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選手権準Vも「自分は陰でやっている」と表現していた坂元達裕、“清武の予言”も的中、ついに日本代表初選出

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東洋大時代、エースとしてチームをけん引した坂元

 18日、日本代表メンバー23人が発表になった。セレッソ大阪のMF坂元達裕ら8選手が初招集されるフレッシュな陣容となった。同代表は25日に日産スタジアムで韓国代表と国際親善試合、30日にフクダ電子アリーナでモンゴル代表とW杯アジア2次予選を行う。

 24歳にして初めて日本代表のユニフォームに袖を通すことになった坂元は、所属するC大阪を通じ「一つの目標だったので嬉しく思います」と喜びを語った。

 地道な努力で成長を遂げてきた。中学時代はFC東京U-15むさしに所属したが、ユース昇格が見送られたことで前橋育英高に進学。3年時に出場した全国高校選手権では全試合に先発出場。準々決勝の京都橘戦でゴールを決めるなど、準優勝に貢献していたが、当時は世代別代表の常連だったMF渡邊凌磨(FC東京)やMF鈴木徳真(徳島)が話題の中心で、坂元に注目が集まることは少なかった。

前橋育英高時代(写真協力『高校サッカー年鑑』)

 当時について坂元も「すごい選手たちがいる中で、自分は控えめというか、陰でやっている感じがあった」と振り返ったことがあった。「そこが自分では嫌だと感じていた」。意識を変えようと、中心選手になる決意を持って東洋大に進学。そして4年生で10番を背負うと、初のインカレ出場にも導いた。

東洋大時代

 大学屈指のアタッカーに成長した坂元は、プロ生活をスタートさせたモンテディオ山形でルーキーイヤーから主力として活躍。J2リーグ戦全試合に出場する欠かせない戦力となり、2年目にはJ1・C大阪へステップアップを遂げた。そしてC大阪でもすぐにレギュラーに定着。J1で33試合に出場するなど、実力を存分に発揮した。

 レヴィー・クルピ監督に代わった今季も開幕から先発を続けると、17日の大分戦では後半42分にスーパーゴールを突き刺し、強烈な存在感をみせつけた。Jリーグ公式サイトによると、試合後の会見で指揮官が「彼の将来がどうなるか断言はできませんが、技術的には本当に非凡なものを持っている。日本を代表するアタッカーになるんじゃないか」と絶賛したように、日本代表選出への期待も高まっていた。


 C大阪に加入当初、MF清武弘嗣がファン・サポーターとの交流イベントで「タツは化けると思います。頭がいいし、本当にドリブルのキレに衝撃を受けた。そんなに体は大きくないけどボールもキープできるし、代表いけるんじゃないかなって思ってる」と“予言”したことがあった。そのイベントから1年後に見事に掴み取った日本代表。「しっかり結果を残してチャンスを掴み、成長してチームにも還元したい。頑張ってきます!」。自身を「陰」と形容していた過去の姿はもうない。J屈指のレフティーアタッカーが、日本中のサッカーファンにその存在を知らしめる。

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