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1年前ならば「違ったメンバー」、強調された「現時点でのベスト」…“追い込んだ”谷&三笘&相馬

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左からGK谷晃生、MF三笘薫、MF相馬勇紀

 東京五輪に臨むメンバーが22日に発表された。DF吉田麻也(サンプドリア)、DF酒井宏樹(浦和)、MF遠藤航(シュツットガルト)とA代表の主軸がオーバーエイジとして選出され、DF冨安健洋(ボローニャ)、MF堂安律(PSV)、MF久保建英(ヘタフェ)とA代表に名を連ねる五輪世代が融合した“最強チーム”が形成された。

 メンバー発表会見で森保一監督が強調したのは、「金メダルを獲得するため、現時点でのベストなメンバー」だということ。これが1年前でも、1年後でも異なるメンバーが選出されていただろう。

 新型コロナウイルスの影響を受け、東京五輪は1年の延期に。約4か月の中断期間を挟んだJリーグも、再開後は過密日程を余儀なくされた。各チームは若手を積極的に起用し、多くの選手が頭角を現すことにつながった。同時に、この間に海外へと新天地を求めた選手、国内での移籍を決断した選手もおり、身を置く環境にも変化が生じた。

 特に、東京五輪世代の代表でなかなか結果を残せていなかったGK谷晃生(湘南)やMF三笘薫(川崎F)、MF相馬勇紀(名古屋)などは、この期間に自身の立ち位置を大きく変えた選手と言える。

 20年にG大阪から湘南に期限付き移籍した谷は、シーズン途中にJ1デビューを飾り、その後はレギュラーポジションを奪取。クラブでの活躍が評価につながった。代表では20年まで出場はわずかに1試合で、先発出場もなかったが、21年3月のアルゼンチン戦で初先発を飾ると、一気に18人のメンバー入りを果たした。

 代表でなかなか本領を発揮できなかったのは三笘も同様。チーム立ち上げ当初から招集はされていたが、18年8月のアジア大会ではコンディション不良もあり、決勝トーナメント以降の出場はゼロ。その他の活動でも先発に名を連ねる機会は限られ、20年1月にタイで開催されたAFC U-23選手権では、国内組を中心に編成されたチームでメンバー外になっていた。しかし、20年のJ1リーグで大ブレイクを果たすと、代表でも21年の3月シリーズ、6月シリーズで存在感を示し、五輪行きの切符を手に入れた。

 逆に相馬は、そのAFC U-23選手権でハイパフォーマンスを披露した選手だ。それまで、代表の活動に参加したのは19年のトゥーロン国際大会のみだったが、AFC U-23選手権でアピールを成功させ、その後に行われた活動のすべてに参加。自身の存在価値を証明し続け、見事に生き残りを果たした。

「去年、20年に本来の日程で行われる東京五輪であるならば、今のメンバーと違ったメンバーになっていると思う。現時点でベストなメンバーということで、東京五輪メンバーを選ばせてもらったし、3か月後、6か月後、1年後となれば、また変わったものになる」

 指揮官がそう語ったように、もし20年に東京五輪が予定通りに開催されていたら、今回発表された18人とは異なるメンバーが選出されていただろう。しかし、東京五輪が開催されるのは21年。今夏だ。延期された1年という期間で、自らの能力をしっかりと示し続けた選手たちが、「現時点のベストメンバー」に名を連ねることになった。

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