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社会人サッカーという環境、それでもボールを蹴る理由…横浜猛蹴DF永埜和喜の場合

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[8.20 神奈川県選手権・天皇杯 神奈川県代表決定戦・決勝 横浜猛蹴1-3神奈川大 ニッパツ]

 ボールを蹴る。教壇に立つ。そしてまたボールを蹴る。こうしてDF永埜和喜の日常は繰り返される。そこにあるのは「心からサッカーが好きだから」という純粋な気持ちと、人知れず涙をのみ、思うような道へ進めないときがあっても、ぶれなかった一つの思い。「サッカーが上手くなりたい」。それだけを胸に、27歳となった今も走り続けている。

 川崎市立橘高から神奈川大へ進学。サッカー部への入部を希望するも、セレクションで落とされた。悩んだ末にY.S.C.C.横浜へ入団。YS横浜でプレーした大学4年間は、満足な出場機会を得られない日々が続いたが、「上手くなりたい」という一心で過ごしたという。

 大学を卒業し、出場機会の限られていたYS横浜から関東リーグへ上がってきたばかりの横浜猛蹴へ。「自身のステップアップ」を決意しての“移籍”だった。現在は神奈川県内の公立高校で教員を務める傍ら、関東1部の横浜猛蹴でプレーする“社会人サッカー選手”としての日々を送っている。

 社会人として仕事をし、サッカーをする毎日は厳しいものだ。平日は夕方に仕事を終えると練習場へ。19時から21時、あるいは21時から23時まで練習へ取り組む。そして週末には公式戦。ハードな毎日だが「しんどいですよ、でもサッカーがやりたいから」と笑い飛ばす。

 天皇杯本選出場のかかった今大会も横浜猛蹴の選手たちは、万全なコンディションとは言えない状況だった。先発11人のうち、永埜を含めた7名は神奈川県成年男子の国体メンバーにも選出。今月13、14日には国体・関東ブロック大会があった。17日には天皇杯予選準決勝・SC相模原戦。J3チームを撃破する金星を挙げた。そして20日に決勝・神奈川大戦。7日間での4連戦、その間には“仕事”がある超ハードスケジュールだった。

 それでも永埜は「たしかに平日は仕事があるし、国体選手は7日で4試合を戦うという過密日程なところはあったかもしれない。でも身体が重いのは言い訳にならない」と言い切る。

 迎えた連戦の締めくくり。決勝・神奈川大戦は1-3で敗れて準優勝。敗れはしたが、横浜猛蹴は意地をみせた。2-0に突き放されても最後まで諦めず。必死にゴールを目指し、後半42分には意地のゴール。すぐにボールを拾い、同点弾を目指した。後半アディショナルタイム3分に3失点目を喫したものの、最後まで11人全員がヘッドダウンすることなく戦い抜いた。終わってみれば1-3というスコアだったが、過密日程の影響、疲労を感じさせない粘り強い戦いぶりだった。

 そこには“社会人サッカー”のプライドがあった。「俺たちとしては、J3を倒すことができる自信はあるし、今回も相模原に勝つことができた。もっとフィーチャーしてほしいという思いもある。本当は今日の試合にも勝って、(天皇杯本選で)J2相手にそういうモチベーションでやりたかった」。永埜は言う。

「もちろん、そういう人たち(Jクラブ)に勝つためにやっているので。社会人として、仕事をしてはいるけれど、サッカーにはしっかりと向き合っている。そういうところを色々な人に知ってほしいから」

 どんなにしんどくても、サッカーを上手くなりたいという想いは消えない。そして社会人になってもサッカーを楽しみ続けることができると、少しでも多くの人に知って欲しい。「プロ選手はお金や生活がかかっていたり、プライドもあると思うけど。でも俺は素直にサッカーが好きで、自分が上手くなりたい。そういう思いでやっているんですよね」。そう言うと微笑んだ。

 強豪高校やユースクラブ出身者でもない。大学のサッカー部出身者でもない。それでも約24年間、サッカーに対して真摯に向き合ってきた結果、天皇杯本選出場まで、あと一歩のところまで迫った。ここまで必死にやってきたのだから、何が何でも天皇杯本選出場を手にしたかっただろう。

 とはいえ、この悔しさだって、一試合にかける熱い想いだって、サッカーをしていなければ味わえないもの。全国を逃したやりきれない気持ち、流れる涙。そんな感情も全てが宝になる。敗れた今は辛くても、いつか振り返ったとき、そこには“特別な時間”が流れていたことに気がつくはずだ。むしろ今だって、それが分かっているからこそ“しんどい”ことも続けられているのかもしれない。

 永埜は「身体が壊れるまで、やり続ける」と強く誓う。27歳の教師として生徒の前に立ち、そして一人のサッカー選手として、真摯に取り組む日々。サッカーを始めた4歳のときに抱いた「もっと上手くなりたい」という純粋な想いを持って、歩みを続ける。それは色褪せることなく、全ての原動力になっている。

 社会人サッカーは特殊だ。誰から強制されることもなく、各々の意思でプレーする。全ての選択が自身に委ねられると同時に、責任の全ては自分自身に圧し掛かる。仕事との“両立”。なかにはプライベートや家族との時間を計りにかけ、悩みながらプレーする選手だって少なくない。いつか大きな怪我だって負うかもしれない。そのときは仕事にだって支障をきたす。それでも彼らは今日もボールを追う。ただひたすらに少年のような顔で。サッカーへの底知れぬ愛が彼らを突き動かしている。

(取材・文 片岡涼)

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