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旧友との再会で感じた絆。青森山田MF小原由敬は献身的な姿勢で全国制覇の一翼を担う

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常に全力で戦う姿勢を貫いた青森山田高MF小原由敬(写真協力=『高校サッカー年鑑』)

[1.10 選手権決勝 大津高 0-4 青森山田高 国立]

 自分にできることを、全力で。求められた役割を、全力で。それが何よりチームのためになると信じて、ピッチに立ってきた。だからこそ、日本一の瞬間も心から喜ぶことができたのだ。

「まずは『ベンチだから』とか思うんじゃなくて、自分にできることに焦点を当てて、何が求められているかを常に考えながら、他人と比べるのではなくて、ピッチでやるべきことを考えて練習からやってこれましたし、監督に求められることもいろいろある中で、それを自分はピッチで全部出してやろうということを考えていました」。

 青森山田高を支えたナンバー7。MF小原由敬(3年=横浜F・マリノスジュニアユース出身)の献身的な姿勢が、全国制覇の一翼を担ったことは言うまでもない。

 2年生だった昨年度の選手権では、全5試合にスタメン出場。左サイドハーフを主戦場に、準決勝では埼玉スタジアム2002でアシストも記録するなど、決勝進出に貢献する。だが、チームはPK戦の末に2年続けての準優勝。「去年はスタートで出させてもらって、自分の力も及ばずに優勝できなかったので、冬の雪中トレーニングの期間から『次こそは優勝したい』という想いでやってきました」。雪辱を期して、新シーズンをスタートさせる。

 ところが、想定外の事態が小原を襲う。「4月に新チームがスタートした時に病気に罹ってしまって、出遅れた部分があったんです」。プレミアリーグの開幕戦も欠場を強いられると、なかなか自身のコンディションが上がり切らない中で、ポジションを失ってしまう。

 それでも小原は、折れなかった。試合に出れば、自身の特徴をチームに還元させようと奮闘する。印象的だったのはインターハイ準決勝。静岡学園高(静岡)相手に途中出場からゴールを奪うと、多くのチームメイトが笑顔でスコアラーに駆け寄っていく。「試合に出られない時間もあった中で、自分自身と向き合って、自分の長所や短所を知ることができたのが、一番成長できた部分かなと思います」。長所を伸ばし、短所を克服する。決して簡単な作業ではないが、地道に日々のトレーニングと向き合ってきた。

 選手権の前には、高校入学時から望んできた“再会”もあった。「ジュニアユースの時に、向こうはサンフレッチェに行って、『いずれチャンピオンシップで対戦できたらいいね』と話していたので、それが実現したのは嬉しかったです」と小原。横浜F・マリノスジュニアユース時代のチームメイトであり、サンフレッチェ広島ユースへと進んだMF西村岳(3年)とは大の仲良し。東西のプレミアリーグ王者が対峙したJFA競技会委員長杯で、2人は最後の5分間だけ同じピッチに立つ。

「岳と一緒のピッチに立てたことが嬉しかったですし、また一緒のピッチでやりたいという気持ちになりました」。3年ぶりの日本一と、シーズン3冠を懸けて挑む大舞台を前に、小原は改めてサッカーが結ぶ絆の大切さを実感していた。

 迎えた最後の選手権。準決勝まですべての試合で後半にピッチへ送り込まれていた小原は、大津高(熊本)と激突した決勝でも、4点をリードした後半33分から国立競技場の緑の芝生を踏みしめる。自分にできることを、全力で。求められた役割を、全力で。その姿勢は、高校生活のラストゲームでも何1つ変わることはなかった。

「自分は青森山田の一員としてこの100回大会で優勝するために、この3年間ずっとやってきたので、優勝できて素直に嬉しい気持ちです。苦しいシーズンではあったんですけど、いろいろな人に支えてもらいながら、凄く充実したシーズンだったのかなと。凄く濃い1年だったかなと思います」。終わってみれば、やり切ったという大きな充実感に小原は満たされていた。

「自分は大学に進学してサッカーを続けるので、この3年間で培ったものを次のステージにしっかり生かしていきたいです」。決して良いことばかりを味わったわけではない。でも、それゆえに人一倍成長してきたという実感もある。小原のサッカーキャリアは、まだまだこれからが本番だ。

(取材・文 土屋雅史)

(※青森山田高の協力により、リモート取材をさせて頂いています)
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