beacon

悔しさも、嬉しさも、必ず今後の糧になる。青森山田MF本田真斗は左足を武器に再び故郷でプロを目指す

このエントリーをはてなブックマークに追加

日本一のピッチに立った青森山田高MF本田真斗は左足に覚えあり(写真協力=『高校サッカー年鑑』)

[1.10 選手権決勝 大津高 0-4 青森山田高 国立]

 自分自身を変えるために、青森の地を選んで3年と少し。思い描いていたような未来ではなかったかもしれないが、このチームで過ごした時間は、これからの自分にとって間違いなく大きな宝物になる。

「今まで全国制覇を目指して3年間やってきたので、ここまで楽しいことだけではなくて、苦しいこともあったんですけど、チーム一丸となって優勝できたことは素直に嬉しい気持ちです」。

 青森山田高の技巧派レフティ。MF本田真斗(3年=青森山田中出身)は再び故郷の地へと帰還し、さらなる成長を期す日々をスタートさせる。

 ベガルタ仙台ジュニアユース時代には、U-16日本代表候補にも選出。県選抜でも10番を背負うなど、将来を嘱望されていた本田は、中学3年の秋に青森山田中へと転入する。

 厳しい環境に身を置き、レベルの高いチームメイトと切磋琢磨することで、少しずつトップチームでの出場機会を増やしていくと、2年生だった昨年度の選手権でも登録メンバー入りを果たし、準決勝の矢板中央高(栃木)戦では埼玉スタジアム2002のピッチも経験。一層の飛躍を誓い、最後の1年間へと向かう。

 勝負したいポジションには、世代屈指とも称されるMF松木玖生(3年)とMF宇野禅斗(3年)というドイスボランチが君臨していた。それでも限られた出場機会で、その存在をアピールする。プレミアリーグEASTでは開幕からの4試合で2ゴールを記録。サイドハーフや1トップ下で、その左足を駆使しながらステップアップを窺い続ける。

 だが、日本一に輝いたインターハイでは無念のメンバー外。プリンスリーグ東北でスタメン出場を果たした翌日に、アウェイでのプレミアリーグのメンバーに入るも、出場機会を得られずに、再びバスで青森へと帰るような日もあった。

 だからこそ、支えてくれる周囲の人々の優しさに触れ、人間的な成長も実感することができたという。「本当に苦しいことが多かったですけど、いろいろな人が支えてくれて、応援し続けてくれた人がいて、そういう方々に感謝したいですし、寮生活を通して、サッカーだけじゃなくて人間性の部分でも成長できたと思うので、本当に大きな3年間だったと思います」。

 最後の選手権では決勝を含む3試合に出場。クローザー的な役割で後半終盤からのピッチインが多かった中、国立競技場ではゴールに迫るシーンもあった。準決勝の高川学園高(山口)戦。この日も本田は後半35分に投入されると、その3分後に大きなチャンスが到来する。

 松木が蹴った左CK。ルーズボールを拾った本田は、思わず放送席で解説を務めていた中澤佑二氏と松井大輔氏が「ナイスボール!」と声を揃える左足のキックで左へ展開。松木のクロスから、DF三輪椋平(3年)が落としたボールが本田の足元へ帰ってくる。

「『来たな!』って思ったんですけど、利き足じゃない方だったんですよね(笑)」。ペナルティエリア外から、利き足とは逆の右足で叩いたシュートはGKにキャッチされる。ただ、その後が秀逸。相手GKのパントキックに全速力で自陣へ駆け戻ると、中盤でのこぼれ球を自ら拾ってマイボールに。50メートル近いスプリントで、戦う姿勢を前面に押し出してみせた。

 大津高(熊本)と対峙した決勝も、後半40分から登場し、日本一を告げるタイムアップのホイッスルをピッチで聞く。「インターハイでメンバーに入ることができなくて、プレミアでもなかなか出場時間が短かったですけど、最後にこうやって選手権でしっかりピッチに立って、優勝メンバーの一員として日本一になれたということは、本当に今まで頑張ってきて良かったなって思います」。国立の芝生の上で、本田の笑顔が輝いた。

 卒業後は仙台大学へと進学。自分の大きな夢を叶えるための日々が、春から待ち受けている。「自分はプロを目指しているので、青森山田で学んだことを生かして、しっかりプロになって、お世話になった方々に恩返しできればなと思っています」。

 悔しさも、嬉しさも、必ず今後の糧になる。さまざまな感情と経験を積み重ねたからこそ、本田がこれから進んでいく道には、多くの手にすべき果実が待っているに違いない。

(取材・文 土屋雅史)

(※青森山田高の協力により、リモート取材をさせて頂いています)
●【特設】高校選手権2021
▶高校サッカー選手権 全試合ライブ&ダイジェスト配信はこちら

TOP