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“サッカー人生集大成”の決勝もフル出場。信念持ち、陰で山梨学院V支えたDF飯弘壱大

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優勝の瞬間、山梨学院高DF飯弘壱大(右端)は真っ先にGK熊倉の下へ駆け寄った。(写真協力=高校サッカー年鑑)

[1.11 選手権決勝 山梨学院高 2-2(PK4-2)青森山田高 埼玉]

 決勝も110分間フル出場。左SB、CBとして選手権の全6試合でフル出場し、日本一を勝ち取った。山梨学院高DF飯弘壱大(3年)は「1回戦から6試合。(ポジションの関係もあると思うが)みんながフル出場だった訳じゃないですし、(長谷川大)監督に信頼してもらって、そこは自信持ってやって。嬉しかったです」と計520分間戦い抜いて勝ち取った優勝を素直に喜んだ。

 飯弘の本職はCB。だが、県予選は準決勝まで右SBを務め、決勝は左SBだった。全国大会も初戦は左SBとして先発。「みんなみたいにデカイ訳でも、上手い訳でも、速い訳でもない」という飯弘だが、相手を良く観察し、予測して先に動き、対応できる賢い選手だ。2回戦から準決勝までは、CB板倉健太(3年)が負傷離脱したことによってCBを務め、その穴を見事に埋めて見せた。

 そして、決勝では再び左SBとして先発。FC多摩ジュニアユース時代もCBのほか、SB、ボランチも務めていたという万能型だが、「(実は)自分ではCB以外の完成度は納得いっていないんです」と明かす。1年時もSBでプレーしているものの、当時は力になれなかったという思いもある。それでも、3年時は主にCBとして継続的に公式戦出場。「CBとして戦えているんだからSBでも戦えるんじゃないかなという自己暗示みたいに言い聞かせてやっていましたね」という飯弘は、決勝でも左SBとして青森山田高のサイド攻撃に良く対応していた。

 前半は無失点。対峙したMF仙石大弥(3年)に決定的な仕事をさせなかった。チームは後半12分に同点に追いつかれると、同18分に飯弘のサイドから崩されて失点。だが、これは直前に左SH広澤灯喜(3年)の靴紐が切れてピッチ外に出るというアクシデントのためだった。「(前方にいるはずの)灯喜いないなと思って。急に(自分のサイドで)2対1になっていて」。さすがにこの状況の対応は難しかったようだが、その後はスピードのあるMF藤森颯太(2年)に振り切られそうになりながらも食い下がり、3点目を許さなかったことがPK戦での勝利に繋がった。

 そのプレーがクローズアップされることは少なかったかもしれない。それでも、不慣れなポジションでも自分にできることをしっかりと表現し、チームを支えた飯弘の貢献度は大きい。「自分は目立たない仕事をやるタイプだと自分でも思っているので、一瀬(大寿)とか板倉とか、あと前の選手が目立ったり、そういう陰で自分が頑張って行こうみたいな信念は自分の中で持ってやろうというのはありましたね」。信念を持って目立たない存在に徹した飯弘は、優勝校にとって欠かせない存在だった。

 その飯弘は現在、サッカーとは違う夢を追いかけることを考えているのだという。大学はスポーツ推薦ではなくAO入試で合格。「父親が警察官で、同じ道を歩みたい。受験した時に将来何になりたいのか改めて考えた時に、自分は警察官になりたいのかなと」。父の背中に憧れ、相談し、固めてきた決意。大学では、本格的なサッカーから“卒業”し、新たな夢を実現するために必要な力を身につける努力をしていく。

 その覚悟を持って戦った選手権で全国制覇。この経験はどのような道に進んでも彼の支えになるだろう。「選手権は“引退試合”だと考えていたんですけれども、最後決勝で山田とやって、勝って終われましたね。最高でしたね。この日本一はサッカーの日本一だったんですけれども、サッカー以外にも活きると思っている。就職や、これからの人生の節目節目でこの日本一は絶対に思い出すと思うんで、一番幸せな冬を過ごしたんじゃないかなと思いますね」。大会直前に足首を怪我し、治療、テーピングを必死に続けて6試合フル出場。集大成の冬も見事に走り抜いた頭脳派DFは、また信念を持って次の一歩を踏み出す。

相手の攻撃を跳ね返した(写真協力=高校サッカー年鑑)

(取材・文 吉田太郎)

(※山梨学院高の協力により、リモート取材をさせて頂いています)
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