beacon

【連載】「素顔のなでしこたち」vol.1:岩清水梓(後編)

このエントリーをはてなブックマークに追加

 スマートフォン対応の電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」で好評連載中の『素顔のなでしこたち』。日本女子代表(なでしこジャパン)の主力選手のインタビュー記事と撮りおろし写真を掲載したスペシャルコンテンツの一部をゲキサカでも特別公開します。
 女子W杯制覇、ロンドン五輪アジア最終予選突破。国民栄誉賞も受賞し、「なでしこジャパン」が流行語大賞に選ばれるなど、2011年の“顔”となった彼女たちの素顔に迫るロングインタビュー。第1弾は、日テレ・ベレーザでキャプテンも務めるディフェンスリーダーのDF岩清水梓選手です。
 なお、電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」はiPad、iPhone、iPod touch、ソフトバンク3G携帯、ソフトバンクアンドロイド携帯に対応。アプリ「ビューン」にて閲覧可能です。ゲキサカプラスでしかご覧いただけない写真も多数掲載されていますので、是非そちらでもお楽しみください。



 なでしこジャパンデビューは19歳だった06年2月18日のロシア戦。同年12月のアジア競技大会ではDFながら2得点を挙げ、銀メダル獲得に貢献する。07年のFIFA女子W杯にも出場し、08年の北京五輪では池田浩美(旧姓磯崎)とCBを組み、初のベスト4進出。しかし、準決勝、3位決定戦と連敗し、メダルにあと一歩届かなかった。

―4位に終わった北京五輪の悔しさが今回のW杯につながったという思いはありますか?
「あのときはあのときで最高の結果だったんですよね。でも、メダルに届かなかった。『その壁は大きいね』という話になって、それからいろんな選手が海外に行くようにもなりました。海外に移籍した選手と代表で一緒に練習して、切磋琢磨しながらレベルが上がっていったというのはあったと思うんです。北京の経験が今回の結果につながっているんだなというのは感じますね」

―北京五輪では池田選手とCBを組んでいました。
「あそこが自分のサッカー人生の転機だったと思います。今の自分がいるのは、あそこでいろいろなことを学んで、イソさんにいろいろ教えてもらって、『こういう風になりたい』という目標ができたから。(08年末に池田が現役を引退して)そのあとを任されて、やらなきゃいけないという気持ちが自分の中で芽生えて、そのころからチームに対する気持ちも変わりましたね」

―池田選手に直接教わったこともあったんですか?
「直接話してとかではなくて、隣でプレーを見て、一緒にやって、動きや雰囲気で感じられるものを学んだと思います」

―どのあたりを一番学びたいと思っていたんですか?
「イソさんはチーム全体から信頼される選手だったので、その部分ですね。それは今も勉強中で、答えはまだ見つけられていないですし、今も模索中なんですけど、みんなに信頼されて、『この人がいたら大丈夫』って思われるような選手になりたいなと思っています」

―10年11月のアジア競技大会で初めてアジアのタイトルを獲りました。しかも全試合無失点。これまでの積み重ねが結果として表れた大会だったのではないですか?
「あのときも(GKの)山郷(のぞみ)さんが後ろにいて、山郷さんに助けてもらった面もありました。後ろに強い人がいたからこそ、自分たちのプレーができたのかなって。だからこそ結果が出たんじゃないかなとそのときは思いました」

―今年の女子W杯はGKも海堀あゆみ選手になって、本当の意味で守備をまとめる役割になった?
「そうですね。守備の責任は自分にあるというか、『任せろ』じゃないですけど、すごい考えましたね。幸いポジションで隣(右SB)に年上の近ちゃん(近賀ゆかり)がいたので、2人で話す機会も多かったですし、『こう思うんだけど、どうかな?』とかコミュニケーションを取らせてもらって。(近賀は)答えを出してくれる人だったので、そのフォローもあって、全体に声をかけながら仕切れたかなと思います」

