みんなの想いが詰まった手作りの「報告会」。選手権全国4強の関東一に1か月遅れで行われた表彰式の意義と意味
ちょうど1か月遅れで届いたメダルを胸元に輝かせながら、記念写真のフレームに収まる高校生らしい笑顔が微笑ましい。
「もうみんな気持ちは切り替えられていますし、辞退した次の日に国立で表彰となると、みんな表情が硬くなったり、どういう立ち振る舞いをすればいいか分からなかったと思うんですけど、表彰が今日で良かったなと思います」(池田健人主将)。
7日、関東一高サッカー部の『第100回全国高校サッカー選手権大会報告会』が同校にて開催された。関東一は第100回全国高校サッカー選手権大会で準決勝まで勝ち上がりながら、試合前日に選手から新型コロナウイルスの陽性反応が認められたため、出場辞退を発表。開幕戦以来となる国立競技場への帰還が叶わず、表彰式にも出席することができなかった。
同校生徒会が主催したこの日の報告会には、サッカー部員、チームスタッフ、生徒会役員、教職員、チアリーダー部が参加。全国3位表彰のプレゼンターとして、全国高校サッカー選手権大会実行委員長の玉生謙介先生や日本テレビスポーツ局高校サッカー事務局長の永井孝昌氏も来場し、表彰状やトロフィー、民放杯や各種記念品贈呈が行われた表彰式に加え、生徒会主導で作成した生徒たちや先生方からのビデオメッセージも放映されるなど、和やかな雰囲気で1時間弱の会は進められた。
報告会はそもそも生徒会の発案だったという。「会長がまず一番始めに『こういうことをやりたいから準備しよう』という感じでした。大会前の壮行会も学校主体でやっていたので、『あ!それと同じようなものか!』と思いましたし、『じゃあ頑張らなきゃな!』って。こういう時期で、なかなか先生にアポを取ろうと思っても会えなかったりして、日にちがギリギリになってしまうのではないかという不安はあったんですけど、みんな協力して準備を進めることができました」と話すのは同校生徒会副会長の佐藤渚さん。開催が決まってからは、限られた時間を使って、会の内容や段取り、企画等をみんなで詰めていく。
選手権では苦渋の決断を迫られた高体連関係者も、「関東一のみんなに何かをしてあげたい」という想いは全員が共有していたものの、東京を取り巻く昨今の社会情勢を受け、なかなか実行に移すまでには至っていなかった。そんな中で、この選手権の報告会が関東一の校内で開催されるという情報を知らされる。
「こういう状況の中でなかなかどうしたらいいのかという見通しが立たず、選手権が終わった後も悩んでいました。その中で関東第一高校さんが学校として式典を開くということを伺って、『それならば是非そこで、国立でできなかった表彰式を一緒にやらせていただけないでしょうか?』というわがままなお願いをこちらからさせてもらいました。それに対して関東第一高校さんが受け入れて下さって、今日に至ったという話なんです」と明かすのは玉生先生。さらに選手権開催に尽力されている日本テレビ、大会協賛社のスフィーダも加わり、各種表彰の準備が進められていった。
「生徒会の人たちも学校の生徒なので、このコロナ禍で文化祭がなくなったり、複雑な気持ちがあると思うんですけど、自分たちサッカー部を応援してくれたことに感謝したいですし、先生主体ではなくて生徒が動いてくれたということは凄く嬉しいですね」とはキャプテンの池田健人(3年)。彼らを取り巻く少なくない人たちの想いが結集して、報告会当日を迎えることになる。
チアリーダー部が作った“花道”の間を通って、開会式でも使用された校名入りのプラカードを先頭に、大会のメンバーに入っていた選手たちが登場する。「リハーサルの前日に追加の表彰が決まったりしたので、一からまた司会原稿を書き直したり、その日もギリギリまで学校に残って、みんなで使う曲を決めたりしていました」と佐藤さん。まさに“手作り”で整えられてきた舞台の幕が上がる。
最初に行われたのは表彰式。玉生先生から表彰状が池田へ、トロフィーが副キャプテンの下田凌嘉(3年)へ、メダルが肥田野蓮治(3年)へ、永井氏から民放杯が藤井日向(3年)へと、それぞれ贈呈される。
