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【GK's Voice 8】今も昔も、この先も永遠に…札幌・菅野孝憲がこだわる「一番の仕事」

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北海道コンサドーレ札幌GK菅野孝憲

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載を不定期で掲載中。第8回は北海道コンサドーレ札幌でプレーするGK菅野孝憲に幼少時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。

「プロになりたい」と思うのではなく
「プロにならないといけない」と考えていた


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「僕は3人兄弟の一番下で、兄の影響もあり、自然な流れで幼稚園のサッカークラブに入ったのがきっかけです。幼稚園の頃はとにかくボールを追うだけでしたが、少しでもゴールを決めたかったし、目立ちたがり屋だったので、その輪の中心にいるような子供でした」

――サッカーを始めた当初、GKにどのような印象を持っていましたか。
「多分、小学生の頃にGKというポジションを認識し始めたと思います。その時はユニフォームが一人だけ違うし、グローブも着けられるので、すごく格好いいなと思っていた。僕は小学生の頃に野球もしていましたが、一人だけ防具を着けられるキャッチャーだったので、違う見た目でプレーすることが好きだったのかもしれません」

――サッカーを始めたばかりの頃はGKに対してマイナスのイメージを持つ選手も多いと思いますが、そうではなかったのですね。
「兄弟でサッカーをするときに、僕はいつもGKをやらされていました。その中でシュートを止める楽しさを感じていたし、横っ飛びしてセービングする映像を見て憧れるようになった。最初にテレビを見て憧れたのは、94年のアメリカW杯に出場していたベルギー代表のGK(ミシェル・)プロドームです。彼のきれいなセービングや難しいボールを簡単にキャッチする姿を見て、ものすごく影響を受けました」

――本格的にGKとしてプレーし始めたのはいつからですか。
「小学4年生のとき、ヴェルディのセレクションをGKで受けて受かってから本格的にプレーするようになります。週に1度はトップチームのGKコーチから指導を受けられ、ゲストでトップチームの選手が来てくれるので、手本となる選手のプレーを間近で見られて嬉しかった。あと、『GKはどうあるべきか』『どれだけステップが大事か』など細かい部分まで教えてもらえた経験はすごく大きかったと思います」

――東京Vの下部組織でプレーしていたときはどのようなGKだったのでしょう。
「ゴールが小さいこともありましたが、失点した記憶がないですね(笑)。チームは常に優勝していたし、僕も大会のベスト11に入っていて、褒められることが当たり前だった。でも、僕は大人から褒められても、『本当はそんなこと思っていないでしょ?』と疑いを持つ子供だったので(笑)、奢ることなくプレーしていたと思います。中学3年生まではフィールドプレーヤー用のユニフォームも用意してもらい、フォワードとして点を決めることもあったけど、走るのが苦手だし、体力もなかったのでフィールドプレーヤーとしては厳しいだろうと思っていた。身長が高くはなかったので、スタッフの中には『GKではなくフィールドで』という流れもありましたが、僕はGKがやりたかったし、やっぱり好きでした」

――GKとして、それだけの結果を残していた頃、どのような将来像を描いていましたか。
「僕は埼玉県出身でしたが、ヴェルディの練習のために東京まで通っていました。家族への負担は間違いなくあったし、交通費もすごくかかったと思う。その生活を続けていくうちに、『自分はプロサッカー選手になって、親に恩返ししないといけない』と思うようになったことが、プロを意識し始めた第一歩です。『プロになりたい』ではなく、『プロにならないといけない』と考えていました」

――しかし、ユースからトップチームへの昇格は叶いませんでした。
「悔しい気持ちより先にきたのは、『おふくろ、ごめんなさい』という気持ちだった。僕はヴェルディに8年もいたので、そこでプロになって活躍し、親に恩返しをするというイメージしか持っていなかった。すぐに母親に電話したのですが、僕の親はポジティブな方なので、『あきらめていないなら、迷わず行けばいいんじゃない』と背中を押されました。大学に行くイメージはなかったので、当時のユースの監督だった都並(敏史)さんに『僕はプロとしてやりたい』という話をして、他のチームのセレクションを受けに行きました」

03年に横浜FCに加入してプロとしての道を歩み始めた

何の力にもなれないまま負けるのは
こんなに悔しいものかと感じた


――03年に加入した横浜FCでは1年目から出場機会をつかみ、その後はレギュラーとして確固たる地位を築きます。
「プロで通用するという感覚をつかめました。ただ、ヴェルディのユースからトップチームに上がれなかったことで、自己評価と他人の評価は違うと実感していた。他人の評価が分からないなら、成長し続けなければいけないし、やり残すことだけはしたくないという思いがありました」

