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高校時代の「1000日」を財産に…高校3大大会得点王の大前元紀が語る冬の風物詩

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2007年度の第86回大会で得点王に輝いたFW大前元紀

 全国高校サッカー選手権大会が12月30日に開幕した。出場48校が日本一を目指して、1月9日の決勝まで熱戦を繰り広げる。今年で第95回を迎えた“冬の風物詩”だが、この大会を機に全国区で大ブレイクを果たし、今なおプロで活躍し続けている現役選手は数え切れない。2007年度の第86回大会で流通経済大柏高(千葉)のエースとして全国制覇を成し遂げ、自身も大会得点王に輝いたFW大前元紀(清水)。翌2008年度の第87回大会で1大会最多得点記録を更新する10ゴールを挙げ、鹿児島城西高(鹿児島)を準優勝に導いたFW大迫勇也(ケルン)。2人の選手権得点王に高校時代の思い出、選手権という大会の持つ意味などについて聞いた。

―高校3年時に出場した第86回大会で大前選手は得点王に輝き、流通経済大柏も全国優勝を果たしましたね。
「僕らがいた千葉では市船(市立船橋高)がすごく強かったんです。だから僕たち流経の中には『選手権に出るためには絶対に市船に勝たないといけない』という思いがあって、県予選の決勝で市船に勝つことができました。『市船に勝ったら全国でも優勝できるはず』という気持ちがみんなの中にはありましたし、あのときは自信を持って選手権に臨めましたね」

―個人的な目標は立てていましたか?
「それはもちろん、得点王になることです。夏のインターハイでも秋の高円宮杯(全日本ユース選手権)でも大会得点王になっていましたし、(史上初の高校3大大会得点王になることを)メディアや周りの人たちからも期待されていました。得点王になることは意識していましたね」

―通算7ゴールで得点王に輝きましたが、PKを含めて6ゴールがペナルティーエリア内から放ったシュートでした。
「そのあたりは今もストライカーとして意識しているところですね。当時は2トップでしたが、ペナルティーエリアの中だとやっぱりゴールが決まる確率が高いので、いかにペナルティーエリアの中で良い位置にいられるかということをずっと考えてプレーしていました」

―高校の練習は厳しかったですか?
「3年間、ずっと走っていた記憶しかないですね(笑)。試合がないときはいつも走っていました。僕らが1年生のときに人工芝の張り替えがあって、グラウンドを使えないときは学校の近くにある柏の葉公園総合競技場の周りを走ったり、近所の公園を走ったりしていましたね」

―高校時代に自分が一番伸びたなと思う時期はいつごろですか?
「やっぱり3年生になってからじゃないですかね。高校3年生の1年間は僕の中で一番伸びた時期だと思います。それまでも点は取っていましたが、大事な試合で取れたことがほとんどなかったんですよ。中学生のときもそうですし、高校2年生までは全国に行ったこともありませんでした。3年生になって大事な試合で点が取れるようになって、チームとしても上のレベルで戦えるようになって、選手権では自分自身、大事なところで点を取って優勝することができました。高校3年生の1年間で大きく成長できたのかなと思っています」

―大事な場面で点が取れるようになった要因はどのあたりにあるのでしょうか。
「ポジショニングが良くなったのかなと思います。もともと背が小さい選手なので、相手選手との駆け引きに勝つことを大事にしていましたし、ヘディングシュートは今でも多いですが、そういう相手との駆け引き、位置取りというのは高校の3年間ですごく上達したと思います」

―選手権の7ゴールのうち、3ゴールがダイレクトのシュートでした。
「高校のときは本田(裕一郎)監督に『サッカーの技術の基本はダイレクト。サッカーがうまい選手はダイレクトプレーがうまいんだ』とずっと言われていました。『ダイレクトできちんとボールをさばける選手は、止めてからは何でもできる。だから、サッカーがうまいやつはダイレクトがうまいんだ』と。だから、ダイレクトのキックはすごく意識して練習にも取り組んでいました。どういうパスに対しても、ダイレクトで次のプレーに移ろうということはすごく意識していましたね」

―ダイレクトシュートは相手も寄せ切れないので、ゴールの確率も高まりますね。
「そうですね。センタリングからのシュートに関して言うと、7つ歳上の兄がいるんですが、兄との練習が生きている気がします。小学3、4年生のころから兄と毎日のように公園に行って、兄がセンタリングを上げて僕がシュートを打つという練習を何時間もやっていました。そのおかげでセンタリングシュートはかなりうまくなったと思いますね。兄は7つ上なので、センタリングのボールも速いんです(笑)。それに合わせ続けるというのは良いトレーニングだったと思います」

