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松田氏の訃報を受けて、G大阪が西野監督、明神、遠藤のコメント発表

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 松本山雅FCの元日本代表DF松田直樹氏が4日、急性心筋梗塞のため長野県松本市内の病院で死去した。34歳だった。ガンバ大阪はこれを受けて5日、西野朗監督とMF明神智和、MF遠藤保仁のコメントを発表した。

西野朗監督
「選手としての身体能力も高いし、規格がインターナショナルなプレーヤー。アトランタオリンピックの選手をセレクトするのが難しい中、一番若い年代の選手でしたが、世界を知っている経験があって、その若さを感じさせないセンターバック。身体だけでなく、メンタル面でもそういう資質を兼ね備えた数少ないセンターバックの一人でした。

 今年、J1からのオファーもあると聞いていましたが、全く違うカテゴリーを選びチャレンジすると聞き、自分自身のサッカー観が強い選手だったので、上にのぼるチームでの自分の表現したいサッカー観があったんだと思います。現役としてまだまだやれる選手ですし、向上心をもって大きなチャレンジをしている中で、先日の信州ダービーで松本山雅と長野パルセイロが対戦したときも、パルセイロの監督が自分の教え子だったこともあり、彼との対戦を注目していました。

 何が何でもJ2にという気持ちだったと思うし、彼自身、非常に残念だったと思います。志半ばにして……、もっともっとやって欲しかった。そして、その先には指導者としても魅力のあるスタイルがあったと思う。将来的にはやらなきゃいけないサッカー人であったと思います」

●MF明神智和
「あまりにも早すぎてショックです。練習中はポジショニングを非常に細かく確認しあって一緒にやっていました。ずっといろんな年代で一緒にやってきたので……。代表ではチームメイトとして頼もしい存在でしたし、対戦相手としてはイヤな相手でした。いつもイヤなところにマツさんがいて、ガンバのホームでもマツさんのオーバーラップでやられたこともあります。いつも立ちはだかるすごい選手でした。

 年はマツさんが一つ上になるのですが、面倒見がいいですし、でもやんちゃでわがままな人でした。気分屋なところもありました。でも、下の年代の選手にとっては、ああいう生き方がカッコいいとうつっていました。選手にとって、憧れの選手でした。

ずっと突っ走ってきた選手だと思いますし、闘ってきた選手だと思います。倒れてからも闘っていたと思います。今は少しゆっくりして欲しいです。マツさんの想いをみんなが引き継いで頑張っていきたいと思います」

●MF遠藤保仁
「チームは別ですけど、代表で一緒にプレーしましたし、兄貴を通じて、僕はプロ一年目から交流がありました。まだ、一緒にやれる選手だと思っていますし、それがもう一緒にやれる機会がなくなってしまったのは残念です。

 何度も対戦をしましたが、イヤな相手ですし、素晴らしい選手。気持ちを前面に出したプレーで強いマリノスを支え、統率していた偉大な選手だと思います。ピッチ外では僕らにとっては兄貴のような存在でした。

 僕らはマツさんの想いをプレーで表したいと思いますし、J2にあげるという記者会見を見ましたが、改めて熱い男だと感じました。僕は、ガンバ、そして代表を、マツさんに天国から満足してもらえるチームにしたいと思います」

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