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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:スタートライン(FC東京U-15深川・2017年度卒団生)

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山梨学院高GK熊倉匠(右)と青森山田高MF安斎颯馬FC東京U-15深川時代のチームメートが直接対決。(写真協力=高校サッカー年鑑)

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 あの日に叶わなかった日本一へ到達した熊倉匠(3年)は、“彼ら”への想いを問われると、こう言葉を紡いだ。「本当に支えてもらっているなと思っていて、やっぱりあの負けの瞬間、みんなには正直顔を合わせられなかったんですけど、それでも『オマエのおかげでここまで来れたんだよ』とか、そういう声を掛けてくれたから、自分は高校に入って頑張ろうと思えました。それが決勝でこうやって同じチームだったヤツと戦えるのは本当に素晴らしいことですし、嬉しいことだったので、アイツらには感謝したいなって、素直に思います」。3年前。全国準優勝という悔しさを共有し、それを糧に成長し続けてきた“彼ら”は今、また新たな目標を掲げたスタートラインへ立つことになる。

 2017年12月28日。FC東京U-15深川の“彼ら”は味の素フィールド西が丘のピッチで、必死に上を向いていた。中学年代日本一を懸けて臨んだ高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会決勝。サガン鳥栖U-15との一戦は激闘となる。先制を許したものの、青木友佑のゴールで同点に。もつれ込んだ延長では、後半6分に安斎颯馬のFKからキャプテンの常盤亨太が逆転弾を挙げて、王座に手を掛ける。

 だが、勝利目前のアディショナルタイム。GKの熊倉匠が痛恨のジャッジミスで与えた間接FKから、鳥栖が執念の同点弾をねじ込むと、そのままPK戦も制して優勝。掴み掛けていたタイトルは、するりと手元から逃げていく。FC東京U-15深川の“彼ら”は、中学最後の試合で言いようのない悔しさを突き付けられ、それぞれの進路へと旅立っていくことになった。

 最初に日本一へ到達したのは、山梨学院高へ進学した熊倉だった。1年生の三重インターハイ。自身は出場機会こそなかったものの、先輩たちが勝ち獲った全国優勝をベンチメンバーとして経験する。だが、本人は「その時は試合に出られなかったので、悔しい想いはありました」と回想。自らの力で頂点に立つことを、より強く自分に誓う。

 次にチームが日本一を達成したのは、青森山田高に進学した安斎。檀崎竜孔(ブリスベン・ロアー)や三國ケネディエブス(アビスパ福岡)らを擁し、平成最後の高校選手権優勝を鮮やかにさらっていったが、圧倒的な選手層の中で安斎はメンバー入りを果たせず、次こそは自分もあのピッチに立つことを、より強く自分に誓う。

 FC東京U-18へと昇格したメンバーも、各々が隣の“天然芝”を目指して奮闘していた。常盤亨太は2019年を「自分の中ではずっとサッカーをやってきた中で一番成長した年」と振り返る。「プリンスリーグで優勝したこととか、プレミア参入戦も勝って、J3でデビューしてゴールしてと、いろいろあった変化に対して良い形のチャレンジができたから、成長もできたかなと思います」。昇格の叶わなかった仲間の想いも背負い、プロサッカー選手になりたいという渇望が全面に現れていた。

 新良介は人間性を磨くことの大切さを口にする。「サッカー選手である前に高校生なので、挨拶だったり、時間を守ることだったり、身だしなみの所や、そういう当たり前のことができないと、ピッチの中でもしっかりできないと思うので、そういう所を重点的にやりながら、人間的にもサッカー選手としても大きく成長できたらと考えています」。サッカーはやって当たり前。ピッチ外にも注力することが、自分の成長に繋がることを十分に理解していた。

 佐藤恵介は慣れ親しんできたポジションからのコンバートを受け入れる。「中学からずっとサイドバックだったんですけど、サイドハーフにも慣れてきました。小学校の頃は前の選手だったので、懐かしい気持ちというか、ワクワクする気持ちは芽生えてきましたね」。トップチーム昇格を目指しつつ、チームのために戦える選手になりたいと、日々の積み重ねにしっかりと目を向けていく。

