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「もうこのまま辞めようかな」絶望から救われた甲府42歳DF山本英臣、重圧の5人目PKキッカーで初戴冠「蹴りたい気持ちがあった」

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DF山本英臣(左から2人目)が初タイトル

[10.16 天皇杯決勝 甲府 1-1(PK5-4)広島 日産ス]

 ヴァンフォーレ甲府にとって史上初のビッグタイトル、天皇杯の優勝カップを高らかに掲げたのはクラブ在籍20年目の大ベテランDF山本英臣だった。試合前に自ら描いた筋書きでは、表彰台の上で感動の涙を流しているはずだった。しかし、現実は違った。激戦の最終盤にカップ戦決勝のピッチを踏みしめ、一時は敗戦につながりかねない大ピンチを招きながらも、優勝を決めるPKを沈めた42歳は試合後、時折苦笑いを浮かべながら初タイトルの味わいを明かした。

「本当はたぶん涙が出てくるんだろうなと。入場した時から感極まるものがあって、あれだけの数のサポーターが来てくれて……」

 日産スタジアムのホームゴール裏いっぱいに集まったサポーターに思いを寄せ、クラブが積み上げてきた歴史への感慨をのぞかせた山本。それでも優勝杯を掲げる“カップリフト”の大役に臨んだ際には、ただただ安堵の感情に包まれていたという。

「ああやってPKを与えてしまって、ちょっと自分の中で落ちたというか、落ち着いたというか。責任重大なPKを任されていたし、涙よりもホッとした感じだった」。甲府での20年間でJ1・J2リーグ戦550試合以上の出場経験を持つが、今季はここまで公式戦15試合の出場。そんな大ベテランはこの日、長いサッカー人生でもなかなか経験し得なかったであろう終盤のドラマの主役となった。

 天皇杯決勝のピッチに立ったのは1-1で迎えた延長後半7分。強力な外国籍選手とのマッチアップで疲弊し、足がつって走れなくなったDF浦上仁騎の代役出場だった。高い緊張感の中で強度の高い試合を演じた選手たちの疲労は色濃く、とくにチームが一方的な守勢を強いられていた中、大ベテランのクローザー起用は強力な助け舟となるかと思われた。

 ところが延長後半10分、逆に窮地に追い込まれる形となった。ゴール前に攻め込んできたMF満田誠と対峙し、浮き球パスを処理しようとした山本だったが、ボールはやや広がっていた腕に直撃。すぐさま佐藤隆治主審からホイッスルが吹かれ、ハンドの反則を取られた。規定の120分間まで残り5分ほど。最後の最後で大ピンチを招いてしまった。

 その瞬間、山本の脳裏には「もうこのまま辞めようかな」という感情がよぎったという。「これだけ積み上げてきてくれたものがあって、自分は1試合しか先発で出ていなくて、僕以外の選手でここまで来られたと思っている」。そんな後輩たちの奮闘を台無しにするような痛恨のミス。「正直、めちゃくちゃ落ち込んだというよりは終わったなと。人生が終わったなという感じだった」。絶望的な心境も明かした。

 だが、そんな大ベテランを救ったのは在籍通算9年目の古参GK河田晃兵だった。「『やりやがったな』と思ったけど、彼がずっとこのクラブを支えてきてくれた選手なのは間違いない。もう42歳なのでタイトルを取らせてあげたいなという気持ちがあった」(河田)。大先輩のミスを帳消しにするPKストップで試合の均衡が保たれた。

 そのまま迎えたPK戦でも、河田は相手4人目のキックをセーブ。すると先攻甲府の5人目、キッカーとして登場したのは山本だった。「回ってきてほしいな、蹴りたいなという気持ちがあった」。願ってもない名誉挽回のチャンス。過去にはリーグ戦でキッカーを務めた実績もあり、チームの信頼を背負ってペナルティスポットに着いた。

 決めればタイトル獲得。外せば流れを失う場面。そんな運命をかけたキックにも、42歳の心は落ち着いていた。

「いま思い返すとちょっと怖い。ヤバいなと思うくらい。ただあの時は意外と冷静で、一回救ってもらった命じゃないけど、それがあって思い通りのキックができた」。右足で蹴り出したボールはゴール左上隅へ。「(相手GKは)足を動かしてフェイントをかけてきていたけど、少しだけ動くのが早いなというのもあって、いつも蹴っているようなコースに悔いがないように蹴ろうと思った」。広島GK大迫敬介との駆け引きを制した42歳の周りには自然と歓喜の輪ができあがった。

 試合後の表彰式では、主将を務めるMF荒木翔からカップリフトの大役を託された。「若い選手の勢いに任せたかった」と所作は控えめだったが、レジェンドとともに迎えた歓喜の瞬間にサポーターからは大歓声が上がった。激動の10分間とPK戦を経て、苦しみながらも掴んだ初戴冠。山本は「自分がタイトルをみんなに取らせたのではなく、みんなに取らせてもらって、あの場に立たせてもらって感謝している」と白い歯を見せた。

(取材・文 竹内達也)
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