「彼らには何もしてあげられなかったので、少しでもこの報告会に参加させてもらって、若干の花を添えることができたのは良かったと思いますし、我々としても表彰式をやってあげられたことは、少しだけホッとしたというか、気が晴れたというか、そういう部分はありますね」と玉生先生。ようやく関東一の元へ届くべきものが、大会関係者の想いとともに届けられた。
次のプログラムは『動画放映』。これも生徒会がみんなで作成したものだ。場内が暗転し、プロジェクターに動画が映し出される。Alexandrosの『ワタリドリ』をBGMに、登場してきたのは学校の生徒たち。教室で、グラウンドで、少なくない数の生徒たちが、サッカー部への感謝と激励のメッセージを連ねていく。
「ビデオメッセージには本当に感動して、今度“三送会”があるんですけど、『そこでは絶対に泣くな』と思いました(笑)」(池田)「僕もビックリしました。生徒たちがメッセージをくれる動画を見て『ああ、いいなあ』って。普段授業で見ている子たちもいますし、学生らしくて良かったなと思いました」(小野貴裕監督)「動画もサッカー部のみんなが真剣に見てくれて凄く嬉しかったですし、その動画を見て私が泣いちゃいそうになりました(笑)」(佐藤さん)。サッカー部に対する学校全体の想いが、15分近い映像に余すところなく凝縮されていた。
報告会のお礼として、池田が壇上へ上がる。「全国大会では本当に多くの方々の応援やサポートが僕たちを後押ししてくれ、厳しい試合を乗り越えて、全国3位という結果を残すことができました。準決勝は不戦敗という形で終わってしまいましたが、高校サッカーは僕たちにとってゴールではなく、あくまでも通過点です。この経験を無駄にせず、それぞれのピッチでこれからに生かしていきたいと思います。そして来年、必ず後輩たちが国立に戻ってきてくれることを信じています。本日はありがとうございました」。本格的なサッカーは高校までと決めているキャプテンが、晴れ晴れしい表情で紡いだ立派な挨拶だった。
生徒会の生徒から堀井榛人(3年)へ、渋谷学校長から小野監督へ花束が贈呈されたのち、サッカー部全員へ対する各種記念品の贈呈に移っていく。スフィーダからは同校OBでもある今野太祐氏(元FC琉球)がプレゼンターとなり、記念Tシャツが若松歩(3年)へ、日本テレビからは準決勝の記念タオルマフラーが坂井航太(3年)へ、吉村理事長からは移動用の記念Tシャツが笠島李月(3年)へと、それぞれ手渡される。最後は大会メンバー、3年生全員、そしてサッカー部員全員での記念写真を撮影して、報告会は終了した。
「大変なこともあったんですけど、それも楽しみながらできましたし、『サッカー部のみんなが絶対に喜んでくれるんじゃないか』『絶対に喜んでほしい』という気持ちがありました。みんなからの動画のメッセージを見てもらえば分かると思うんですけど、生徒みんながサッカー部の皆さんのことを応援しているので、次の代も、その次の代も、頑張ってほしいなと思います」(佐藤さん)。生徒会なくして、この報告会は開催されなかった。彼らの行動力と実行力にも大きな拍手を送りたい。
「表彰式と報告会で、このような機会を受け入れていただいて、やらせていただけたことは本当に感謝しかないですし、何よりも全体的なこの雰囲気が本当に素晴らしいなと感じました。それに『この悔しさを次に繋げていくんだ』という想いは、彼ら選手たちの表情を見ていても伝わってきたので、そういう面では『ああ、この子たちは強いな』って。『やっぱりあそこまで行くことのできる子たちの集団なんだな』と思いました」(玉生先生)。
同じ高校生を相手に教鞭を執る高体連の先生方が、今回の事態に様々な感情を抱いていたことは想像に難くない。そんな仲間たちの意を汲み、この表彰式という機会の創出を決断した玉生先生をはじめとする高体連関係者の方々にも、敬意を表したい。
このチームをキャプテンとして支えてきた池田は、あるいは3年間で最も成長した選手かもしれない。ピッチでの振る舞いも、人前に出て行う挨拶も、この1年は常にみんなの模範となり得るものだった。
「こういう時期にも関わらず、こういう式を開催してくれたことが本当に嬉しいです。辞退が決まってから、3,4日間ぐらいはSNSを見てもずっと関東第一の名前がありましたし、なかなか気持ちの整理ができないところはあったんですけど、1か月経った今は、逆に負けずに高校サッカーを終われたので、これで良かったなという想いもありますし、『本当に3位だったんだな』ということは今日を含めて、改めて実感しています」。
