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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:誰かのために(堀越高)

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堀越高が東京制覇。優勝メンバーの一人、馬場跳高も松葉杖を突いて表彰式に参加した

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 不安がなかったと言ったら嘘になる。あとほんの少しだけ耐えれば手に入っていたはずの全国の舞台で戦う権利が、土壇場での失点でするりと手元から逃げていく。それでも、信じていた。積み上げてきた日々を。どのチームよりも持ち続けてきた想いを。何より、固い信頼で結ばれている最高の仲間たちを。追い付かれた4分後。日野翔太のシュートがゴールネットへ吸い込まれていく。その瞬間。井上太聖も、尾崎岳人も、そして馬場跳高も、気付けばそれぞれの場所で声にならない声を上げながら、力の限り叫んでいた。

 2019年11月9日。味の素フィールド西が丘。高校選手権東京Aブロック準決勝。堀越高はファイナルを目前にして、帝京高に1-2で敗戦を突き付けられる。明確に『東京制覇』を掲げてきた1年の総決算。東京高校サッカー界の聖地で、彼らの進路はその行く先を閉ざされた。

 日野翔太(3年)は焦燥感を覚えていた。「『1年間やってきたけどこれか』みたいな感じでしたね。チームも個人も自信はあったんですけど、『ゲームの一番大事な所で負けていたな』と感じて、悔しいというよりは『これだけ差があるのか』と。『まだまだ足りないな』という想いがありました」。

 井上太聖(3年)は歯ぎしりするような悔しさを噛み締めていた。「試合前は負ける気がしなかったんですけど、初めての西が丘で少し浮き足立っていたのかなとも思いますし、自分がこの日のために何をしてきたかと考えると、『何もしていなかったな』と。詰める所を詰めてきたつもりだったのに、個人としては何もできなかった悔しさが残りました」。

 尾崎岳人(3年)はラインの向こう側とこちら側の違いを痛感していた。「腰のケガもあってメンバーから外れて、バックアップみたいな形でベンチには入っていましたけど、試合に出ているみんなは凄くカッコよくて、『うらやましいな』と感じましたし、正直悔しかったです。ラインの外側はだいぶ差がありました」。

 馬場跳高(3年)は失点の責任を一身に背負い込んでいた。「ピッチとか観客の雰囲気に流されて、あまり試合に入れなかったなという印象がありましたね。PKも与えてしまって、2失点とも自分が絡んでの失点だったので、負けた悔しさが一番だったのと、自分が何もできなかった申し訳なさでいっぱいでした」。

 憧れの西が丘で負けたという事実。“11月9日”は彼らの中に、苦い記憶として確かに刻み込まれた。

 迎えた2020年度の新チームは、2つのテーマを前年度のチームから引き継ぐ。1つは『東京制覇』。もう1つは『誰かのために』。それぞれにとっての“誰か”を思い浮かべ、そこをモチベーションにすることで、さらなる力を引き出すことができる、大事な合言葉だ。ところが、そんな彼らを想定外の事態が待っていた。あえて言うまでもないだろう。新型コロナウイルスによる活動自粛である。

「『絶対に都内の三冠を獲ってやる』と思って、臨もうとしていた」(尾崎)シーズンは満足にトレーニングすることすらままならない状況に。キャプテンの日野も「新1年生も誰が入ってくるのかもわからなかったですし、みんなとも離れているので、信じてはいましたけど、ちゃんと与えられたトレーニングをやっているのかも正直わからなかったです(笑)」とその頃を振り返る。

 三冠の1つである関東大会予選は中止。ほどなくして、全国大会へと繋がるはずだったインターハイ予選も中止が決定する。「本当に心にポッカリ穴が開いたという表現が一番合っているんじゃないかなと思いますし、特にインターハイは中止になってから3日ぐらい何もやる気が出なかったです」。井上はやり場のない想いを何にもぶつけられず、悶々とした日々を過ごしていた。

 だが、彼らには忘れたくない共通した記憶があった。「“11月9日”の負けというのは忘れたことがないですし、インハイがなくなってから、選手権はあると信じてずっとやっていて、その悔しさがあったから自粛期間も体を動かしたりできたのかなと思います」(馬場)「あの“11月9日”を忘れないというか、あそこで負けたのが人生で一番悔しかったので、選手権があるかどうかもわからなかったですけど、『それだけを信じてやらなきゃな』という想いはありました」(井上)。超えるべき“11月9日”。残された選手権へターゲットを絞り込む。

