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なでしこジャパン高倉麻子監督 退任会見要旨

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退任が決まったなでしこジャパン高倉麻子監督

 なでしこジャパンの指揮官を退任することが決まった高倉麻子監督が27日、オンラインで会見を行った。

 高倉監督の会見要旨は以下のとおり

●今井純子女子委員長
「2016年4月からなでしこジャパンの監督を務めていただいた高倉監督は今月末をもって任期満了ということにさせていただきました。2016年4月、リオ五輪予選に負けて、そこからピンチをチャンスに、再びなでしこを世界一に、W杯から東京五輪にというすごく難しいチャレンジに、先駆者として快く受けて立ってくれたことに感謝している。私もその時から女子委員長になったが、高倉監督にはA代表、なでしこジャパンの監督というだけでなく、女子サッカー全体の発展に向けて助言ももらいながら相談もしながらやってきた。高倉さんは地域のトレセンコーチからやっていて、現場の肌感覚をすごく理解されていた方なので、女子サッカー全体のことに対して知識も見識も高い方で、それもありがたく思っている。世界女子サッカー仲間は仲が良くて、世界の女子サッカー全体をまだまだ発展させていこうというとてもいいグループだが、そのなかでも高倉さん持ち前のコミュニケーション力で世界の女子サッカー仲間のなかでいいグループでいいコミュニケーションをとって、世界の中でのプレゼンスを高めてくれたと思っている。さまざまな世界の大会や会議に一緒に行ったが、世界の中でどのようにやっていくべきか、どのように貢献していくべきかをともに考えてくることができた5年間だった。5年間、それより前からの高倉さんの貢献に心から感謝している」

●手塚貴子女子副委員長
「私は高倉監督とは選手時代から、中学生の時から一緒だった。その後、指導者になった時も同じ時代を過ごしてきた。いま委員長からも話があったが、なでしこジャパンの監督としては5年間だったが、その前から日本女子サッカー界に貢献していただいたことに本当に感謝しているし、貢献度が高いと思っている。選手の時は日本のためにプレーヤーとして戦っていただいたし、指導者としてはエリートプログラムからアンダーカテゴリの監督をしていただいて、そこで世界を獲って、その選手たちをなでしこでも育てていただいたと思っている。私は2019年W杯が終わってから団長としてなでしこジャパンに帯同し、監督とともに戦ってきた。監督は明るい性格なのでポジティブにいろんなことを前向きに捉えてくれていた。そういったことを目の当たりにして尊敬もしているし、日本の女子サッカーのために貢献してくれたと思っている。感謝したい」

●高倉麻子監督
「今回、東京五輪を終えて、残念ながら自分たちが望んだ結果ではなかったが、一つの区切りとして、私自身は8月末をもって退任することになった。本当は皆さんの前でこうした小さな機械(リモート端末)にお話をするのではなく、みんなと顔を合わせて話したかったが、こちらからお話しさせていただきます。

 5年間なでしこジャパンの監督という非常に責任ある立場を任せていただき光栄だったし、私自身は話を受けた時はもちろん、女子サッカーの世界中の発展を考えれば難しい挑戦になると覚悟を決めた上で引き受けた。終わってみれば5年という時間が長かったか短かったかはなかなか判断しかねるが、毎日、日々、日本の良さとはなんなのか、世界と戦っていくためにどのような武器を持って戦っていくべきかを、国内リーグを見ながら、もちろん海外のリーグを見ながら模索する日々だったなと思う。いつもそのことを考えてきた。代表活動なので長い時間を選手とともにすることはできなかったが、いかに短い時間でやりたいことを落とし込んでいくかは非常に難しかったが、選手が非常にポジティブにトライしてくれた。

 その中でアジアの大会では一定の結果は選手の頑張りで取ることができたと思うが、2019年のW杯、今回の五輪を含め世界では思ったように結果が出なかった。私自身の力のなさだと思うが、世界の女子サッカーが急激に進歩しているということを感じている。その進歩の種を蒔いたのは2011年のなでしこジャパンのサッカーだったのかなと。発展の種を巻き、その花が世界中で咲き、こちらがまた挑戦しているという状況なのかなと思う。