 青木友佑は自分自身と向き合っていた。1年時からプレミアリーグでもプレーし、ゴールもマークしていたが、2年時は左右のヒザのケガに悩まされ、ほとんど1年間を棒に振ってしまう。「自分の中で『またサッカーできるのかな』っていう不安な気持ちになったり、『もうやめた方がいいのかな』とか、そういうことを考えた時もありました。『サッカーから離れた方がいいのかな』って」。それでも、またボールを蹴ることのできる日を夢見て、リハビリの続く毎日を懸命に過ごしていた。

 待ち望んでいた“古巣対決”を迎えた者もいた。一昨年の9月21日。前橋育英高に進学していた稲村隼翔は、小平で行われたプリンスリーグ関東でFC東京U-18と対峙する。結果は0-3の完敗。「常盤は中学生の頃からずっと仲良いんですけど、結構言ってくるタイプなので『余裕だったね』と言われて、何とも言えずに『クソー』と1人で思いながら(笑) でも、アイツの存在が一番刺激になっています」と振り返る表情にも、笑顔が浮かぶ。かつての仲間のプレーが、自分を前に進ませる何よりの活力になっていることを、稲村も実感していた。
 
 ライバルの存在を強く意識してきた者もいた。國學院久我山高で正守護神となった村上健は、かつてのチームメイトたちについての想いをこう明かす。「中学の頃は出場機会に恵まれなかったですけど、良いライバルだった熊倉匠とは対決してみたいですし、深川のメンバーと切磋琢磨し合ってこの高校生活を送ってきたつもりなので、そういった仲間と試合をして、自分が勝ちたいと思います」。2年時の選手権では全国出場を果たし、3回戦で昌平高に敗れたが、足元の技術を生かしたビルドアップへの参加は一際目を惹いた。

“彼ら”が高校2年の時も、最も日本一に近付いたのは安斎だった。帰ってきた選手権決勝の舞台。ベンチに入っていた15番は、2-2の同点で推移していた後半32分に右サイドへ送り込まれる。しかし、終了間際に失点を喫したチームは追い付くことができず、無念の準優勝。“彼ら”の中からトーナメントの全国制覇をピッチで経験する者はは、2年間で1人も出てこなかった。

 それぞれが日本一と、プロサッカー選手という大きな目標を掲げ、迎えた高校最後の1年は、想像と大きく異なる時間を強いられる。新型コロナウイルスの影響で試合どころか、ボールを蹴ることもままならない状況に。インターハイは中止。Jユースカップも中止。目標を叶えるためのステージが与えられない日々の中で、ようやくリーグ戦が再開されると、“彼ら”にとって最後の大会が用意される。進学組には高校選手権の、昇格組にはクラブユース選手権の開催が決定。負ければ終わりの一発勝負。3年前に届かなかった日本一へ。確固たる決意を抱き、最高の結果だけを求める集大成に向かっていく。

 12月30日。高校選手権の開幕を翌日に控えた年末の群馬。クラブユース選手権決勝のピッチで、昇格組の“彼ら”は再び必死に上を向いていた。2度のPK戦を潜り抜け、ようやくファイナルまで辿り着いたFC東京U-18。対峙するのは因縁の相手、サガン鳥栖U-18。双方に3年前の西が丘でもプレーしていた選手たちが顔を揃える中、試合は今回も白熱する。

 開始早々の前半2分にFC東京が先制するも、11分には鳥栖が追い付き、さらに後半28分には逆転ゴール。しかし、FC東京も36分に同点弾を挙げ、スコアを振り出しに引き戻す。そんな熱戦に決着を付けたのは鳥栖。45分に劇的な勝ち越しゴールを奪い、2-3でタイムアップ。3年前と同じ結果に、青赤の選手たちは冬の芝生へと崩れ落ちた。