 トレーニングが再開し、みんなとの時間を共有していく中で、日野は少しずつ手応えを感じていた。「『あとは選手権しかない』と目標がはっきりしましたし、逆に4か月で突き詰めて東京を勝ちに行くことははっきりしていたので、去年からやってきた『勝負に優劣を付けない』という意識で練習試合でもしっかり勝負にこだわりましたし、自分たちのやるべきことを11人全員がやれば勝てるとは思えるようになっていきました」。明確な目標がチームの一体感を高めていく。

 監督を務める佐藤実は、今年の状況がこのチームにとってプラスに作用するだろうと感じていた。「我々は“主体性”や“自主性”をずっと育んできていたので、ウチにとっては絶対にプラスだろうなと感じていたんです。『オレたちってこの時のためにこういうことをやってきたんじゃないの』って。『こういう時だからこそ、みんなが主体的に考えて、チームにベクトルを向けてマインドを揃えたら、絶対に結果って出るよね』と僕は思っていたので、『たぶんオレたちのパワーを引き出してくれるのが選手権なんだろうな』というのは凄くありました」。練習試合では強豪相手にも互角の勝負を演じ、不安を新たな自信で打ち消すような毎日を重ねながら、いよいよ選手権という大海原に漕ぎ出していく。

「難しい試合になりましたし、正直一番ドキドキしました」と尾崎も振り返った2回戦は大苦戦。21-0という大勝を飾った初戦を経て、挑んだ東京高戦は延長にまでもつれ込みながら、何とか2-1で競り勝つ。「試合後に監督が『選手権のこういう難しさを今日体験できたのは凄く良いことだと思う』と前向きな言葉をくださって、改めて選手権の難しさは良く理解できました」と馬場。さらなる逞しさを纏った堀越は、大きな山場だと考えられていた続く実践学園高戦に5-0と快勝を収め、準決勝へと駒を進める。会場は味の素フィールド西が丘。忘れられない記憶を植え付けられた、約束の場所へとうとう舞い戻ってきた。

 準決勝の前日。練習を終え、馬場と一緒に電車で帰っていた尾崎は、“親友”の強い想いを感じていた。「『明日西が丘だね。絶対勝とう』と話していたんですけど、跳高の意気込みは本当に誰よりも一番あったと思います」。1年前のあの日からずっと抱えてきたリベンジへの闘志。緑の芝生が、その発露を待っている。

 2020年11月8日。味の素フィールド西が丘。高校選手権東京Bブロック準決勝。堀越高は東京実高との一戦を迎えた。華やかな応援に彩られていた昨年とは違い、スタンドに詰め掛けていたのは両校のサッカー部員と選手の関係者のみ。それでも、特別な舞台には違いない。白に紫のラインをあしらったユニフォームがピッチに散る。13時ジャスト。戦いの幕開けを告げるホイッスルが鳴り響く。

 開始早々に異変が起きた。馬場が右足を押さえてうずくまる。「『これはマズい。でも、やるしかない』と思って立ったんですよ。立って少しプレーしたんですけど、すぐに『無理だな』ってわかりました」。あるいは誰よりもこの西が丘の一戦に懸けていた5番は、たった4分間で負傷交替を余儀なくされる。

 この2年間、馬場と一緒にディフェンスラインを組んできた井上は、こう回想する。「1回倒れた馬場が立ち上がってから、自分に『ヤバイかも…』って言ってきて、『マジか…』と。今まで馬場がケガしたことなんてなかったですし、馬場が急にいなくなる感覚がなくて。でも、試合中はケガの状況もわからなかったので、『とりあえずやるしかないな』という気持ちはありました」。

 チームの采配を任されている日野は、努めて冷静に状況を把握していた。「一応誰がケガしても、誰を入れるかは考えていたので、交替は素早くできたと思いますけど、あそこは一番ケガしてほしくなかったポジションでしたし、何もなかったらフル出場で行くというのがゲームプランでした。ただ、あそこでケガをしたのはハプニングでしたけど、準備はできていたので、自分の中では焦りはあまりなかったですね」。

 動揺を最小限に抑えたチームの口火は“親友”が切った。「一番気合を入れてやってきたはずの跳高がケガしてしまって、僕も悔しい気持ちでした」と話す尾崎が、「今まで決めてきたゴールの中で一番嬉しかった」先制ゴールを叩き出す。2点目は山口輝星(2年)が、3点目は日野がPKでゲット。前半だけで3点のリードを奪い、後半へ折り返すと、さらに斎藤光(3年)のゴールでスコアは4-0に。終盤に1点を返されたものの、1年前のリベンジを見事に達成した堀越は西が丘を乗り越え、ファイナルのステージへと辿り着く。