 五輪はこうしたコロナ禍でたくさんの方々の尽力によって開催できたことに感謝の気持ちしかない。ただ1年延期になったこと、チーム作りで難しい部分はあったと思う。振り返ってみると、いろんな規制がかかる中で五輪初戦まで約1年半、海外の強豪国と試合ができなかったことで、初戦から相手のスピード・パワーに対して受けて立ってしまった難しさがあり、その中で自分たちの力を考えればメダルまで簡単な試合はなく、修正をかけないとそこには届かないというのを自覚しながら進んできたが、エンジンをかけていくこと、強度に選手がそういった強度に対応できていく中で試合が終わってしまった。

 ただ最後のスウェーデン戦、力的には一番勢いがあったチームだと思うが、そんなチームに対して日本らしいサッカーができたと思う。早い時間に失点する課題はあったが、最後まで勇気を持って戦ってくれたと思う。私が考えてきた日本の技術、戦術理解、献身性、持久、アジリティで丁寧にパスを繋いでサッカーをしていく、相手の布陣を壊すのではなくサッカーを作っていくというところで良いチャレンジができたと思う。課題はどの時代にもどのチームにもある。

 この結果が決して良かったわけではないということで、全てを否定するのではなく、積み上げてきたものを自分たちで信じて、またしっかり立ち上がって前に進んでいくことが大事だと思う。本当になでしこリーグとともに歩んできた、一緒に両輪で歩んできた時間だと思う。この先WEリーグが始まり、選手たちはプロになってより多くの時間をサッカーに使えるので、一選手として、一人の女性として、一人の人間として素晴らしい時間を過ごしていってほしい。女子サッカーのますますの飛躍と発展を自分自身も望みながら過ごしていきたい」

―—今回は任期満了だが、本来の気持ちではまだ続けたかったのか。そこに対する思いは。
「日々長い時間をなでしこの監督として過ごしていく中、五輪は一つの区切りだと思っていた。もしメダルが取れていたとしても、自分としては退く時なのかなということもちょっと思っていた。特に任期満了でこの立場を離れることに関してネガティブなことは何もない。次にバトンを渡す時がきたのかなと思う」

―—スウェーデン戦後、女子サッカー全体を見渡しての課題で「どう武器を磨いていくか」と話していたが、これまでいろいろと振り返る時間があった中、あらためて今後の女子サッカーはどういうふうに育てていくのが良いか。
「日本の女子サッカーが世界に出て行ってから、常にフィジカル、インテンシティとの戦いは常にあった。今回はサイズもそうだし、一瞬の爆発的なパワーという意味でも、どうしても差が出てしまう場面はあったと感じている。ただそこで私たちは勝負するのではなく、より技術的な部分、コンビネーション、試合の運び方も含め、そういった上手さ、精度を高めていくことが日本の道かなと自分自身は感じている。どの分野を見ても日本人はとても器用だと思う。それを武器にしつつ、もちろんフィジカル的な要素にも大きな課題を持ちながら進んでいければと思う」

―—スウェーデン戦のあとに「武器のもう一つ先」といった趣旨のコメントされていたが、なでしこが持つ武器はみんなが持っていたと思う。そこにプラスする部分は精度に加えて、どのような部分があればもっと戦えたと思っているか。
「日本が持っている技術的な部分、組織的な守備もしかり、コンビネーションもそうだが、みんな持っていたと感じたかもしれないが、日本が持っている細かい技術は他の国が持っていたものとは違ったと思っている。人を外すことであったり、コンビネーションもより細やかだし、その中で戦っていけたらというのは常々選手にも話をしている。それは精密機械じゃないけど、ちょっとズレただけでも相手の圧力に潰されてしまうというものでもある。なので、フィジカル要素。ちょっとズレた時にも身体能力でカバーできるだったり、そこを高めていかないといけないというのは持ちつつ、やはり精度。技術もそうだし、タイミングもそうだし、日々細かいところにこだわりながら、日々どれだけ細やかな部分を積み上げていけるかが大事なのかなと思う」

―—どのような形でサッカーに携わりたいと考えているか。ナショナルチームの仕事を引き受けたということについてどう考えているか。
「正直、話を引き受けるというふうになったときは、あまり考えると引き受けられないので、あまりにも重いなと思っていたので、考えないで飛び込んでいくと決めて引き受けた。やはり常々チャレンジする人間でいたいと思っているし、転んでも起き上がる人間でいたいと思っている。選手としても指導者としても道なき道を行く立場だったので、悩みは多かったけど、選手たちとたくさん笑ったこともあるし、ムカついたこともたくさんあるし、その中で丁寧に積み上げていけたと思う。結果が出なかったことに関しては自分自身悔しい思いしかない。ただチャレンジはしてきたので、また女子サッカーがこの先、大変なトライになると思うが、自分自身がそれに関わっていくのか、また何か全然違うことをやるのかは本当にまったく白紙で、どうするかは日々ぼやっと考えている」

