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桜色からトリコロールへ。「47番」MF飯村太基が横浜FMユースで新たな一歩を踏み出す

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前半15分、横浜F・マリノスユースMF飯村太基が先制ゴール

[4.9 高円宮杯プレミアリーグEAST第2節 桐生一高 0-7 横浜FMユース 太田運動公園陸上競技場]

 高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2022 EASTは9日、第1節1日目を行い、昇格組の桐生一高(群馬)と横浜F・マリノスユース(神奈川)が対戦。横浜FMが大量7ゴールをあげて圧勝を収め、開幕2連勝となった。

 この大量点の口火を切ったのは、何とも重たい背番号「47」を背負ったMFだった。右サイドを破ったFW内野航太郎(3年)のクロスボールに、ファーサイドから入り込んでのヘディングシュートを流し込む。試合を動かす見事な一発だった。

「自分の持ち味はスピードと飛び出し。ファーサイドへクロスが来たときに自分が飛び込んでいくことは常に意識していた。良いボールが来たので、迷わず(シュートに)いけました」

 そう言って、さわやかな笑顔を見せたのは、この日は左MFとして先発していた飯村太基(2年)である。昨年までは桜色のユニフォームに袖を通していたアタッカーが、トリコロールのユニフォームで最初に結果を出した瞬間だった。

 メンバー表の前所属欄に「セレッソ大阪U-18」の文字があるように、昨季のプレミアリーグではWESTの同チームで選手登録されていた。ただ、出場機会はなく、志半ばでクラブを退団することになった。

「セレッソを辞めることになり、自分は同志社高校に通っていたので、そこから大学サッカーの強豪である同志社大学を目指して頑張ろうと思っていました。自分からサッカーを取ったら何もないと思っていたし、サッカーをやめるつもりはなかったので」

 飯村は刈谷ジュニアユースでプレーしていた中学時代にスカウトされてC大阪U-18へ加入した経緯がある。そしてこのとき、飯村の獲得を推進していたのが当時C大阪のアカデミーダイレクターを兼務し、現在は横浜F・マリノスユースの指揮を執る大熊裕司監督だった。

「自分がセレッソにいたときに誘った選手」(大熊監督)の状況を伝え聞いた指揮官は、飯村に別の道を提示する。自身が監督を務める横浜FMユースへと移籍することだ。

「もともと大熊さんがセレッソでやっているサッカーを観て、『このサッカーで自分もやりたい』と思って入っていたので、声をかけていただいて本当にありがたかったし、すぐに『もうやるしかない』という気持ちになった」

 不退転の決意で横浜へと移った飯村は、新しい生活をスタートさせた。そして迎えた高円宮杯プレミアリーグEAST初戦は、アディショナルタイムのみの出場。この第2戦も実は「先発させる予定はなかった」(大熊監督)のだが、負傷者が出る中でチャンスが巡ってきた。

「まずチームが勝つことが大事で、それを何より意識して試合に入りました。その次に自分のアピール。それもできればいいと思っていた」

 見事にゴールネットを揺らした瞬間は「素直に嬉しかった」と笑うが、その後も献身的な守備を含めて貢献。大熊監督が求めるタフで鋭いプレッシングサッカーを体現してみせた。

 指揮官が「(飯村は)身体的な特長を持っていて推進力があり、われわれがワイドの選手に求める能力を持っている」と評する強みを披露しつつ、しっかり結果を残してみせた。

「いまは本当に挑戦する気持ちしかない」と語るアタッカーは、静かに、そして確かに、新しい土地での一歩を踏み出した。

(取材・文 川端暁彦)
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