 馬場は悟っていた。自分のケガの状態を。「『ああ、もう選手権終わったかな』って。でも、そこで自分だけが感情を出してもチームの雰囲気が悪くなると思ったので、試合中と試合後はあまり気持ちを出さないように意識しました」。翌日に訪れた病院で診断が下される。右足腓骨骨折に三角靭帯損傷。そのまま入院し、2日後の手術も決まる。全国の懸かった最後の1試合に馬場が出場することは、叶わなくなった。

 その日から尾崎は入院中の親友へ送る“LINE”が日課になった。「『病院どう?ゴハン美味しい?』みたいな話とか、応援リーダーが内田篤人選手になったので『ウッチーになったね』とか(笑) 自分から毎日LINEしていました。『明日もLINEするね』って」。

 チームメイトたちはある意思を固めていた。「元々『入れよう』って言っていた監督から試合の3日前ぐらいにLINEが来て、『どうした方がいいと思う?』って言われた時に、『それは入れるしかないでしょ』って。自分も監督にそう連絡しましたし、みんなが『入れた方がいいんじゃない』って意見になったと思います」(井上)。決勝のベンチメンバーの一枠には、馬場を入れることが決まる。

 決戦を翌日に控えた金曜日。練習グラウンドに併設されている教室に、80人近い部員が集まると、その映像は流れ出した。必ず公式戦の前に共有するモチベーションビデオ。そこに籠めた想いを、制作者でもある佐藤監督はこう明かす。「監督が誰か1人の選手のためにというのはちょっと行き過ぎかなと思うんですけど、それぐらいやってもいいヤツだなという気持ちがあって、『誰かのために』っていろいろな形に変わっていっていいんじゃないかなって。だから、決勝に関しては『アイツを1分でもピッチに立たせてやれるのは選手権の全国しかないよね』という意味でのモチベートをしてあげることが、みんなにとってスッと落ちるんだろうなと考えたんです」。時間にして5分強。そこには静かに、熱く、馬場への想いが綴られていた。

「言いたくないですけど、泣きましたね。『やってやろう』って。『馬場を全国に連れていきたいな』って。本当に悔しいはずの馬場の気持ちになってみた時に、涙が出ました」(井上)「僕も泣きましたし、他にも泣いている人がいました。もう感動というか、跳高本人が一番悔しいはずなんですけど、自分も悔しくて、『明日はやってやろう』みたいな感じで、自然と涙が出ていました。本当にヤバかったです。アレはズルいですよ」(尾崎)。2人の言葉を告げると、佐藤はこう言って笑顔を見せた。「泣かせに行っているので」。1年間掲げてきた『誰かのために』のラストピースが揃う。

 実は入院中の馬場にも、その映像は届けられていた。「正直あそこまで自分の特集みたいになると思っていなくて、申し訳ないし、早く治さなきゃなって思いました。でも、自分のいない所でみんなに見られているのを考えたら、ちょっと恥ずかしかったです(笑)」。そして、決勝でのベンチ入りも告げられる。「1枠を出れない自分のために使ってもらうのはもったいないと考えたんですけど、ベンチからでもできることはあるので、チームが勝てるように全力でやろうと決めました」。追い求めてきた『東京制覇』に加わった『馬場のために』。全員の想いは、定まった。

 11月14日。駒沢陸上競技場。澄んだ青空から降り注ぐ陽射しが眩しい。この一戦に勝つため、日々の努力を積み重ねてきたのだ。決勝の相手は大成高。松葉杖姿の馬場もベンチに座る。11人の集合写真。中央に位置した日野が、“5番”のユニフォームを両手に持つ。『東京制覇』を視界の先に見据えた堀越の、東京で戦う最後の1試合がキックオフされる。

“親友”が約束を守る。12分。市村大基(3年)、古澤希竜(2年)、日野と右サイドで繋いだボールを、宇田川瑛琉(2年)はクロス。逆サイドから山口が飛び込むと、こぼれに反応してゴールネットを揺らした尾崎は、一目散にベンチの方へ走り出す。「『跳高の所に行ける!』って。『ゴールが入ったらアイツの所に走っていこう』と思っていて、他の誰かが決めて駆け寄るより、自分が決めて行きたかったので、もう『早く行きたい!』みたいな感じでした」。

 左手の甲に“5”という数字をマジックで書いた“親友”を先頭に、チームメイトたちが向こうから走ってくる。「試合前から『絶対に点を獲るから』みたいに言ってくれていて、本当に点を獲って走ってきてくれて、メチャクチャ嬉しかったですし、みんなが輝いて見えました」(馬場)。尾崎と話し合っていた2人だけのパフォーマンスも成功。幸先良く堀越が先制点を奪う。

