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[MOM422]阪南大MF山崎康太(4年)_誘惑に負けた大学生活、突然の父の死

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サッカー人生の集大成を飾るべく、MF山崎康太(4年=東福岡高)はインカレに臨んでいる

[大学サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[12.12 全日本大学サッカー選手権(インカレ)準々決勝 阪南大3-2順天堂大 味スタ西]

 自らのアシストによって試合を振り出しに戻したMF山崎康太(4年=東福岡高)は後半14分、左サイドで奪ったボールは相手にカットされるが、再び奪い返すと、角度のないところから右足を振りぬく。「絶対に俺が取ってやると思っていた」。須佐徹太郎監督が「一人ゲーゲンプレス(※)」と名付けたプレーが得点につながり、阪南大(関西1)が鮮やかな逆転勝利を飾った。

 サッカーを辞めていた時期があった。高校時代は名門・東福岡高でプレー。3年時には副キャプテンを務めて全国高校総体にも出場した。そんなサッカーエリートの山崎は、迷うことなく大学に進学してからもサッカーを続けた。

 しかし徐々に葛藤が生まれた。大学生活を謳歌する周囲の友達が楽しく見えて仕方なかった。「周りに目がくらんだ」。1年生の時から出場機会に恵まれて、サッカー選手としては順調にステップアップしていたが、誘惑には勝てなかった。2年生の夏が終わると、山崎はサッカーを辞めた。

 一気に開放されたかのような日々。サッカーを辞めてからはとにかく楽しかった。「遊んで、バイトしてという毎日を過ごしていた」。お小遣いが出来たことで派手に遊ぶことも覚えた。それまで応援してくれていた家族を裏切ることになったが、その時は今が楽しければそれでよかった。

 だが転機は突然訪れた。大学3年生の10月、父親の哲雄さんが心筋梗塞で倒れたのだ。それまで体を悪くしたという話を聞かなかった父親が突然、逝った。46歳だった。目の前が真っ暗になった。「ずっと自分のサッカーを応援してくれている父親だった。自分がサッカーを辞めたことにもショックを受けていた」。

 本当に突然のことで頭を整理することもままならない状況が続いたが、今までの人生、これからの人生を考えて自問自答を繰り返した。そして「俺はサッカーをやるしかない」という結論を導き出した。

 心を入れ替えた山崎は頭を丸めて須佐監督にサッカー部復帰を頼み込んだ。もちろんすぐに受け入れてもらえないことは分かっていたが、球拾いや水作りなど裏方の仕事を率先してこなし、シーズン開幕直前の3月にチームに戻ることを許可してもらった。

「そこからも必死に頑張って、ようやく後期リーグから試合に出られるようになった。試合前はずっと父親のためにがんばろうと思ってやっている。一旦は父親を裏切ってしまったんですけど、死んでからだけど、少しは親孝行が出来たかなと思っています」

 サッカー人生は大学で燃え尽きたいと考えている。「勉強なんて全然やったこともなかった」山崎だが、猛勉強の末に宅地建物取引士の資格を取得。合格率20%にも満たない難関を突破し、不動産会社への就職を決めた。「だからサッカーはこの大会が最後になる。本当に引退したくなかった。あと2試合みんなと出来たら楽しんでやりたいなと思います」。

 1年以上、サッカーから離れていた体力をわずかな期間で戻すことは並大抵のことではない。今も元通りになったとは思っていない。それでも「やろうと思えばもっとできる」と話す須佐監督の期待を裏切るわけにはいかない。「普通、一回辞めた人間を使わないですよね。媚びるわけではないですけど、本当に監督には感謝している。死に物狂いでやろうと思っています」。

 決勝に進めば長崎の実家から家族が上京する予定。最後の雄姿を見せるためにも、15日の準決勝は絶対に負けるわけにはいかない。「父親も見てくれていると思う」。挫折を味わったサッカーエリートは、波乱万丈の大学生活を有終の美で飾るべく、力を振り絞る。

※高い位置でプレスをかけてボールを奪う戦術

(取材・文 児玉幸洋)

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