夏はコロナ、秋に大怪我…苦難乗り越えピッチに立った佐野日大MF江沢匠映主将「メンタルが本当に鍛えられた」
[1.4 選手権準々決勝 佐野日大 0-4 岡山学芸館 等々力]
キャプテンとして臨んだ高校生活ラストイヤーは苦難に満ちたものだった。それでも最後は全国への扉を6年ぶりに開き、念願だったピッチにも立つことができた。準々決勝の敗戦後、佐野日大高MF江沢匠映主将(3年=クマガヤSC)は「最高のチームでサッカーができて良かった」と目を潤ませながら語った。
新チームの中心選手として期待されていた江沢は選手権県予選を間近に控えた9月と10月、右膝の半月板を立て続けに負傷した。練習中に突然膝が動かなくなってしまう「ロッキング」という症状。夏のインターハイ予選では新型コロナウイルスに罹患し、全国をかける戦いに出場できなかった主将にまたしても悲劇が襲った。
「もう終わっちゃうかなという思いだった」
それでも江沢は諦めなかった。「絶対に諦められなかったのでリハビリを頑張った。いまはたまに痛くなることはあるけどプレーは全然できる状態」。いまも右膝はテーピングでぐるぐる巻き。ピッチに立つのも時間限定という配慮がなされたが、懸命な回復によってサッカー人生最後の大会でピッチに立った。
準々決勝で投入されたのは、すでに0-2ビハインドとなった後半30分だった。江沢が得意とするロングスローでのプレー再開。それまでは最終ラインのDF大野結斗(3年)がすさまじい飛距離のボールを投げていたが、すでに10本を投げて軌道が読まれ始めていたことに加え、182cmという大野の高さをゴール前に加えるための采配でもあった。
実は初戦の奈良育英高戦でも江沢のスローワー起用から相手を押し込み、チームは後半80+2分に劇的な決勝ゴールを記録していた。最後に頼れる反撃の一手。初戦では「自分に甘く生きたくなかったので、自分が入ったことは勝ちに関係ないと思っていた」という江沢は「次の試合こそ絶対に自分が得点に関わろうと思っていた」と強い気持ちでフィールドに立った。
ボールの感触を見ながら手袋を外し、気持ちを込めて臨んだ一投目。ニアサイドに飛んだボールは相手のクリアに阻まれたが、ここから決定機が生まれた。こぼれ球を拾ったFWヒアゴンフランシス琉生(3年)の浮き球を大野が頭で落とすと、ゴール前に詰めたFW大久保昇真(3年)がシュート。しかし、これは相手GK平塚仁(2年)のスーパーセーブに阻まれた。
応援席のムードもいっそう高まり、ここから反撃ムード——。ところが、結果は無情なものだった。その直後、交代選手を投入してきた岡山学芸館にカウンター攻撃を完結され、さらに追加点を奪われると、その後はなかなか良い形で攻撃に持ち込めなかった。江沢のロングスローも難しい位置からの2回のみ。最後は4点目を奪われ、0-4の大敗に終わった。
試合後、取材エリアに立った海老沼秀樹監督に江沢の起用意図を問うと、「彼は……」と切り出したところで声を詰まらせ、涙ながらに言葉を続けた。
「彼は関東大会まで一生懸命やってくれていた中、インターハイではコロナがあって出られなくて、選手権で怪我をしてしまった。県大会も思うようなプレーができなくて、彼自身も心が折れたこともあったけど、キャプテンとして最後にこの舞台に戻ってきてくれた。私たち大人が考える以上に、18歳の子どもにとってすごくつらい経験をしたと思う。それでも最後、チームのために出てくれた。まだ0-2だったので彼が入ってチームを活性化することによって勝機が見出せると思って送り出した。勝負の世界は甘いものじゃなかったけど、一生懸命にやってくれたと思います」
続けて江沢も取材エリアに姿を見せ、「自分がなんとしても1点取って、得点に絡んでやるという気持ちだったけど、それができなくてすごく悔しい」と述べた後、指揮官への感謝を語った。
「海老沼監督にはありがたいという思いしかない。県予選でも今日でも他の選手を使ったらもっと得点の香りがするかもしれないのに自分を使ってくださった。3年間厳しくしてくださって、最後に寄り添ってくれる良い監督だった。期待に応えられなかったけど、海老沼先生が一番自分の気持ちを理解くださっていた。ありがたいという気持ちでいっぱい」
試合後、指揮官からは「3年間ありがとう」と伝えられたといい、涙は止まらなかった。
強豪・佐野日大のキャプテンを担い、プレーできない自身の葛藤もあって苦しんだ1年間だった。「歴代のキャプテンさんは真面目な方、リーダーシップがある方ばかりだったけど、自分は気合いだけで、マネジメント能力や頭の良さがなくて、全然チームをまとめられなくて苦しい時期があった。怪我も2回やってしまって、試合に出られない時期が続いて、不甲斐ない思いがあった」。
それでもこの経験はいま、人生の糧と言えるほどになった。「高校生活でメンタルが本当に鍛えられた。絶対に違う分野でも成功する自信、挫けないところが身についた」。
江沢は高校サッカーを最後に第一線での競技生活を終える。それでも今後はサッカー界でひと花咲かせる夢を描いている。「選手以外でサッカー関係者として日本一や世界一を取ってみたい。指導者であったり、またはサッカー関係の会社を経営したりして、ここでのリーダーシップを活かしていきたい」。高校生活で手にした大きな財産を糧に、次のステージに進んでいくつもりだ。
(取材・文 竹内達也)