――08年には、南雄太選手(現横浜FC)という絶対的な存在がいる柏に移籍します。GKには1つしかポジションがない中、移籍を決断した理由は?
「レイソルは前年にもオファーをくれていて、2年連続で熱いオファーを頂いたので、相手が南選手だろうが、誰だろうが勝負してみたい気持ちになった。どのチームにも競争は必ずあり、そこで勝てなければそれまでの選手という感覚だったし、試合に出るのは絶対に自分だと思って移籍しました」

――18年に京都から札幌に移籍する際も、札幌にはク・ソンユン選手(現大邱FC)が正GKとして在籍していました。同じような状況でのチャレンジとなります。
「札幌からオファーを頂く前に、自分の衰えを感じるというか、燃えるものを感じられなくなった時期があります。ただ、ミシャ(ペトロヴィッチ監督)が監督に就任するタイミングでオファーを頂いたので、前向きな気持ちになれた。僕は今までミシャのチームと対戦してきましたが、毎回『どうやったら、こんなサッカーができるのだろう』と感じていたし、初めて一緒にやってみたいと思った監督でした。ミシャのサッカーをしている選手たちが、ずっとうらやましかったので、迷わずに移籍を決断しました」

――それまでは第1GKとして多くの期間を過ごしてきましたが、札幌で初めてシーズンを通じ、第2GKとして過ごすことになります。
「自分が出ていない試合で負けることほど悔しいことはありません。自分がピッチに立てず、何の力にもなれないまま負けるのは、こんなに悔しいものかと感じたし、無力さを感じたのは初めてでした。でも、僕は第2GKとは思ってはいなかった。試合前日までは自分が試合に出るつもりで準備し、先発を外れたら第1GKのサポートを100パーセントの力でやります。ただ、試合翌日には『次の試合は自分が出る』と思っていたので、オフ明けの初日に第2GKとしてグラウンドに入ったことは一度もありません」

――昨年のルヴァン杯では準決勝まで全試合フル出場でしたが、決勝戦だけク・ソンユン選手が出場し、チームは敗れます。相当の悔しさが残ったと思います。
「監督が下した判断なら100パーセント受け入れるし、チームが勝てば良いと思っていました。僕が本当に悔しかったのは、『良くやった』という風潮があったことです。試合に負けたことと同じくらい、そう見られているのが悔しかった。僕は何度も決勝で負けたことがあり、2位のチームは最下位や初戦で負けたチームと同じだと思っているし、『良くやった』と言われるのは優勝したチームだけだと思う。初めて決勝を経験した選手が多いので、仕方のない部分もあります。僕が多くの経験を積んでいなければ、同じように『良くやった』と感じるかもしれませんが、一人でも今の僕と同じような気持ちの選手がいれば、このチームはもっともっと強くなると思っています」

――ピッチに立てない時期を経験して、心構えが変わった部分はありますか。
「間違いなく、終わりから数えた方が早いのが僕の残りのサッカー人生です。1試合1試合が決勝戦ではないけど、人生を賭けてやっています。年齢を重ねた選手がミスをすると、『年齢が…』という見られ方をするし、一つひとつのプレーが人生を左右すると思う。そういう意味ではプレッシャーを感じますが、今はそのプレッシャーを楽しんでいます」

――年齢を重ねたことでの変化もあるようですね。
「練習から今日が最後だと思ってやっています。それは2年前の18年に河合竜二さんが見せた姿からも影響を受けました。練習試合に中途半端なモチベーションで臨んでいた選手に対し、河合さんが『俺にとっては最後かもしれないんだ』と怒鳴ったことがあります。河合さんはそのシーズン限りで現役を引退しますが、『最後かもしれない』という気持ちで毎日やらないとダメだと感じたし、すべてを出し尽くしたいと思った。一日も無駄にはできないという気持ちは、あの日から大きく変わったと思います」

――チームメイトには年下の選手も増えましたが、接し方で意識していることはありますか。
「30歳くらいから考えるようになりましたが、自分からは何も言わないようにしています。『こうした方がいい』『それは止めた方がいい』という言葉が喉まで出かかっても我慢します。自分で気付かない人は永遠に気付かないし、興味がないことを言われても人は変わりません。本当に変わりたいと思う人、興味がある人は自分から動くと思うので、意見を求めてきた選手には、自分が経験してきたことをすべて話したいと思っています」

――3~4人で形成されるGKチームは仲間であり、ライバルだと思います。関係性を築く上で重要なことは?
「『自分が一番うまい』と一人ひとりが思っていても、誰を使うか決めるのは監督です。だから、そこでお互いを意識し過ぎるのではなく、自分に矢印を向けて成長させることが重要です。『お前はお前。俺は俺』と自分のスキルを伸ばすために練習に取り組めば、お互いの良い部分もどんどん吸収できると思う。監督に全員がオンリーワンと思わせることが大事だと思います」