 1点をリードして入った後半。4分に追加点のチャンスを逃したあたりから、試合の潮目が変わる。「一気に流れが変わって、自分たちがボールを失う回数が増えてきて、相手のセットプレーにも怖さがありました」と馬場が話せば、「『自分たちのやっていることを、もう1回整理してやれば大丈夫だ』と思っていたんですけど、何とか耐えていた感じでしたし、会場の雰囲気も大成の方に寄っていっていましたね」とは日野。押し込む大成。押し込まれる堀越。

 38分。懸命に死守してきたゴールが決壊する。コーナーキックからの失点。1-1。土壇場でスコアは振り出しに引き戻された。「『何でここで点を獲られるんだ…』と。諦めたくなかったですけど、実際に言うと『ヤバいな』という気持ちの方が勝っていました」(井上)「『やっぱり選手権って簡単じゃないよね』って思いました」(佐藤監督)。それぞれがそれぞれの気持ちを抱える中、集まったピッチのイレブンへ、キャプテンが冷静に語り掛ける。

「選手権が始まる前に、一発勝負なので『負けないことが一番大事かな』と思って、もし引き分けだとしてもPK戦がありますし、ウチのキーパーの平野がPKに強いことを考えると、我慢してPK戦へ持ち込む所もゲームプランとして持っていたので、残された3分くらいで流れをしっかり断ち切って、ちゃんと整理して延長戦に入るということは考えました」と日野。「点を決められて集まった時に、日野が『まずは失点しない』と言っていて、『ディフェンスラインは絶対失点なしだぞ』ということで、気持ちを締めてゲームに戻りました」と井上も証言する。昂った感情が、再びフラットに凪いでいく。

 不安がなかったと言ったら嘘になる。あとほんの少しだけ耐えれば手に入っていたはずの全国の舞台で戦う権利が、土壇場での失点でするりと手元から逃げていく。それでも、信じていた。積み上げてきた日々を。どのチームよりも持ち続けてきた想いを。何より、固い信頼で結ばれている最高の仲間たちを。

 40+2分。斎藤のパスを、尾崎に替わって途中出場していた若松隼人(3年)が丁寧に落とし、山口の折り返しを引き出した日野が右足を振り抜くと、「技術というよりは、気持ちで打った」シュートは、ゆっくりとゴール左スミへ吸い込まれていく。その瞬間。井上も、尾崎も、そして馬場も、気付けばそれぞれの場所で声にならない声を上げながら、力の限り叫んでいた。

 表彰式に23人の優勝メンバーが整列する。一番右側には、松葉杖を突いた“5番”も並んでいる。「格好も自分だけ違っていて、そんな中で『真ん中の方に立つのは違うな』と思って、端っこに立っていました」。それでも優勝を勝ち獲った一員であることに変わりはない。『東京制覇』と『誰かのために』。2020年度の堀越が1年間を掛けて追い求めてきたものは、最高の形で結実することとなった。

 ここからは各々が自らの『誰かのために』を実現できるように、さらなる準備を進めていく。あえて聞いてみた。「全国大会に向けて『誰かのために』と考えたら、“誰か”はどういうイメージを思い浮かべますか?」と。

 日野は両親を思い浮かべるという。「色々な方々に支えてもらって自分たちがあるということはいつも言っていますけど、中学の時もサッカーへ行くために送り迎えをしてくれたり、やっぱり身近にいる両親に一番支えてもらっているので、両親に恩返しをしたいとはずっと思っています」。

 尾崎はある先輩を思い浮かべるという。「2個上に15番だった三根碧斗くんがいて、その人は尊敬から憧れになって、15番もその人に言われて付けているので、歴代の先輩のためにしっかり戦いたいですけど、その先輩の中でも一番仲が良くて、いつも応援してくれている碧斗くんには強い想いがあります」。

 井上は後輩を思い浮かべるという。「自分も『全国制覇したい』という目標はあるんですけど、全国制覇ってどうすればいいのか自分にはわからないんです。でも、後輩たちに自分たちが景色を見せることによって、来年の目標も明確になると思うので、少しでも後輩のために『良い景色を見せてあげたいな』という想いは持っています」。

 まだ松葉杖の取れていない馬場にも同じ質問をぶつけると、少し考えてから、一息に語り出す。「正直ケガしてからも、ケガする前も、たくさんの人の支えがあってここまで来られているので、自分に関わってくれたすべての方のために、自分も試合に出たいですし、チームとしても目標の埼玉スタジアムまで行きたいなと思います。ピッチに立つこと、1ミリも諦めていないので」。

“誰か”を思い浮かべる幸せと、“誰か”に思い浮かべられる幸せと。『誰かのために』戦うことのできる最高の舞台。堀越が29年ぶりに、全国へ帰ってくる。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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