―話を聞いているとチームメイトや先輩への感謝の言葉が多いですが、そういう気持ちが強かったんですか?
「みんながいての結果だと思いますし、本当にみんなに助けられた部分が大きかったので。失点しても、点を取り返してくれたり、前線の選手が守備で追いかけてくれるから、後ろがボールを取りやすくなったり、本当にいろんな選手がいてこその自分なので」

 文字どおりチームが一つになって手にした世界一のタイトル。しかし、なでしこの選手たちに休息の時間はなかった。女子W杯閉幕から1ヵ月半後の9月にはロンドン五輪の出場権を懸けたアジア最終予選が中国で開催された。11日間で5試合を行う過密日程。世界女王として、アジアで負けるわけにはいかないプレッシャー。さまざまな逆境を乗り越え、4勝1分の無敗で五輪切符を獲得した。

―五輪予選は難しい大会だったのではないですか?
「メンタル的にもきつかったですし、日程も過密だったので、体力的にも本当にきつい大会でした」

―予選前の合宿などで、チーム内外でW杯のときと何か違うなと感じる部分はありましたか?
「報道陣やお客さんの人数は違いましたけど、当の本人たちはいつもどおりでしたね。『この予選を落としたら大変なことになる』という危機感を持っていたので。ピッチ内の選手とお客さんの温度差みたいなものはあったかもしれないですね。むしろ怖かったですよ。これで予選を通らなかったら、相当叩かれるって思ってましたし、もう見に来てくれなくなるんじゃないかという危機感も持ってましたね」

―ブームで終わらせたくないと?
「そうです。ここで結果を出さないと、このお客さんがもう来ないんじゃないかって。女子サッカーは結果を出さないと日が当たらないという歴史でしたし、だからこそ今がチャンスなんだとも思っていました。五輪予選を通過して、本当にホッとしましたね。予選を通過して初めて『おめでとう』と言われて『ありがとう』と素直に応えられた気がします。W杯で優勝して、いろんな人に『おめでとう』と言われましたけど、やっぱり心のどこかで『次の五輪予選を突破しないと喜べない』という自分もいたので」

―W杯で優勝しても、五輪予選で負けたらその価値が下がると?
「そんなことを考えていたので、予選を通過して初めて『おめでとう』という言葉が身に染みました」

―先ほどW杯は楽しい大会だったと話していましたが、五輪予選は全然違う大会だったということですね。
「楽しめなかったですね。結果がすべてだったので」

 2012年夏にはいよいよロンドン五輪本大会が待っている。世界女王として、初めて追われる立場で臨む大会となるが、目標は当然、金メダル。W杯、五輪連覇という偉業に挑む。

―来年はロンドン五輪。今度は楽しめる大会になるのでは?
「アジアよりは(笑)。でも、W杯で優勝したことによってユニフォームに星もエンブレムも付いて、それで世界大会を戦うのは初めてなので。そのプレッシャーはありますね」

―周りの国は日本だけには負けないという意気込みで来ます。
「『ここだけには』みたいな。そういう状況で日本が戦ったことはないじゃないですか。そう考えると、どういう大会になるんだろうなというのは、ある意味楽しみもありますけど、怖さもちらちらとありますね(笑)」

―当然、優勝を狙う立場になります。
「皆さんも期待してくれていますし。でも、まずは自分がメンバーに入るためにコンディションやケガに気をつけて。チームで結果を出して、アピールして、メンバーに入らないといけないと思います。大会を勝ち上がりながら、いい雰囲気のチームになっていければ、また楽しめると思うので。そのためにも日々の練習から頑張っていきたいと思います」

―楽しい大会にしたいですか? それとも金メダルを取りたいですか?
「どっちもですね(笑)。うーん。やっぱり金メダルを取ったら、辛かったことも最後には楽しかったことに変わると思うので。優勝という結果を残したいですね」

(取材・文 西山紘平)


▼バックナンバーはコチラ

TOP