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「やり残したことがある」、1年半ぶり浦和復帰の阿部が決意

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 イングランド・チャンピオンシップ(2部)のレスター・シティから浦和レッズに加入したMF阿部勇樹が25日、埼玉スタジアムで復帰記者会見を行った。「今回、レスターから浦和に来ましたというか、帰ってきましたというか、阿部勇樹です」。10年夏に渡英して以来、約1年半ぶりの古巣復帰。「また浦和レッズでサッカーがしたいと思って、帰ってきました。この素晴らしいクラブで何かを成し遂げるために、また一からがんばりたい」と挨拶した。

「いろいろ考えて、悩んで悩んで結論を出した」という日本復帰。「報道されていた家族の問題も少なからずある」と、家族を日本に残したままの単身での挑戦が理由の一つだったことも認めたうえで「僕自身が浦和でまたサッカーがしたいと思ったのもある。自分のコンディション、パフォーマンスがベストのときに日本でやりたい、向こうでやってきたことをこっちでプレーで見せたいと強く思った」と強調した。

「最初は身内も反対していたけど、自分の気持ちを理解してくれて、レスターも理解してくれた」。双方合意の下、契約を解除し、1年半ぶりにJリーグの舞台に帰ってきた。日本に戻るなら浦和で――。その思いの裏には、かつて在籍した07年から10年夏までの3年半での悔しさがあった。

「前回在籍していた3年半。自分では正直、何も成し遂げていないと思っている。やり残したことがあるというのが第一だった」。浦和では07年にACLを制覇し、クラブW杯でも3位に入った。それでも「ACLは別物だと思っている。レッズに来て、Jリーグもナビスコ杯も天皇杯も獲っていない」と、国内3大タイトルを一度も制覇していないことが心残りだった。

「移籍するとき、駒場スタジアムでサポーターの方に『また帰ってこいよ』と言われて、そのときは『また呼ばれるようにがんばります』と答えたけど、今回、お話をしている中で、このやり残したことを何とか成し遂げたいという思いが強くなった。素晴らしいスタジアム、素晴らしいサポーターの中で一緒に喜ぶということ、何かを成し遂げて一緒に喜ぶということをしていない。それが引っかかっていた」

 自分がイングランドに渡って以降、迷走を続ける古巣のことは常に気になっていた。「向こうに行ってからも浦和の状況は気にして見ていた。何か自分にできることはあるんじゃないかと思っていた」。昨季は残留争いに巻き込まれ、ギリギリのところでJ1残留を決めた。目まぐるしく変わる指揮官。外から見ていて、クラブが同じ方向に向かって一丸となることの重要性を感じていた。

「何かを成し遂げるためには、いろんな犠牲が必要になる。それは一人じゃできないし、選手だけでもできない。チームに関わっているすべての人が同じ方向を向くことが大事だし、そうすることでちょっとずつ道も見えてくると思う。日々の練習、目の前の試合に全力で臨むというのは、簡単なようで難しいこと。その目標を1試合1試合成し遂げていきたい。勝ったときはみんなで喜びたいし、それが今の浦和には必要なことだと思う」

 イングランドでの1年半を「すごい充実していたし、楽しかった」と言う阿部は「何も知らないところに行って、自分で調べたり、生活する中で毎日が何をするにも楽しかった。面倒くさいと思うこともなかったし、濃かったと思う」と振り返った。

 日本では177cmの身長以上に発揮する空中戦の強さを買われ、守備時のCKでは相手のキーマンをマークすることが多かったが、レスターでは「向こうに行ったら僕も小さい方。初めてCKでゴールポストを守った」と、驚きの連続だった。「チャンピオンシップ(イングランド2部)の場合、当たりですかね。個々は速いし、強い」。フィジカルで圧倒してくる相手に「力に力で勝つなんて絶対に無理。『じゃあどうするのか』というのを考えることが増えた。試合だけでなく、練習から発見があった」と、すべてが自分の成長への糧になった。

 下部組織から育った千葉を離れ、浦和に移籍した07年と比較し、「あのときも相当な覚悟が必要だったけど、今回はそれ以上の思いを持って、決断して帰ってきた。すべては浦和のためにがんばりたい」と決意を新たにする。クラブ再建を託された背番号22は「どうやっても過去には戻れない。どう新しいレッズをつくっていくかが大事」と力説。過去の栄光を取り戻すのではなく、新たな浦和レッズの歴史を1ページずつ刻んでいく。

(取材・文 西山紘平)

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