「インターハイの頃から真剣なサッカーは高校でやめると決めていて、選手権は本格的に目標を持ってサッカーをするのは最後でしたし、高校サッカー選抜の選考会にも行かせてもらえて、それが本当にサッカーの引退という感じになったんですけど、後悔というのは何1つないです」。
「今日も協会の方や学校の方々に、そして生徒の方々にこのような会を開いていただいて、本当にありがたく思いますし、SNSでも心配して下さっている方々が本当に多くいたので、その方たちには『もう自分たちは切り替えられているので、次に進んでいます』ということを伝えたいです。この悔しさは2年生が晴らしてくれると信じています。ベンチメンバーにも下級生はいっぱいいたので、もう1回国立に戻って、次こそは決勝に行ってほしいなと思います」。
池田がこれから歩んでいく新たなチャレンジにも、彼を応援する多くの方々とともにエールを届けたい。
誰よりも選手たちを間近で見てきた小野監督は、報告会でもずっと静かな笑顔を湛えていた。穏やかで、自己主張を好まず、サッカーと真摯に向き合うこの人のチームが、選手権という舞台であのような事態に見舞われたことには、きっと多くのサッカー仲間が心を痛めたはずだ。それでも状況を受け入れ、自分の中で消化した彼は、もうとっくに前を向いている。
「世間から見ると今回の出来事は凄くインパクトのあることだったと思うんですけど、ああいうことはこの2年間でどこでも起きていたことですし、それはもしかすると僕も子供たちも含めて、この東京という場所で生活している中では当たり前のことだったというか、いつ自分たちがなってもおかしくないというところでやっていたので、その感覚は全国の方たちと比べると多少違ったのかなと。本当に誰を恨む気持ちもないですし、それは選手もそう思っているはずです。自分自身もあの決断に賛否両論はあったとしても、この2年間で自分がやってきたことから考えれば、妥当な判断だったのかなと思っています。でも、少し時間があったことで、子供たちも今はだいぶ整理できているというか、今改めてポジティブに物事を考えているんじゃないかなって」。
「今日の式もメチャメチャ良かったですよ。こんなふうにやってもらえて凄くありがたかったですし、一般の生徒を巻き込んでできたことも凄く嬉しかったです。より多くの人間を巻き込めることが学生スポーツの良さかなと感じているので、今回もこうやって手作りでやってくれたことも嬉しいですし、これでまた他のクラブも頑張ろうと思ってくれたら、それは最高だなと思うので、本当に良い時間でした。『これがないとこのチームは終われないな』と思っていたので、やっと心が落ち着いた気がしますけど、本音を言うと今から入試を頑張る子もいるので、それを終えてというところはありますね」。
「実際に学校にも手紙やお電話を戴いたんですけど、ネガティブな内容の話は僕の耳に1回も届いていないんです、僕の手元には、サッカー少年の『関東一高でサッカーをやりたいので頑張ります』という手紙とか、お孫さんがいらっしゃるというご年配の方の『必ずあなたたちの人生には良いことが待っていますよ』という手紙とか、本当にポジティブな意見しか届いていなくて、逆に世間の皆さまに気を使っていただいたなと思いますし、それだけ多くの方々に見ていただいたり、いろいろ感じてもらえたものがあるのなら、本当に良かったなと。あとは、サッカー界の人は熱い人が多いです!『そんなに気にしてもらえるの?』というぐらいに(笑)、皆さんが気を遣って下さって、本当にサッカー界にいて良かったなと思いました。やっぱりサッカーって素晴らしいですし、いろいろな方との繋がりも改めて理解できて、良い経験をさせてもらいました。感謝しかありません」。
会の最中は神妙な顔をしていた選手たちも、写真撮影の時にはすっかり楽しそうな表情を浮かべて、仲間とふざけ合っていた。涙のない、笑顔と感謝にあふれた表彰式が最後に待っていたことは、高校生には抱えきれないような感情を突き付けられたであろう彼らにとって、せめてもの救いになっただろうか。
無念の出場辞退から1か月。この多くの人たちの想いが詰まった報告会を創り上げた、関東一高サッカー部を取り巻くすべての方々に、最大限の敬意を。
(取材・文 土屋雅史)