 準優勝の表彰式。常盤、青木、佐藤は隣り合い、少し離れて新が並ぶ。一番泣いていたのは、3年前の決勝でPKを外していた佐藤。そのリベンジへの想いの強さが、堰を切ったように零れ落ちる。「恵介も熱い気持ちがあるヤツで。『ああ、また負けるのか』って。『優勝したかったな…』って言っていて、それがすべてかなと」。常盤が呟くように言葉を発する。

 スタンドには稲村の姿があった。國學院久我山の村上と同様に、高校最後の選手権は予選で敗退。この日はかつての仲間を応援するため、群馬に残って会場へと駆け付けたが、かつてのチームメイトが雪辱を晴らす瞬間を見届けたいという願いは、叶わなかった。

 6年間に及ぶFC東京での時間の中で、一番の思い出を問われた常盤は、こう答えた。「やっぱり3年前と今日が、3年間の集大成となる最後の大会で、この準優勝2つという、それが思い出ですかね」。昇格組の“彼ら”が目指した日本一への挑戦は、一足先に幕を下ろす格好となる。

 高校選手権にエントリーされた“彼ら”は全部で4人。その中の1人である市立船橋高佐久間賢飛は、自らの想いをこう語っていた。「山梨学院の笹沼とは『試合をやりたいね』って全国大会の出場が決まった後に話したので、実際に対戦して勝ちたいなと思います」。名門の10番を託された佐久間の奮闘もあり、市立船橋は準々決勝まで勝ち上がる。

 フクダ電子アリーナの1試合目では山梨学院が、プロ内定選手4人を擁する昌平に勝利。試合後のオンライン会見でキャプテンを務める熊倉は「大会が始まった時に電話して、『ベスト4で会えたらいいね。そこまで絶対頑張ろう』と話はしたので、アイツらが勝ってベスト4に来れれば、約束は果たせるんじゃないかと思います」と2試合目に臨む佐久間にエールを送る。だが、帝京長岡高を前に市立船橋は1-2で敗退。望んだ“再会”は目前まで迫りながら、実現しなかった。

 1月9日。準決勝。“彼ら”の中の2人が、それぞれの試合でヒーローとなる。第1試合は熊倉。帝京長岡とのゲームはPK戦へと突入したが、相手のキックを2本ストップする活躍を見せ、チームをファイナルへと導いてみせる。「テレビの向こうで応援してくれている仲間のために、今日のゲームは絶対勝って恩返ししたくて、絶対やってやろうという気持ちで戦いました」。自分の力で日本一を勝ち獲るまで、あと1つ。

 第2試合は安斎。堅守で鳴らす矢板中央高相手に、圧巻のハットトリックを達成。チームをファイナルへ導いてみせる。「中学3年生の時にお互い全国の決勝の舞台で日本一を獲れずに悔しい想いをしてきて、自分もクマも全国優勝したいという想いで決勝に挑むので、自分はクマから点を獲りたいですし、クマも自分には決めさせたくないと思っているはずですし、そこで良い対決ができたらいいですね」。自分の力で日本一を勝ち獲るまで、あと1つ。

 11メートルを挟んで、向かい合う。1月11日。決勝。PK戦という日本一を懸けたロシアンルーレットで、熊倉と安斎は11メートルを挟んで、向かい合う。

 壮絶なファイナルは12分。山梨学院の広澤灯喜が挙げたゴールで幕を開ける。青森山田もロングスローを中心に、ペナルティエリア内まで押し込むものの、熊倉が安定感溢れるプレーでゴールに鍵を掛ける。前半は1-0。山梨学院がリードのまま、ハーフタイムへ折り返す。

 後半は一転して、王者が牙を剥く。12分に得意のロングスローから、こぼれ球をキャプテンの藤原優大がプッシュ。同点に追い付くと、6分後に逆転弾を沈めたのは安斎。かつてのチームメイトが守るゴールを、自らの右足でこじ開けてみせる。1年前と、そして3年前と同じ準優勝はもう味わいたくない。大会の得点ランキングでもトップに躍り出る一撃で、青森山田が一歩前に出る。