柏在籍時の11年にはJ1昇格即優勝の快挙を成し遂げた

僕の夢は一つも叶っていない
成長したい気持ちが切れることはない


――179センチとGKとしては決して大きくはないと思いますが、苦労したことはありますか。
「身長で悩んだことはないけど、大きいに越したことはありません。僕の持論としても、GKとしての能力が同じなら大きい選手を使います。それは、どんな監督であろうとも同じだと思う。だからこそ、この身長でもやれると示したかったし、どこかで差をつけないといけないと思っていました」

――どういう部分で差をつけようと考えたのでしょうか。
「シンプルにゼロに抑えてチームを勝たせる部分です。まずGKに求められるのはゼロに抑えることだし、ビルドアップでミスをしても、ゼロに抑えてチームが勝てばGKの評価は上がるはずです。GKの一番大事な仕事は今も昔も、この先も永遠に『ゼロに抑える』ことです。僕はそう思っているし、それは身長が2メートルだろうが、1メートルだろうが一緒です。どんな選手であろうと、GKが目指すものは同じなので、そこで差をつけられればと思っていました」

――無失点という結果を導くために意識したことは?
「育成年代のときは、とにかくシュートを受けました。いろいろな選手のシュートを受けたり、いろいろなシチュエーションのシュートを受けたり、照明が消されるまで周りの人に付き合ってもらっていた。もちろん、GKの基礎練習はすごく大事ですが、シュートを受けることが一番の練習になると思うので、その部分は特に心掛けていたと思います」

――GKの醍醐味や面白さを改めて教えて下さい。
「言い出したらキリがないけど、やっぱりゼロで抑えて勝ったときほど気持ちの良いものはありません。シュートをあまり打たれないでゼロに抑えるより、相手のすごいシュートをセーブしてゼロに抑えたときの方が僕は気持ちが良いです。あと、小さな頃からずっとサッカーをしてきましたが、サッカーをしていると『生きている』という実感がわいてきます。試合に出ないとミスもできないし、成功もありません。やっぱり『試合に出る』ことは、イコール『生きている』のだと感じられます」

――GKは一つのミスが失点につながるポジションです。ミスをした後、自分をどのようにコントロールしてきましたか。
「試合中は考えないようにするし、一生懸命切り替えます。家に帰ると『何であんなことしてしまったのか』と振り返りますが、僕は突き詰めるタイプなので、答えが出るまで考えます。考えて、考えて、それでも答えが出なくても考えることに意味があると思っている。ミスをした後に『今日は皆で飲みに行って忘れよう』というのは結果的に何の解決方法にもならないので、とにかく突き詰めることが大事だと思います」

――ここまで10年以上、なぜGKとして日本のトップを走ってこられたと思いますか。
「僕の夢は一つも叶っていません。サッカー選手になることは当たり前のことだと思っていたし、プロとして試合に出ることもそうです。でも、海外には一度も出ていないし、ワールドカップにも出場していない。僕の夢は何も叶っていないので、もっともっと成長したい気持ちがあるし、その気持ちが切れることはありません」

――尽きない向上心が原動力となっているのですね。先ほど、終わりから数えた方が早い残りのサッカー人生と話していましたが、その中でどのようなGKになっていきたいか理想像を教えて下さい。
「理想は1シーズンを無失点で終えられるGKです。どんなミスをしても、点だけは取らせない。そこは突き詰めていきたい。あと、僕は小さな頃から世界で一番のGKになりたいと思っていたし、今もそう思っています。世界一のGKならば、世界のどのクラブに行っても第1GKとしてプレーできるだろうし、五輪やW杯で必要とされるGKだと思うので、これからも目指していきたいです」

――最後にGKとしてプレーする若い選手たちにメッセージをお願いします。
「身長が決して高くはない僕でもプロになれました。僕はベンチプレスを誰よりも上げられるわけではなく、50メートルを走れば周りから笑われるくらいのタイムしか出せないし、垂直跳びも誇れる数字を出せるわけではありません。すべての部分が優れているわけではないけど、そんな僕でも、ここまでの選手になれました。僕と同じくらいの身長の選手でも、GKとして生きていける可能性は間違いなくあります。たとえ身体的に何を言われようが、自分に自信がある限り、自分が熱くなれている限りは続けてほしい。継続するという才能は誰にでも兼ね備えられているはずです。だから、自分を信じて最後まで諦めないでほしいと思います。あと、世界的に見ても、フォワードの次にGKが評価されるポジションになっていると感じています。点を取れる選手と同じくらいの評価を得られる大事なポジションだと思うので、GKの成長が日本サッカーのレベルを上げることにつながっていると思っています」

【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!


(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

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