「もうみんな気持ちは切り替えられていますし、辞退した次の日に国立で表彰となると、みんな表情が硬くなったり、どういう立ち振る舞いをすればいいか分からなかったと思うんですけど、表彰が今日で良かったなと思います」(池田健人主将)。
7日、関東一高サッカー部の『第100回全国高校サッカー選手権大会報告会』が同校にて開催された。関東一は第100回全国高校サッカー選手権大会で準決勝まで勝ち上がりながら、試合前日に選手から新型コロナウイルスの陽性反応が認められたため、出場辞退を発表。開幕戦以来となる国立競技場への帰還が叶わず、表彰式にも出席することができなかった。
同校生徒会が主催したこの日の報告会には、サッカー部員、チームスタッフ、生徒会役員、教職員、チアリーダー部が参加。全国3位表彰のプレゼンターとして、全国高校サッカー選手権大会実行委員長の玉生謙介先生や日本テレビスポーツ局高校サッカー事務局長の永井孝昌氏も来場し、表彰状やトロフィー、民放杯や各種記念品贈呈が行われた表彰式に加え、生徒会主導で作成した生徒たちや先生方からのビデオメッセージも放映されるなど、和やかな雰囲気で1時間弱の会は進められた。
報告会はそもそも生徒会の発案だったという。「会長がまず一番始めに『こういうことをやりたいから準備しよう』という感じでした。大会前の壮行会も学校主体でやっていたので、『あ!それと同じようなものか!』と思いましたし、『じゃあ頑張らなきゃな!』って。こういう時期で、なかなか先生にアポを取ろうと思っても会えなかったりして、日にちがギリギリになってしまうのではないかという不安はあったんですけど、みんな協力して準備を進めることができました」と話すのは同校生徒会副会長の佐藤渚さん。開催が決まってからは、限られた時間を使って、会の内容や段取り、企画等をみんなで詰めていく。
司会進行も生徒会の学生が行う
選手権では苦渋の決断を迫られた高体連関係者も、「関東一のみんなに何かをしてあげたい」という想いは全員が共有していたものの、東京を取り巻く昨今の社会情勢を受け、なかなか実行に移すまでには至っていなかった。そんな中で、この選手権の報告会が関東一の校内で開催されるという情報を知らされる。
「こういう状況の中でなかなかどうしたらいいのかという見通しが立たず、選手権が終わった後も悩んでいました。その中で関東第一高校さんが学校として式典を開くということを伺って、『それならば是非そこで、国立でできなかった表彰式を一緒にやらせていただけないでしょうか?』というわがままなお願いをこちらからさせてもらいました。それに対して関東第一高校さんが受け入れて下さって、今日に至ったという話なんです」と明かすのは玉生先生。さらに選手権開催に尽力されている日本テレビ、大会協賛社のスフィーダも加わり、各種表彰の準備が進められていった。
「生徒会の人たちも学校の生徒なので、このコロナ禍で文化祭がなくなったり、複雑な気持ちがあると思うんですけど、自分たちサッカー部を応援してくれたことに感謝したいですし、先生主体ではなくて生徒が動いてくれたということは凄く嬉しいですね」とはキャプテンの池田健人(3年)。彼らを取り巻く少なくない人たちの想いが結集して、報告会当日を迎えることになる。
チアリーダー部が作った“花道”の間を通って、開会式でも使用された校名入りのプラカードを先頭に、大会のメンバーに入っていた選手たちが登場する。「リハーサルの前日に追加の表彰が決まったりしたので、一からまた司会原稿を書き直したり、その日もギリギリまで学校に残って、みんなで使う曲を決めたりしていました」と佐藤さん。まさに“手作り”で整えられてきた舞台の幕が上がる。
最初に行われたのは表彰式。玉生先生から表彰状が池田へ、トロフィーが副キャプテンの下田凌嘉(3年)へ、メダルが肥田野蓮治(3年)へ、永井氏から民放杯が藤井日向(3年)へと、それぞれ贈呈される。
「彼らには何もしてあげられなかったので、少しでもこの報告会に参加させてもらって、若干の花を添えることができたのは良かったと思いますし、我々としても表彰式をやってあげられたことは、少しだけホッとしたというか、気が晴れたというか、そういう部分はありますね」と玉生先生。ようやく関東一の元へ届くべきものが、大会関係者の想いとともに届けられた。
