beacon

猛烈ストーミングで“歴史的ジャイキリV”…東海大DF面矢が誇った「どこの大学にも負けない」もの

このエントリーをはてなブックマークに追加

胴上げされた今川正浩監督

[1.23 #atarimaeniCUP決勝 法政大0-1東海大 味フィ西]

 神奈川県リーグ所属の東海大が今季限定の全国大会『#atarimaeni CUP』を制し、都道府県リーグ勢で初めて大学日本一に輝いた。史上例のない“ジャイアントキリング”の原動力となったのは、前線を含めた全員が組織的に繰り出す猛烈なプレッシング。パスワークでかわされることもいとわないアグレッシブな守備を90分間続け、全国の強敵を次々と抑え込んだ。

 東海大が所属する神奈川県リーグは、大学生カテゴリの実質3部。その上には関東1部の12チーム、関東2部の12チームがあり、強豪ひしめく関東とはいえどもダークホースという位置づけだ。全国大会への出場も容易ではなく、県リーグ勢が全国決勝に進出した例はこれまで一度もなかった。(1994年度総理大臣杯の国際武道大による3位が最高成績)

 ところが総理大臣杯と全日本大学選手権の代替大会となる今大会で、その歴史が変わった。今季関東2部から降格した東海大は、秋のアミノバイタル杯で明治大・桐蔭横浜大といった強豪を連破し、5位入賞で本戦出場権を獲得。全国大会では鹿屋体育大、明治大、日本大、順天堂大という上位カテゴリの相手を接戦の末に次々と破り、史上初めて全国ファイナルの舞台に立った。

 そうして迎えた決勝戦、目の前には法政大が立ちはだかった。奇しくも東海大が最後に日本一に輝いた2000年の総理大臣杯で、優勝をかけて対戦したライバル。さらに、不思議な縁はもう一つあった。今季8年ぶりに復帰した今川正浩監督は、当時も東海大の指揮官だったのだ。東海大は20年前に躍進を牽引した名将のもと、過去4年連続で決勝進出を成し遂げてきた強敵に挑むという構図となった。

 試合は序盤から一方的に法政大がボールを握り、東海大は我慢を強いられ続ける展開となった。「法政大さんが質の高い攻撃をお持ちなので劣勢になるのは承知していたが、予想を遥かに上回る劣勢で押し込まれた。前半はその技術に慣れていったような、慣れ切っていないような……という形で終わった」(今川監督)。終了間際にはシュートチャンスこそつくったものの、後半も同様の流れが続けば力負けしかねない戦況だった。

 ところが、後半に入ると東海大の姿勢が大きく変化。前半にかわされていたプレッシングが徐々にハマるようになり、法政大のパスワークが徐々に勢いを失っていった。表面的には「前半は引いて守って我慢し、後半は前に出て得点を狙う」という体力消耗を抑えたゲームプランかのようにも思えたが、今川監督によると「前半にも真っ向から行こうと思っていたけど、想像をはるかに超えるくらいに相手がうまくて行こうとも行けない」という想定外があったのだという。

 そこで東海大は後半、初心に帰ってアグレッシブにボールを奪いに行く戦術を選択した。「いつもどおりというか、もっとアグレッシブに、積極的にボールに行こうよ、と。そのストロングポイントが消えると、攻撃にも入っていけない。今までやれなかったことなら今日いきなりやっても難しいけど、今まではやれていたんだからそれを思い出してやろうよ、と」。明治大、順天堂大など関東の強豪を相手に通用してきた戦術を、リスク承知で続ける意識をハーフタイムに共有した。

 そうして戦況は一変した。前半は法政の一方的なセットプレー攻勢に苦しんでいたゴール前で、後半は逆にコーナーキックの猛攻を展開。そのまま優勢で迎えた後半27分、MF丸山智弘(4年=作陽高)のキックのセカンドボールを拾ったFW高田悠(2年=東海大福岡高)が巧みな切り返しからクロスを供給。これに途中出場のFW山田泰雅(3年=厚木北高)が飛び込むと、こぼれ球に反応したDF水越陽也(3年=東海大相模高)が押し込み、先制点を奪った。

 ここからは東海大の勝ちパターン。前線のFW武井成豪(4年=東海大高輪台高)を筆頭に激しいプレッシングで相手守備陣に圧力をかけると、時間をかけて攻められたとしてもDF米澤哲哉(4年=湘南工科大附高)、DF佐藤颯人(4年=東海大相模高)の両CBが中心となって身体を張り、クロスやシュートのコースを封鎖。DF面矢行斗(4年=東海大仰星高/栃木内定)のキックやロングスローでも時間を使いつつ、準決勝に続いて無失点で歓喜の瞬間を迎えた。

 試合後、今川監督は「後半から持ち味の守備を前面に押し出し、ペースが変わったことで1点を取ってくれて、最後は粘って試合を終えた。振り返ったら、東海大が勝てるならこういうパターンかなということを選手たちがやってくれた試合だったかなと思う」と総括し、選手たちを称えた。