―—代表監督になる前からいろいろなサッカー現場を見てきたと思うが、そこからサッカーをつなげるために変えてきた部分はあると思う。そこで手応えを感じたところは。
「自分自身が仕事をしているときは自分の周りが見えるだけだが、女子サッカーを世界の中、日本の中、育成のところ、もっと草の根のところと、うねりの中に身を置きながら一人一人だどれだけ努力できるかだと思っている。私自身は育成のところから携わらせていただいて、たくさんのボランティアで働く指導者の人々と触れて、そういう人の思いも背負って自分たちがいるということを常に感じていた。みんなが一体となって仕事をすることで力が何倍にもなると感じていた。縦の関係もそれほど濃くはなかった中で、自分自身が繋ぐことで未来に向けて一本線が引ければと思っていた。いまは少し風通しよくやれているかなと思うので、さらに現場で携わる方がこの幹を太くして、どんな選手が出てくるかということもあるだろうし、出てくるというためには育成の指導者の連携も必要。単発でやるのではなく、みんなと作り上げていく、時代の中で作り上げていくことが重要。揺るぎなく前に進んでいけたらいいし、そのことを強く願っている」

―—WEリーグが始まるが、どのように代表につなげてほしいか。
「プロとしてやっていかないといけないということを選手の口からもたくさん聞いている。なかなか選手たちも世代なのか、感情が表に出にくかったり、頑張りが表に出にくかったりする選手も多いが、覚悟を持ってプレーしてくれると思う。チーム関係者の方々もどうやって海外との強度の差をリーグにどう取り入れていくかを考えていかないといけないし、選手が海外に出る、または海外の素晴らしい選手たちをリーグに呼んでいくということもすごくシンプルな発想だけどあると思う。みんなで力を合わせて、知恵を合わせて進んでいければと思う」

―—とても攻撃的なチームで、2点取られても3点取りたいという覚悟のチーム編成だと思っていたが、五輪本大会ではコレクティブで守備の約束事を守る印象があった。守備にこれだけ針を振ったきっかけは。
「私自身もサッカーは攻守一体で、守備的、攻撃的という表現がされるが、相手との力関係で守備的な試合、守備的な時間帯、攻撃的な試合、攻撃的な時間帯もあると思う。あくまでも強気でボールを自分たちが保持してサッカーしたいと志向してきた。たださきほども話したが、1年半近く強度の高い試合ができなかったことは、いまになって思えばチームにとって残念だったというか、そのことを体感できずに五輪を迎えてしまったことは大きなマイナスだったのかなと正直思う。強いチームと何回も試合をして、なかなかうまくいかない中でもこれくらいならやっていけるという計算もありつつチーム作りをしてきたので。

 ただ、いろんな選手が関わって攻撃していくということに関してはゲーム全体の印象とスタッツはちょっと違っていて、シュート数ではどのチームにも大きく開いていたわけではない。ただ決め切るというところに関して一つパンチ力が足りなかったところは課題として残る。相手の強度、相性の中でやりたいことがやれるやれないはあったが、選手たちがやりたいサッカーを理解してトライしてくれたと思う。ただ1戦目はカナダを相手に先制点を早い時間で失ったことで、後ろに重くなって攻撃のアグレッシブさが出なかったところもある。イギリスも一発を持っているFWがいる中で少し後ろ体重になったことで、ゲームとして満足のいく内容にならなかったのは非常に残念だった。それ以降は持ち直して、自分たちのサッカーを表現してくれたと思う」

―—退任が決まったのはいつか。
「正式には今日の女子委員会で退任という形になったが、その前段階でいろんな話はあって、『区切りなので』という話があってこういう結論になっている」