トロフィーを受け取る下田凌嘉。左は全国高校サッカー選手権大会実行委員長の玉生謙介先生
次のプログラムは『動画放映』。これも生徒会がみんなで作成したものだ。場内が暗転し、プロジェクターに動画が映し出される。Alexandrosの『ワタリドリ』をBGMに、登場してきたのは学校の生徒たち。教室で、グラウンドで、少なくない数の生徒たちが、サッカー部への感謝と激励のメッセージを連ねていく。
「ビデオメッセージには本当に感動して、今度“三送会”があるんですけど、『そこでは絶対に泣くな』と思いました(笑)」(池田)「僕もビックリしました。生徒たちがメッセージをくれる動画を見て『ああ、いいなあ』って。普段授業で見ている子たちもいますし、学生らしくて良かったなと思いました」(小野貴裕監督)「動画もサッカー部のみんなが真剣に見てくれて凄く嬉しかったですし、その動画を見て私が泣いちゃいそうになりました(笑)」(佐藤さん)。サッカー部に対する学校全体の想いが、15分近い映像に余すところなく凝縮されていた。
生徒からのメッセージ動画が放映された
報告会のお礼として、池田が壇上へ上がる。「全国大会では本当に多くの方々の応援やサポートが僕たちを後押ししてくれ、厳しい試合を乗り越えて、全国3位という結果を残すことができました。準決勝は不戦敗という形で終わってしまいましたが、高校サッカーは僕たちにとってゴールではなく、あくまでも通過点です。この経験を無駄にせず、それぞれのピッチでこれからに生かしていきたいと思います。そして来年、必ず後輩たちが国立に戻ってきてくれることを信じています。本日はありがとうございました」。本格的なサッカーは高校までと決めているキャプテンが、晴れ晴れしい表情で紡いだ立派な挨拶だった。
関東一高のキャプテン、池田健人が挨拶に登壇
生徒会の生徒から堀井榛人(3年)へ、渋谷学校長から小野監督へ花束が贈呈されたのち、サッカー部全員へ対する各種記念品の贈呈に移っていく。スフィーダからは同校OBでもある今野太祐氏(元FC琉球)がプレゼンターとなり、記念Tシャツが若松歩(3年)へ、日本テレビからは準決勝の記念タオルマフラーが坂井航太(3年)へ、吉村理事長からは移動用の記念Tシャツが笠島李月(3年)へと、それぞれ手渡される。最後は大会メンバー、3年生全員、そしてサッカー部員全員での記念写真を撮影して、報告会は終了した。
「大変なこともあったんですけど、それも楽しみながらできましたし、『サッカー部のみんなが絶対に喜んでくれるんじゃないか』『絶対に喜んでほしい』という気持ちがありました。みんなからの動画のメッセージを見てもらえば分かると思うんですけど、生徒みんながサッカー部の皆さんのことを応援しているので、次の代も、その次の代も、頑張ってほしいなと思います」(佐藤さん)。生徒会なくして、この報告会は開催されなかった。彼らの行動力と実行力にも大きな拍手を送りたい。
「表彰式と報告会で、このような機会を受け入れていただいて、やらせていただけたことは本当に感謝しかないですし、何よりも全体的なこの雰囲気が本当に素晴らしいなと感じました。それに『この悔しさを次に繋げていくんだ』という想いは、彼ら選手たちの表情を見ていても伝わってきたので、そういう面では『ああ、この子たちは強いな』って。『やっぱりあそこまで行くことのできる子たちの集団なんだな』と思いました」(玉生先生)。
同じ高校生を相手に教鞭を執る高体連の先生方が、今回の事態に様々な感情を抱いていたことは想像に難くない。そんな仲間たちの意を汲み、この表彰式という機会の創出を決断した玉生先生をはじめとする高体連関係者の方々にも、敬意を表したい。
このチームをキャプテンとして支えてきた池田は、あるいは3年間で最も成長した選手かもしれない。ピッチでの振る舞いも、人前に出て行う挨拶も、この1年は常にみんなの模範となり得るものだった。
「こういう時期にも関わらず、こういう式を開催してくれたことが本当に嬉しいです。辞退が決まってから、3,4日間ぐらいはSNSを見てもずっと関東第一の名前がありましたし、なかなか気持ちの整理ができないところはあったんですけど、1か月経った今は、逆に負けずに高校サッカーを終われたので、これで良かったなという想いもありますし、『本当に3位だったんだな』ということは今日を含めて、改めて実感しています」。