 しかしながら、いかにして県リーグの東海大が全国の頂点に立つまでの強固な守備組織を構築することができたのか。今川監督は就任当初からの取り組みを次のように振り返る。

「今年のチームの中で自分たちが自信を持てるようなストロングポイントを見出そうという中で、短期間で技術力を上げるのは難しく、意思の疎通はできてくると思うけど、いまのチームで攻撃力を活かそうとすると……。ただ粘り強い守備やそれを活かす走力というのは去年からベースとなるものがあったと分析していた」。

 そこでまずは関東リーグ1部のレベルでも通用するような守備の向上に着手したという。

「個人でやる守備、グループでやる守備、チームでやる守備を練習する中で、自分で一生懸命にやっていないと思っている選手はいないけど、関東リーグに戻るのならこの速さや連続性が必要だと練習で刷り込んできた。選手が実際にやっているプレーよりも、より上の速さや反復性を要求し続けてきた」。

 そんな取り組みが新型コロナウイルスの打撃を受けたシーズンでも花開いた。県リーグは関東リーグ(7月開幕)とは異なり、10月から開幕するという難しいスケジュールとなったが、夏から実施されていたアミノバイタル杯プレーオフなどを勝ち上がりながら手応えを掴み、自信を深めていったという。

「繰り返しやっていく中で、選手たちが粘り強い守備や90分間やるならこういう総力が必要だと理解して、受け入れてくれた。うまくいかない時や噛み合わない時も当然あったが、アミノバイタル杯から始まった公式戦を含め、うまくいく時ってこんなふうになるんだなという練習の追求度と、公式戦での達成感や勝利とが噛み合った。この全国大会においても完璧ではなかったが、強豪チームと対戦する中で、自分たちが自信を持ってできるように仕上げていってくれた」。

 左サイドバックとして最終ラインを支えた面矢も、守備面をベースとする戦い方に大きな手応えを感じていた。

 今川監督の就任後は「守備がもっと細かくなり、組織力が高まった」と振り返る副主将は「最初は(守備的な戦いをすることに)なんでという意見もあったけど、良い守備をすれば良い攻撃につながるという実績がどんどんできたので、みんなもなるほどとなっていった」と回顧。さらに、戦い方に確信を深める要因として昨季のJ3リーグで躍進を遂げたブラウブリッツ秋田、SC相模原の存在があったことを明かした。

「今年J3からJ2に上がった二つのクラブも、ポゼッション率が下のほうのチームだった。ドイツのサッカーもそうだけど、J3からJ2に上がったチームのサッカーも見ていると、ストーミング(ボールを保持する相手をプレッシングでのみ込む)のサッカーが全然通用して、戦えるところが分かっていた。そこで自信を持ってやれてよかったと思う。大会中に話していたけど、ボールを回す相手に対してストーミングで覆して行こうと言っていたので実現できてよかった」。

 また面矢はそうした戦術が機能したことだけでなく、その戦術を組織的に徹底することができたチーム全体の雰囲気の良さを強調した。

「みんなに共通して言えるのは、周りのことを常に考えていて、気づいて言い合えること。そこが一番大きかった。練習でもそうだけど、お互いを気づかせていける。無駄な練習が本当になかった。あと練習以外でもサッカーを見て、サッカーの話をしながらご飯を食べてという生活だった。そんなサッカーが好きという気持ちはどこの大学にも負けないかなと思います」。

 チームで唯一Jクラブ内定を勝ち取っている面矢はそうした姿勢こそが、ジャイアントキリングと呼ばれる大物食いを続けてきた原動力になったと捉えている。

「自分たちにはあまりプロ内定者はいないし、付属の選手が多くてクラブユース出身の選手もいないけど、それは関係なしにやってやろうと。それは関係ないからとずっと言ってきた。みんなが東海を選んで、本気でサッカーをしてきた。あと1年生から3年生も自分たちの背中を見て、ついてきてくれた。素直で、元気で明るく、取り組む姿勢の良い選手たちが揃っていた。そういう選手が集まったことが一番大きいと思う」。

 県リーグからの日本一という偉業については、指揮官も「良い意味での反骨精神はあった」としつつも、次のように見解を語った。

「ピッチに立つ時は1部、2部、県リーグというのはあまり気にしない。県リーグであること自体で臆したり、ビビったりしていて、それで負けると後悔しちゃうよな、と。真っ向勝負で行っても反省点は残るけど、気持ちで萎縮していたら後悔しか残らないよな、と。試合を重ねるごとに、そういうものを良い意味で気にせずに戦えるチームになってくれたと思います」。

 これまで築き上げてきた長所と真摯に向き合い、その強みを最大限に発揮できる戦術を構築し、選手たちがピッチの上で前向きに表現する——。東海大が成し遂げた歴史的ジャイアントキリングの陰には、そうした日々の積み重ねと幸せな循環があった。

(取材・文 竹内達也)
●#atarimaeniCUP特集ページ

TOP