―—いろんな話をしたという理解があるが、協会からの反応はどのようなものだったか。また戦い方について協会から注文があったのか。退任にあたって高倉監督から話したことは。
「今回の五輪で1戦目、2戦目を戦って、なかなか思うような戦いにならずに、だいぶ批判を受けたというふうに自分自身は感じていた。選手もコロナ禍で部屋にずっと一人でいる中、そういったものを目にして、選手たちが自信というか勇気というか、そういったものを…抜かれていくじゃないけど、そういった様を見る中で、私自身も初めての感覚だったが、非常に難しい戦いだったなと思う。観客もいない中、なんとなく誰にも応援されていないんじゃないかという感覚になってしまったり、そういったなかで勇気を奮い立たせていく難しさを感じた。それでも一戦一戦戦っていくこと、成長していくことはみんなが最初に話していたので、よく持ち直してやってくれたと思う。それは自分自身の感覚だが。

 協会のほうからは会長もそうだけど、いま現在の状況のなかでは特に最後の試合、スウェーデンに対して1-3という結果だけど、互角とは言えないが、それに近いような試合をしてくれたことはよかったんじゃないかと言っていただけた。日本のスタイルに関しても、もちろんこれで完成はまったくしていないし、日本の良さを全て表現できたとも思っていないが、進むべき方向は大きくずれていないんじゃないかという話は出ている。もちろん積み上げや、いろんなものを大きくしていくことは必要だが、自分の希望どうこうではなく、五輪で潮目だなというのは自分自身も思っていたので、あまり自分が続けたいとは思っていなかった。女子サッカーがまた発展していくために選手もそうだし、指導者もいろんなパワーを受けながら、違う風を受けながら進んでいくことが大事だと思う。自分自身が残せることは全て伝えていきたいし、私が全て正しいわけでは全くないので、また上乗せして進んでいく方向を見定めながら進んでいってもらいたい」

―—スウェーデン戦の直後に「世界に足りないものはすぐに思い浮かばない」と話していて、そのあと「伸びの幅が足りない」と言っていた。今回はフィジカル、決め切る力というのが断片的に出てきたが、ここが足りなかったという部分はいくつかあるか。また世界の伸びの幅に極東で、国際試合が難しいコロナ禍でどう伍していくべきか。
「足りなかったことは先ほど言ったようにいろんな局面での強度であったり、サッカーはゴールを奪う、ゴールを守るスポーツなので、作るところではなくどんな形であれペナルティボックス内で決め切る力が本当に必要だと思う。ただなかなか絶対的なストライカーみたいな選手が出てくるのを待つわけにはいかないので、また月日が流れる中でまたそういう選手が出ることもあると思うが、いかにコレクティブにゴールに向かうかも大事だと思う。一言で言えばペナルティボックス内での仕事、ゴールキーパーも、センターバックも、フォワードも、決め切るところ、打たせないやらせないという強度を上げていくことが大事になる。

 ヨーロッパの国々がすぐに隣同士で親善試合ができたりというのと違って、日本は遠くまで出かけて試合を組んでとしていかないと強豪国との対戦が叶わない。とにかく強いところとやりたいということで、最初のほうは私の知り合いも含めてよくトライできていたが、今後もより早くスケジューリングする中で強豪国との対戦を数多くこなしていかないといけない。とにかくリーグとの両輪もあるので、リーグの中に欧米の選手たち、アフリカの選手たち、アジアの中でもフィジカルに優れた選手が来て、日本のリーグに違う血を入れてくれることも大切なのかなと思う」

―—5年間を振り返って胸を張れる部分と、後悔はそれぞれあるか。
「胸を張れることは大してない。チームは生き物で、想像だにしないことが結構裏で起きていることもあった。選手に対してもチームに対しても、良いところだけ見ようみたいな。『とこだけ』というと馬鹿みたいですが、とにかく良いところに目を向けて、ネガティブなことをあまり問題にしないようにしながら。もちろん解決はするが、そういうふうにチームを作っていけたのは悪くなかったとは思う。でも世界大会で結果的に勝負どころで勝ち切ることができなかったので、そこはずっと自分で悔しいままいくんだろうなと思う」

―—悩むことが多かったという話があったが、最も悩んだ時期、事象は。
「また再び世界一を取るんだという強い思いを持って、もちろん世代交代ということも考えながらも、若い選手をただいたずらに使うつもりもなかった。中堅の選手たちにも良いもの、光るものがある限り、そういったところにチャレンジして試合に使って……という中で、アジアの中ではギリギリであっても、試合の流れを読み、交代選手の使い方も、チームのやり方も考えながらなんとか勝つことができた。ただ2019年のオランダ戦で後半、自分たちに流れが来て、どこで仕留めようかというところまで自分自身のイメージができていた中で負けて終わってしまったというときのスタジアムの雰囲気、そこはずっと自分の中にはあって、そこから世界で勝てなかったことに対しての自分自身への自問自答と、何をしたら良いんだ、何を変えたら良いんだというところはずっと苦しかった。ただそれがあってこその次のトライだった。結果的に五輪でも勝ち切ることはできなかったが、自分自身そこはもがいていた」