「インターハイの頃から真剣なサッカーは高校でやめると決めていて、選手権は本格的に目標を持ってサッカーをするのは最後でしたし、高校サッカー選抜の選考会にも行かせてもらえて、それが本当にサッカーの引退という感じになったんですけど、後悔というのは何1つないです」。
「今日も協会の方や学校の方々に、そして生徒の方々にこのような会を開いていただいて、本当にありがたく思いますし、SNSでも心配して下さっている方々が本当に多くいたので、その方たちには『もう自分たちは切り替えられているので、次に進んでいます』ということを伝えたいです。この悔しさは2年生が晴らしてくれると信じています。ベンチメンバーにも下級生はいっぱいいたので、もう1回国立に戻って、次こそは決勝に行ってほしいなと思います」。
池田がこれから歩んでいく新たなチャレンジにも、彼を応援する多くの方々とともにエールを届けたい。
誰よりも選手たちを間近で見てきた小野監督は、報告会でもずっと静かな笑顔を湛えていた。穏やかで、自己主張を好まず、サッカーと真摯に向き合うこの人のチームが、選手権という舞台であのような事態に見舞われたことには、きっと多くのサッカー仲間が心を痛めたはずだ。それでも状況を受け入れ、自分の中で消化した彼は、もうとっくに前を向いている。
小野貴裕監督の言葉を聞く選手たち
「世間から見ると今回の出来事は凄くインパクトのあることだったと思うんですけど、ああいうことはこの2年間でどこでも起きていたことですし、それはもしかすると僕も子供たちも含めて、この東京という場所で生活している中では当たり前のことだったというか、いつ自分たちがなってもおかしくないというところでやっていたので、その感覚は全国の方たちと比べると多少違ったのかなと。本当に誰を恨む気持ちもないですし、それは選手もそう思っているはずです。自分自身もあの決断に賛否両論はあったとしても、この2年間で自分がやってきたことから考えれば、妥当な判断だったのかなと思っています。でも、少し時間があったことで、子供たちも今はだいぶ整理できているというか、今改めてポジティブに物事を考えているんじゃないかなって」。
「今日の式もメチャメチャ良かったですよ。こんなふうにやってもらえて凄くありがたかったですし、一般の生徒を巻き込んでできたことも凄く嬉しかったです。より多くの人間を巻き込めることが学生スポーツの良さかなと感じているので、今回もこうやって手作りでやってくれたことも嬉しいですし、これでまた他のクラブも頑張ろうと思ってくれたら、それは最高だなと思うので、本当に良い時間でした。『これがないとこのチームは終われないな』と思っていたので、やっと心が落ち着いた気がしますけど、本音を言うと今から入試を頑張る子もいるので、それを終えてというところはありますね」。
「実際に学校にも手紙やお電話を戴いたんですけど、ネガティブな内容の話は僕の耳に1回も届いていないんです、僕の手元には、サッカー少年の『関東一高でサッカーをやりたいので頑張ります』という手紙とか、お孫さんがいらっしゃるというご年配の方の『必ずあなたたちの人生には良いことが待っていますよ』という手紙とか、本当にポジティブな意見しか届いていなくて、逆に世間の皆さまに気を使っていただいたなと思いますし、それだけ多くの方々に見ていただいたり、いろいろ感じてもらえたものがあるのなら、本当に良かったなと。あとは、サッカー界の人は熱い人が多いです!『そんなに気にしてもらえるの?』というぐらいに(笑)、皆さんが気を遣って下さって、本当にサッカー界にいて良かったなと思いました。やっぱりサッカーって素晴らしいですし、いろいろな方との繋がりも改めて理解できて、良い経験をさせてもらいました。感謝しかありません」。
会の最中は神妙な顔をしていた選手たちも、写真撮影の時にはすっかり楽しそうな表情を浮かべて、仲間とふざけ合っていた。涙のない、笑顔と感謝にあふれた表彰式が最後に待っていたことは、高校生には抱えきれないような感情を突き付けられたであろう彼らにとって、せめてもの救いになっただろうか。
無念の出場辞退から1か月。この多くの人たちの想いが詰まった報告会を創り上げた、関東一高サッカー部を取り巻くすべての方々に、最大限の敬意を。
(取材・文 土屋雅史)