▼関連リンク
●【特設】高校選手権2022
キャプテンとして臨んだ高校生活ラストイヤーは苦難に満ちたものだった。それでも最後は全国への扉を6年ぶりに開き、念願だったピッチにも立つことができた。準々決勝の敗戦後、佐野日大高MF江沢匠映主将(3年=クマガヤSC)は「最高のチームでサッカーができて良かった」と目を潤ませながら語った。
新チームの中心選手として期待されていた江沢は選手権県予選を間近に控えた9月と10月、右膝の半月板を立て続けに負傷した。練習中に突然膝が動かなくなってしまう「ロッキング」という症状。夏のインターハイ予選では新型コロナウイルスに罹患し、全国をかける戦いに出場できなかった主将にまたしても悲劇が襲った。
「もう終わっちゃうかなという思いだった」
それでも江沢は諦めなかった。「絶対に諦められなかったのでリハビリを頑張った。いまはたまに痛くなることはあるけどプレーは全然できる状態」。いまも右膝はテーピングでぐるぐる巻き。ピッチに立つのも時間限定という配慮がなされたが、懸命な回復によってサッカー人生最後の大会でピッチに立った。
準々決勝で投入されたのは、すでに0-2ビハインドとなった後半30分だった。江沢が得意とするロングスローでのプレー再開。それまでは最終ラインのDF大野結斗(3年)がすさまじい飛距離のボールを投げていたが、すでに10本を投げて軌道が読まれ始めていたことに加え、182cmという大野の高さをゴール前に加えるための采配でもあった。
実は初戦の奈良育英高戦でも江沢のスローワー起用から相手を押し込み、チームは後半80+2分に劇的な決勝ゴールを記録していた。最後に頼れる反撃の一手。初戦では「自分に甘く生きたくなかったので、自分が入ったことは勝ちに関係ないと思っていた」という江沢は「次の試合こそ絶対に自分が得点に関わろうと思っていた」と強い気持ちでフィールドに立った。
ボールの感触を見ながら手袋を外し、気持ちを込めて臨んだ一投目。ニアサイドに飛んだボールは相手のクリアに阻まれたが、ここから決定機が生まれた。こぼれ球を拾ったFWヒアゴンフランシス琉生(3年)の浮き球を大野が頭で落とすと、ゴール前に詰めたFW大久保昇真(3年)がシュート。しかし、これは相手GK平塚仁(2年)のスーパーセーブに阻まれた。
応援席のムードもいっそう高まり、ここから反撃ムード——。ところが、結果は無情なものだった。その直後、交代選手を投入してきた岡山学芸館にカウンター攻撃を完結され、さらに追加点を奪われると、その後はなかなか良い形で攻撃に持ち込めなかった。江沢のロングスローも難しい位置からの2回のみ。最後は4点目を奪われ、0-4の大敗に終わった。
試合後、取材エリアに立った海老沼秀樹監督に江沢の起用意図を問うと、「彼は……」と切り出したところで声を詰まらせ、涙ながらに言葉を続けた。
「彼は関東大会まで一生懸命やってくれていた中、インターハイではコロナがあって出られなくて、選手権で怪我をしてしまった。県大会も思うようなプレーができなくて、彼自身も心が折れたこともあったけど、キャプテンとして最後にこの舞台に戻ってきてくれた。私たち大人が考える以上に、18歳の子どもにとってすごくつらい経験をしたと思う。それでも最後、チームのために出てくれた。まだ0-2だったので彼が入ってチームを活性化することによって勝機が見出せると思って送り出した。勝負の世界は甘いものじゃなかったけど、一生懸命にやってくれたと思います」
続けて江沢も取材エリアに姿を見せ、「自分がなんとしても1点取って、得点に絡んでやるという気持ちだったけど、それができなくてすごく悔しい」と述べた後、指揮官への感謝を語った。
「海老沼監督にはありがたいという思いしかない。県予選でも今日でも他の選手を使ったらもっと得点の香りがするかもしれないのに自分を使ってくださった。3年間厳しくしてくださって、最後に寄り添ってくれる良い監督だった。期待に応えられなかったけど、海老沼先生が一番自分の気持ちを理解くださっていた。ありがたいという気持ちでいっぱい」
試合後、指揮官からは「3年間ありがとう」と伝えられたといい、涙は止まらなかった。
強豪・佐野日大のキャプテンを担い、プレーできない自身の葛藤もあって苦しんだ1年間だった。「歴代のキャプテンさんは真面目な方、リーダーシップがある方ばかりだったけど、自分は気合いだけで、マネジメント能力や頭の良さがなくて、全然チームをまとめられなくて苦しい時期があった。怪我も2回やってしまって、試合に出られない時期が続いて、不甲斐ない思いがあった」。
それでもこの経験はいま、人生の糧と言えるほどになった。「高校生活でメンタルが本当に鍛えられた。絶対に違う分野でも成功する自信、挫けないところが身についた」。
江沢は高校サッカーを最後に第一線での競技生活を終える。それでも今後はサッカー界でひと花咲かせる夢を描いている。「選手以外でサッカー関係者として日本一や世界一を取ってみたい。指導者であったり、またはサッカー関係の会社を経営したりして、ここでのリーダーシップを活かしていきたい」。高校生活で手にした大きな財産を糧に、次のステージに進んでいくつもりだ。
(取材・文 竹内達也)
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