―—試合後になかなか聞く機会がなかったので、スウェーデン戦のことを聞きたい。最後に追いかける展開で北村を投入した理由は。またチリ戦を見ていると木下がベンチにいてもおかしくないパフォーマンスだったが、いなかった理由は。
「見ている方々にも、私自身にも何百通りもの選択肢があり、その中でチームに一番近いところで指揮官として何かをチョイスしていくという中での北村だった。何通りかもちろんあった。ベンチに誰を入れるかもずっと悩みながらの選択で、一つは北村に関してはスピードと状況判断に優れているところを買っていたので、その辺で勝負をかけたいというのが一番に考えたこと。ただ変化をつけたり、ワンプレーで物事を変えるという選択肢もあった。あとは選手のコンディションというのはこちらで見ている目と、記者の皆さんがご覧になっているところでは違うものもあると思う。あの場面では結果的に北村のスピード、攻撃的なセンスがあるのでそこにかけた。木下はチリ戦のああいった状況で光るものを見せてくれたし、期待もあった。ただあの試合では他の選手で勝負をしていきたいとチョイスした」

―—世代交代の過渡期に監督を務め、若い選手の可能性を追求していたことも胸を張れることだと推測している。結果的に19年のW杯と今年の東京五輪を多くの若い選手が経験したが、今後にどう活かしてほしいか。どのように活かすべきか。
「結果的に若い選手を多く選出する形になったなかで、平均年齢も結果的に一番か二番目に若くなった。話は尽きないが、選手たちがこの戦いで自分自身にどれだけ矢印を向けて、一人のサッカー選手としてどれだけ深くサッカーを考えて、努力を積み重ねることだと思う。そのあたりはWEリーグで積み上げて行ってくれると思う。また誰一人その思いがなくて戦った選手はいないと思うが、やはりもう一つ届かなかったという意味ではメンタル的な部分でも体も心も技術も全てだが、もう一つ先に行って、次に向かって悔しい思いをぶつけてほしいと思う。月並みで申し訳ないが、それしか言えない」

―—五輪前の強化試合で強豪と対戦できなかったが、男子はスペインやアルゼンチンと組めていた。私自身は「男子はできるのに……」という思いはあったが、男女の差を感じた部分はあったか。その差を埋めるために、協会の取り組みに思いはあるか。
「マッチメイクはもちろん要望を出していたし、マッチメイクをしてくださる協会の方々も努力をくださって、ありとあらゆる手を使って、協会との都合をつけてくださったが、こういったマッチメイクになった。ただ遠く日本に来てくださったチームには感謝しているし、コロナ禍で致し方ない部分があった。その辺はやれる中で常にベストを尽くすということで、状況が揃わなければ知恵を絞るしかないので、男子高校生や大学生の力を借りて試合をしたが、なかなか難しかったと思う。男女という話も出たが、女子の登録人数がまだ5万人前後ということで、協会が女子にかけるパワーは男子とは同じとはいかないと聞いている。その辺も少しずつ変わっていってくれたら良いなというのもあるが、そのためには一つの場所、一つの部署だけが頑張るというのではなく、みんなで力を合わせて多方面からアプローチして強化していかないといけないと思っている」

「私自身が監督を引き受けてから、日本の道を探ってきたとさっきも言ったが、2011年のW杯優勝がなでしこの大きな転機だったと思う。その当時、私もフランクフルトで試合を見ていたが、日本が優勝して、アメリカ代表の元キャプテンで監督もやった友人がいるが、おめでとうという言葉と同時にこういった言葉をもらった。『本当にここからが大変だぞ』と。言われた時はあまりピンとこなかったが、自分が監督として戦う中でいつもその言葉が頭にあった。アメリカはこの30年間、ずっとそのプレッシャーと戦っている。日本も2011年を境にそのステージに突入したんだなと感じながらずっと戦ってきた。ハードな道ではあったが、良いトライができた部分とまだまだ足りなかった部分、指導者である限りは学び続けたい。これからの女子サッカーの発展を願っている」

●東京オリンピック(東京五輪)特集ページ

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