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“脱・原トーキョー”に成功。城福監督が新・東京を作った

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[11.3 ナビスコ杯決勝 F東京2-0川崎F 国立]

 笑顔が絶えない。嬉し涙も止まらない。FC東京が04年以来、5年ぶり2度目のナビスコ杯優勝をつかんだ。下馬評ではリーグ戦首位のうえ、最近の直接対決でも分が悪いため川崎Fが有利と見られていたが、城福浩監督の下、『青赤軍団』が栄冠を勝ち取った。

 「我々は戦前の予想では苦しいであろうと言われていたが、それは非常にフェアな評価だったと思う。選手の怪我の状況や選手層の厚さでは間違いなく川崎Fに分があった。ただ、決勝にいたるまで全員で勝ち星を重ねてきたし、今日ピッチに立てなかった選手、怪我あるいはベンチには入れなかった選手の無念さが力になって、選手は戦ってくれた。まさに全員で勝ち取った勝利だった」

 記者会見で、指揮官はチーム一丸での勝利だったことを強調した。MF石川直宏、DF茂庭照幸と前回の優勝を知るメンバーを怪我で欠き、DF長友佑都も右肩痛と万全ではなかった。エースだったFWカボレがシーズン途中に移籍するなど、マイナス要素ばかりだった。だが、長年チームを支えたMF浅利悟が引退、DF藤山竜仁が事実上の戦力外で退団することもあり、チームが強い気持ちで奮闘。強敵を返り討ちにした。

 城福監督は08年の就任後、「ボールも人も、見ている人の心も動かすサッカー」を掲げ、チームを作ってきた。それと同時に長年、FC東京に足りないといわれてきた競争心や闘争心を植えつけるため、練習から常に100%を求めて厳しい姿勢でやってきた。それに選手がついてきた。主将のMF羽生直剛をはじめ、ボランチからCBへのコンバートを受け入れた今野泰幸らが中心となってチームを引っ張り、それに若手が食らいついた。“新しい東京を作ろう”と必死で取り組んできた。

 04年にクラブ初タイトルとして、ナビスコ杯を獲得。この勢いに乗り、首都・東京にふさわしいビッグクラブになろうと目標のステージを上げた。つまり、リーグ制覇だ。しかし、うまくいかない。サポーター、ファンの間では“カリスマ”と化していた原博実監督(現日本サッカー協会・強化担当技術委員長)を05年限りで退任させた。縦に速いカウンターサッカーから、さらなる上積みを求めた。

 そのため、06年はクラブ初の外国人監督・ガーロ氏を招聘。中盤を支配するパスサッカーを目指した。しかし、長年培ったスタイルからの脱却は難しかった。結果が残せないため、途中解任させた。再び07年に原監督を呼び戻したが、チームが求めた優勝争いという結果は残せなかった。そういう中で、FC東京で育成を担い、アンダー世代の日本代表で結果を残してきた城福浩氏に監督を託した。いわば“内部昇格”。原氏に絶大な人気があったため、一部ファンや協力商店街などのスポンサーから懐疑的に見られることもあった。

 しかし、城福監督が手腕を発揮し、“新しい東京”を作り上げた。伝統の“イケイケ・ドンドン”のサッカーではなく、自分たちがボールを支配する“大人のサッカー”を展開した。この日の決勝戦では、川崎Fの破壊力抜群の攻撃陣に守りに入る時間帯もあったが、中盤でボールを回し、主導権を握る時間もあった。縦に急がず、パスをつないぐ“大人の試合運び”もできた。まさに“脱・原トーキョー”を実現させた。チーム関係者も「脱・原? そういうところはあるでしょうね。サッカーのスタイルもそうだし、営業面でもそういうことがいえるかも」と話した。まさに2009年11月3日は、“ニュー・東京”の誕生記念日になったともいえる。

 「自分たちのサッカーをやって勝ったと言えるかといわれると、僕は満足はしたくない。今の自分たちのスキルでも、もっと自分たちの時間を長くできるはずだし、相手を振り回すことができるはずなので、それはまた次につなげたいと思う。今日の優勝が最終目的でなくステップ。今日の内容に満足してはいけないと思う」

 自身初タイトルとなった城福監督は、ナビスコ杯は“ステップ”だと言い切った。MF今野も「まだ何も成し遂げていない。Jリーグをとらないと、本物のチームとはいえない」と言った。目指すはJリーグ制覇、それも、さらに熟成した“ボールも人も、見ている人の心も動かすサッカー”を展開してのだ。このタイトルを起爆剤に今度こそ、強豪クラブ化へのステップアップを成し遂げたい。

<写真>F東京の城福監督
(取材・文 近藤安弘)

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