氏
「観戦していて興奮して、惜しいチャンスがあったりすると、うおっとか言っちゃうじゃないですか。声出しちゃいけないじゃないですか。ああいうのってプレーしていて気になりますか」

加藤
「たくさんの方々に生で応援してもらうのはすごく嬉しいことなんですけど、たとえばディフェンスに当たったり、GKがはじいたルーズボールを拾ったりとか、ディフェンスに下がったときのポジショニングだとか、その切り替えのところで、うまくボールとか人の声が聞き取れなかったりすることもあるので、多少静かにしてもらいたいなって思いますけど…でも、皆さんの応援は力になるので、出てしまうのは仕方ないのかなと思いますね」

北澤氏
「ゴールしたとき、レフェリーのゴールっていう声よりも、先にお客さんがゴールに喜んでいて、選手もそれに気が付いているように見えるんですけど、そうなんですか、あれ」

川村
「ゴールが決まった瞬間は会場中が爆発的にばーっと盛り上がって、ゴールが決まったことをみんなで喜びを分かち合えるっていうか。あの瞬間は、すごく一体感があって、ブラインドサッカーならではというか。それまで静かだった会場が、爆発的に盛り上がるその緩急っていうのは、会場でしか味わえないですね」

■オフの生活



北澤氏
「普段ブラインドサッカーから離れたときは、どういうことをしているんですか」

加藤
「最近は練習とか合宿が多くて、オフの時間がないんですけど、結婚して子どももいて、2歳半の息子がいるので、子どもと遊ぶ時間は楽しいですね。できることは家事もやったり、子どもの面倒も見たり」

川村
「家族と一緒に公園に行って遊んだりとか、リラックスできる瞬間を感じられるっていうのはすごく次また頑張ろうっていう原動力になりますね」

北澤氏
「お子さんに向けた愛情があって、自分がプレーしている姿を見せていきたいとか、そういうのはありますか」

川村
「うちの子はまだ1歳なのでまだ自分の父親が何をしているかはわからないと思うんですけど、自分がゴールを決めて、会場が一体となってゴールの喜びを分かち合う瞬間を娘と共有できたらいいなとは思います」

加藤
「うちの子は最近言葉も話せるようになってきて、アイマスクをつけてる姿を見ると、パパ、パパって言ってくれたりとか。以前から試合も観に来てくれているので、自分がピッチに立って、息子が応援してくれるように、もっともっと頑張らなきゃいけないなって思っています」

北澤氏
「川村選手は、昨年ラグビーのワールドカップを観に行かれたと」

川村
「スタジアムに行って観戦したわけではないんです。多くの方と同じように、にわかで、テレビで観戦でした。でもラグビーを知るきっかけにもなりましたし、サッカー以上に色んな体格の人がいて、色んなポジションがあって、日本代表なのに外国籍の人もいたりとか、すごく多様なメンバーで構成される競技なんだなって知りました。何より日本の勝利のために体を張って戦う姿っていうのは、ブラインドサッカーに通じるものがあるなって感じたので、そういう意味ですごく刺激を受けましたね。僕らも体を張って、勝利するために、常にプレーしているので、去年ワールドカップを観て、学ぶことは多かったなって思います」

■ブラインドサッカーを通じて共生社会の実現に



北澤氏
「ご自身を通して、ブラインドサッカーを通して、伝えていきたいこと、世の中にメッセージを送りたいっていうことはありますか」

加藤
「視覚障がいだとか、ブラインドサッカーをやっている人だけのものではなくて、ほかの方々にも、生かせたり通じるものがあるんじゃないかなって思っています。たとえば夢とか目標を持つことの大切さだったりとか、それに対して挑戦し続けたり、成長したりっていうところを、自分なりに伝えていければと思っていますね」

川村
「日本の社会とか、誰かに影響を与えられるような存在でありたいとは思っています。自分自身を高めることであったり、自分を表現することであったり、今は競技者として、自分のプレーを見せることで何かを感じ取ってもらうこともあると思いますし、僕が視覚障がい者として生きているこの人生の中で、僕自身見えないだけというか、そういう捉え方をしているので、僕の生き様というか、いますごく幸せを感じているので、こういう人もいるんだよっていうことを伝えたいです。何か壁にぶち当たっている人もいたら、そういうきっかけになれたらって思いますし、人に影響を与える存在でありたいなとは思います」

