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「浦和レッズを変える」ケルンから加入の槙野が自身とクラブの再起を誓う

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 ブンデスリーガのケルンから1年間の期限付き移籍で浦和レッズに加入した日本代表DF槙野智章が19日、埼玉スタジアムで入団会見を行った。欧州挑戦から1年での帰国。「この移籍に対しては悩んだし、葛藤もあった。寝られないときもあったし、食事がのどを通らないこともあった」と熟慮に熟慮を重ね、広島時代の恩師でもあるペトロヴィッチ新監督が就任した浦和での“再挑戦”を決断した。

「この1年にかける思いはだれよりも強いと思っている。個人的な目標は浦和レッズというビッグクラブを変えること。浦和のサッカー、イコール日本のサッカーとなるように。浦和のサッカーを世界に発信したい」

 ドイツでプレーした1年間で公式戦出場は8試合。うち先発は1試合だけで、2011-12シーズンの半年に限っては3試合に途中出場しただけだった。「コンディションが不安定で、代表で試合に使ってもらってもベストなプレーをできず、悔しさもあった」。ザックジャパン初先発となった昨年10月7日のベトナム戦では両足、背中をつって後半23分に途中交代。試合に出ていないことの影響は、だれよりも自分自身が感じていた。それでも、ドイツ挑戦からわずか1年で日本に戻ってくる決断は簡単ではなかった。

「第一希望としては欧州でプレーしたいと思って、年明けに日本を飛び立った」という槙野は現地でドイツ2部のクラブと移籍交渉の場を持った。しかし、監督やGMとの話し合いの中で「自分が抱いていたイメージと、実際のイメージが違った」と、欧州でのプレーにこだわり過ぎることに疑問を抱くようになった。

「どうしても欧州でやりたいという気持ちと、そのチームで自分のプレーをいかに出せるかということを考えて、浦和レッズというクラブで、ペトロヴィッチ監督の下でやったほうが自分の力を発揮できると思った」

 広島時代からの盟友であるMF柏木陽介らにはあえて相談せず、ドルトムントでプレーするMF香川真司には「ドイツに残ったほうがいいんじゃないか」とも言われたという。約1週間、悩みに悩み、最後は家族からの「お前のサッカー人生なんだから、自分で自信を持って決めろ」との言葉で背中を押された。「いろんな意見があったけど、最後は自分で自分の道を決めることができた。自信を持って決めた自分をほめたい」。さまざまな批判や非難も覚悟のうえで決断した。

 出場機関に恵まれなかったドイツでの1年間について「コンスタントに試合には出られなかったけど、今までと違った視点で自分を見つめることができた」と振り返る槙野は「広島時代はプレーが若かったというか、勢いでプレーしているところもあった。ドイツでは頭を使って、周りを見てプレーできた。求められていることを理解して、この時間帯は何をしなきゃいけないのか、状況に応じたプレーというのをドイツで学んだ」と言う。

「決して無駄ではない1年だと思うし、意味のある1年になるかは今後の自分のプレーや考え方次第。2011年が自分にとっていい時間だったと自信を持って言えるように、この1年、チームために全力を尽くして、新しい槙野像をつくっていきたい」

 何よりも試合への飢えが、今の槙野を掻き立てている。「やっぱり試合に出てなんぼだと思ったし、試合に出られる喜びを感じながらプレーしたい」。そう強調すると、「浦和でも“DFW”全開でやっていきたい。(原口)元気にしろ、セル(エスクデロ)にしろ、攻撃の選手よりもたくさん点を取りたいし、負けられない。1年間、公式戦で点を取ってないので。練習でも練習試合でもゴールにこだわって、PKやFKも積極的に名乗り出たい」と貪欲に語った。

 3月10日の開幕戦では、いきなり古巣の広島とアウェーで対戦する。「正直、複雑な思いがあるけど、今は浦和の一員なので、浦和のために全力でプレーしたい」。自分自身がもうひと回り成長するために、避けては通れない道だ。

 17日にペトロヴィッチ監督と話した際は「よく決断してくれた」と言われたという。「監督とは長く一緒にやってきたけど、タイトルをプレゼントできていない。チームは変わったけど、監督にタイトルという形で本当のプレゼントを贈りたい」。自分自身の存在価値をもう一度証明するために、恩師にタイトルを捧げるために。プライドを捨て、新たな挑戦に踏み切った槙野が、自身と浦和の再起を目指し、2012年シーズンを全身全霊で戦い抜く。

(取材・文 西山紘平)

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