―大前選手にとって高校選手権というのはどういう大会でしたか?
「高校サッカーにはいろんな目標があると思いますが、最終的な目標は選手権出場、選手権優勝だと思うんです。365日、3年間、流経の本田監督は『1000日』と言っていましたが、その1000日をチームメイトと一緒に同じ目標を持って取り組めたというのは何よりも財産だと思っています。優勝できるのは1校だけです。結果が出ないチームのほうが圧倒的に多いわけですから、その目標を達成できる約20人の中の一人になれたというのは、かけがえのない時間と経験でしたね」

―高校時代はどんなスパイクを履いていましたか?
「軽さと革の柔らかさは意識していました。重いスパイクは履けなかったです。走るときに違和感があるし、気持ち的に重くなるんですよ。革の柔らかさはボールを扱うときのフィット感につながりますし、足に吸い付くような感じのスパイクが好きでしたね」

―今の高校生にはどういう基準でスパイクを選んでほしいですか?
「格好いいスパイクが今は多いですし、昔より種類も多いと思います。迷うこともあると思うし、憧れの選手が履いているスパイクを履きたいと思うかもしれないですけど、やっぱり自分の能力を最大限に引き出してくれるスパイクを選ぶべきだと思います。自分の足に合わないスパイクを履いて、ダメになった選手を何人も僕は見てきているので、やっぱり外見だけでなく、自分の足にフィットするスパイクを履いてほしいと思います」

―今回の選手権に出場している選手たち、これから選手権を目指す高校生にメッセージをお願いします。
「都道府県予選で戦ってきた対戦相手というのは、ライバルでもあり、サッカー仲間でもあるんですよね。彼らに勝って選手権に出るわけですから、その人たちの代表という誇りを持って戦ってほしいと思います。メンバー入りした選手たちには、一緒に練習してきてメンバーに入れなかった選手たちの思いも考えてプレーしてほしいですね。3年間一緒にやってきた同級生の中で、スタンドで応援してくれる仲間が一番悔しいと思います。そういう仲間のためにも、しっかり最後まで戦い抜いてほしい。結果にこだわりたい部分もあると思いますが、優勝できるのは1校だけですし、まずは選手権という憧れの舞台でサッカーを思い切り楽しんでほしいですね」

―大前選手が優勝した翌年の高校選手権では鹿児島城西高の大迫勇也選手が1大会通算得点記録を塗り替える10ゴールを決め、大会得点王になりました。大迫選手から大前選手への質問があるので、いくつか質問させてください。一つ目が『選手権での得点王は狙っていましたか?」という質問です。
「最初は狙っていましたね。ただ、2回戦はPKで点を取ったんですけど、3回戦と準々決勝は点が取れなかったんです。空回りしてしまったというか、それでちょっと無理かなと。そのとき本田監督に呼ばれて『点を取らなくていいから、黒子に徹していいよ』と言われたら、気持ちが軽くなって、肩の力が抜けましたね。その結果、準決勝で4点取れて、『決勝では自分が点を取って得点王になりたい』と思ったんです。最終的に準決勝、決勝と、国立競技場という大舞台で6ゴールも取ることができて、チームも優勝できました」

―次は『全国大会より千葉県予選のほうが大変でしたか?』という質問です。
「そうかもしれませんね。市船だけでなく、八千代も習志野も渋谷幕張も強かったですし、当時は千葉国際も外国から生徒を連れてきてサッカーに力を入れ始めていました。今年の流経は選手権予選の決勝で市船に負けてしまいましたよね。でも、僕らの年代は新人戦でも選手権の決勝でも勝ちました。夏のインターハイは市船が全国優勝して、高円宮杯は僕らが優勝していたので、選手権予選の決勝は本当に全国大会の決勝ぐらいの気持ちで戦いました」

―それでは最後の質問です。『高校時代に戦った相手で一番嫌だったのはだれですか?』
「チームだと、間違いなく市船ですね。選手で嫌だったのは、インターハイの準決勝で負けた星稜の鈴木大輔選手(現ヒムナスティック・タラゴナ)ですね。アンダー世代の日本代表でもプレーしていましたし、同世代では有名なセンターバックでした。対戦したときは本当に良い選手だなと思いましたね。対人も強いし、しっかり跳ね返せるし、僕らの年代の中ではずば抜けたセンターバックの一人だったと思います」

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