日本障がい者サッカー連盟会長を務める北澤豪氏

北澤氏
「あそこまでの素晴らしいプレー、チーム力を発揮できることをブラインドサッカーを通して見ていくと、みんながどうあるかっていうメッセージをすごく送ってくれるのが、ブラインドサッカーじゃないかなって思います。共生社会の実現っていうことが一番のテーマのもと、みなさんがハードワークをしたり、取り組んでいてくれていることにもなると思うんですけど、共生社会についてはどう思っていますか」

加藤
「日本ブラインドサッカー協会も障がい有る無し関係なく、混ざりあう社会をビジョンに掲げてやっています。どうなったら混ざり合っているのかとか。その中で、いじめのない世の中なのかなと。自分も小学校とか、子どものときとか、自分と誰かを比べたり、誰かと誰かを比べたりとか、自分が知らない間に、誰かを傷つけたりとか、そういうこともあると思うんですよね。ブラインドサッカーの体験会で言っているのは、コミュニケーションの重要性だったり、相手の立場で考えたりとか。その中で、いじめっていうところにも関わってくるんじゃないかなって思うので、まったくない世界って難しいのかもしれないんですけど、いじめとか差別がなくなっていけば、共生社会につながるんじゃないかなと思いますね」

川村
「共生社会っていう言葉があるうちは、まだ実現できていないのかなと思います。他人と違うことを認め合える世の中というか、身近に感じられるっていう、同じ人間なので。違って当然というか、人種も違えば、何か違いはあると思うんですけど、それを認め合いながら、生きていければみんな幸せになるんじゃないかなと思うんです」

■最後に…今後の夢とは



北澤氏
「今現在の夢は、自分として、社会人として、ありますか」

加藤
「プレーが終わった後も、ずっとブラインドサッカーに関わっていきたいと思っています。自分を変えてくれたのはこのブラインドサッカーなので、もっとブラインドサッカーの良さをたくさんの方に知ってもらいたいですし、経験して感じたことをたくさんの方に伝えていきたいと思っているので、この後もブラインドサッカーを通して、色んなことをやっていけたらいいかなと思っています」

加藤
「サッカーとかフットサルの良さをブラインドサッカーに、っていうのもあるんですけど、僕はその逆もあるんじゃないかなって思っているんですよね。小さいころからアイマスクを付けて、ボールに触れることによって、ボールとの感覚が高まったり、バランス力が高まったりするんじゃないかと思っているので、そういうトレーニングもやっていけたらいいなと思っていますね。そうやってブラインドサッカーのことも知ってもらえると思いますし、子どもたちはサッカーやフットサルがより上手くなっていくんじゃないかなって思います」

川村
「誰かに影響を与えられる存在でありたいっていうのは、いま競技者としても、この先の人生においてもずっとそういう思いであり続けたいなとは思います。いま競技者としてブラインドサッカーの選手ですけど、健常の子どもたちが、僕のことに憧れてサッカー選手になりたいって思ってもらえるような存在でありたいとは思います。そのために、僕自身も高めていかないといけないですし、表現していかないといけないので、そういう意味でも、障がいが有る無し関係なく、誰かに影響を与えられると、それも共生社会につながっていくと思うので、誰も目が悪い人に憧れちゃいけないっていうルールはないので。そういう存在でありたいなって思いますし、僕もそのために努力していきたいなとは思います」

北澤氏
「真剣に答えてくれて有難うございました。僕も何年か付き合ってもらっていますけど、改めて話を聞いて、すごく自信が深まった話しっぷりに変わってきているなって感じがしますね。ブラインドサッカーを通して自分を成長させることで、発信する力がすごく変わってきているなと思います。2人の活躍、ブラインドサッカーの活躍で、社会を変えていくことにもつながると思うので、ぜひこれからも頑張ってください。ありがとうございました」

●ブラサカ/障がい者サッカー特集ページ
●日本障がい者サッカー連盟(JIFF)のページはこちら

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