beacon

タイトルと無縁のサッカー人生…山村「チームの核となって優勝できたら」

このエントリーをはてなブックマークに追加

 背番号に期待の大きさが表れていた。鹿島アントラーズは24日、新体制発表・新人選手記者会見を行い、流通経済大から新加入し、クラブ初のプロA契約ルーキーとなるU-23日本代表DF山村和也は背番号4に決まった。新人でひと桁の番号を背負うのはクラブ史上初。鹿島では大岩剛コーチが現役時代に付けていた背番号を任され、井畑滋社長は「代表ではボランチをこなしているが、CBとしても期待している」と、DF岩政大樹の相棒、さらには後継者として高い評価を口にした。

 それでも本人は自然体だ。U-23日本代表候補のグアム合宿から22日に帰国したばかりで、25日には同代表としてカタールに出発する。「休みながら引っ越しを進めている」という山村は「最初に(背番号を)聞いたときは『4番なんだ』って。あまり番号にこだわりというか、頓着がないので……」とプレッシャーを感じる様子もない。「大岩さんが付けていた番号。自分なりに精一杯チームに貢献できれば。今までやってきたことを出せればと思う」と淡々と語った。

 関塚ジャパンの主将をめぐっては、鹿島のほか、川崎F、磐田、浦和、横浜FM、柏、F東京、千葉がオファーを出すなど激しい争奪戦が繰り広げられた。その中から鹿島を選んだのは、5年連続でタイトルを獲得し、昨季のナビスコ杯でJリーグ、天皇杯を含めて15個目のタイトルを獲得した「常勝軍団」に魅かれたからだった。

「鹿島には常に結果を出しているビッグクラブという印象がある。自分に足りないものを補って、成長させてくれるクラブかなと思った。高校時代、大学時代と、勝負強さの部分で少し自信がないというか、弱い部分があると思っていた。そこを補って、勉強できるかなと思って、鹿島を選んだ」

 国見高、流通経済大と、これまでの山村はタイトルとは無縁のサッカー人生だった。U-21日本代表の一員として10年のアジア競技大会で優勝し、全日本大学選抜でも昨年8月のユニバーシアード競技大会を制しているものの、所属チームで日本一になった経験はない。

「自分の中で、全国で優勝したことがない。自分で納得のいく優勝の仕方というか、チームの核となって優勝できたら、勝負強さというか、自分の自信にもなると思う」

 タイトルへの飢え。それが鹿島とU-23日本代表の“二足のわらじ”となる2012年を戦い抜く最大のモチベーションになっている。ロンドン五輪出場を目指すU-23代表ではボランチを務めるが、チームではCBでの起用が濃厚だ。それでも「言われたところをやれたらと思っている。大学ではずっとCBで、代表ではボランチをやってきた。最初は難しかったけど、最近は慣れてきた」と不安はない。

「後ろで見てきたものを前でも生かせるというか、どのタイミングでプレスにいくと後ろがやりやすいかとか、CBをやってきた分、分かるし、そういうところのメリットはあるのかなと思っている」。“二刀流”だからこそ、自分のプレーにも幅が出てきたことを体感している。

 代表とチームで過密日程となる2012年。「ケガをして、十分休んでいたので。サッカーをやりたかったので、今は幸せです」。昨年9月の左第5中足骨骨折から復帰し、U-23代表候補のグアム合宿では紅白戦に参加するまで回復してきた山村。大学生活最後の半年をケガで棒に振った分まで、鹿島で、五輪で大暴れする。

(取材・文 西山紘平)

▼関連リンク
2012年Jリーグ移籍情報

TOP