 苦しくなった山梨学院は、25分に2枚替え。ここで笹沼航紀がピッチに投入される。今大会はスーパーサブ起用が続く7番も、3年前の決勝ではスタメンでピッチに立っていた“彼ら”の1人。準決勝までに熊倉と安斎が披露していたパフォーマンスを見て、秘かに燃える闘志を滾らせていた。

 33分。笹沼の左足がゲームを動かす。中央でボールを持つと、丁寧なスルーパスを縦へ。そのこぼれ球に反応した野田武瑠が、ゴールネットへボールを送り届ける。後半に入って、流れの中から初めて迎えたシュートチャンスを、演出したのは7番のレフティ。山梨学院も青森山田のしっぽを捕まえて離さない。延長戦でも決着は付かず。日本一の行方は、PK戦という残酷なルールに委ねられる。

 熊倉と安斎は11メートルを挟んで、向かい合う。笹沼は山梨学院の1人目として、きっちり成功。迎えた2人目。先行の青森山田は、安斎がペナルティスポットへ歩みを進める。「3年前にアイツと同じチームで本当に悔しい想いをして、決勝で対戦できて本当に嬉しかったですけど、やっぱり『アイツだけには負けたくない』という気持ちで臨んでいました」。熊倉も一切の邪念を捨てて、ゴールライン上に立つ。

 安斎の選択は自身の右。熊倉が反応したのは自身の左。「最後の最後まで我慢して、アイツの体の向きで『あ、こっちかな』と思った」と熊倉。誰よりもこの日の勝利を渇望してきた2人の明暗は、気まぐれなサッカーの神様によって、くっきりと分けられる。4人目も失敗した青森山田に対して、4人全員が成功した山梨学院に凱歌が上がる。3年間の日々を、離れた場所でお互いに切磋琢磨してきた“彼ら”の中で、熊倉と笹沼がとうとう日本一の栄冠を自らの力で手繰り寄せることに成功した。

 涙の止まらない安斎に、熊倉が歩み寄って声を掛ける。「試合中も『ナイスキーパー』と声を掛けてくれて、3年前の思い出が甦りました」。埼玉スタジアム2002のピッチの中で、3人だけが共有している想いが、それぞれの胸に去来する。この瞬間は勝者と敗者だが、苦楽を共にした仲間という事実に変わりはない。そのことは、あの日の日本一に届かなかった“彼ら”全員がよくわかっている。

 昇格組も、進学組も、“彼ら”の中にこのタイミングでJリーガーになる者は1人もいない。ここからはまた、日本一と同じぐらい大切にしてきた『プロサッカー選手を目指す戦い』が幕を開ける。常盤はクラブユース選手権の決勝で敗れた際に、こう言い残している。「この悔しさは自分がプロになるために必要だから、こういう結果になったのかなと思っていて、この悔しい気持ちを次の4年間にぶつけたいですし、絶対にプロになるという気持ちはさらに強くなりました」。横一線。新たな目標へのスタートラインは等しく用意されている。

 あの日に叶わなかった日本一へ到達した熊倉は、“彼ら”への想いを問われると、こう言葉を紡いだ。「本当に支えてもらっているなと思っていて、やっぱりあの負けの瞬間、みんなには正直顔を合わせられなかったんですけど、それでも『オマエのおかげでここまで来れたんだよ』とか、そういう声を掛けてくれたから、自分は高校に入って頑張ろうと思えました。それが決勝でこうやって同じチームだったヤツと戦えるのは本当に素晴らしいことですし、嬉しいことだったので、本当にアイツらには感謝したいなって、素直に思います」。3年前からあるいは誰よりも自身を責め続けてきた男の戴冠は、かつてのチームメイトに大きな勇気を与えたことだろう。

 悔しさは必ず成長の糧になる。“彼ら”の4年後がどうなっているのか、今から楽しみでならない。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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