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「俺のチームではやってくれる」…U-23代表“10番”中島を支えた指揮官の言葉

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 一度も突破したことがなかった。しかし、U-23日本代表はリオデジャネイロ五輪アジア最終予選で、“鬼門”と呼ばれたベスト8をついに突破した。延長前半6分にMF豊川雄太(岡山)のゴールで先制すると、勝利を決定付ける2ゴールを叩き込んだのがMF中島翔哉(F東京)だった。延長後半4分に鮮やかな右足ミドルを突き刺すと、直後の同5分にはまたもや右足で豪快にネットを揺らして2ゴールを奪ってチームを勝利に、そしてベスト4へと導いた。絶対に負けられない大事な一戦で眩い輝きを放った背番号10だが、所属クラブでは苦しいシーズンが続いていた――。

 14年にF東京から期限付き移籍した富山では28試合2得点と思ったように結果を残せず。シーズン途中にF東京に復帰して5試合出場(計95分)、15年は第1ステージ第16節鳥栖戦でJ1初ゴールを挙げるだけでなく、出場機会を増やしたものの13試合出場(計401分)、先発出場は1試合にとどまった。なかなか出場機会をつかめない時期が続くが、その間も中島は手倉森ジャパンに選出され続ける。その理由を手倉森誠監督は、15年7月に行われたコスタリカ戦に臨むメンバー発表時に明かしている。

「クラブで苦しんでいる選手はいますが、僕が選んだときに僕のチームで活躍できるかどうか、僕の求める戦術を理解してやれるかどうかも選出の大事な要素。例を挙げれば中島翔哉は僕のチームで本当に良くやってくれている。理解のある選手だし、僕のところでは活躍してくれるだろうと思っています」

 手倉森ジャパンでは間違いなく輝く。それは、結果が示している。発足当初からメンバーに名を連ねる中島は14年1月のAFC U-22選手権、同年9月のアジア大会、15年3月のリオ五輪アジア一次予選で背番号10を背負ってきた。そして、ただ招集されるだけでなく、U-22選手権では4試合3得点、アジア大会では5試合2得点、リオ五輪一次予選では2試合1得点と結果を出し続け、リオ五輪アジア最終予選イラン戦までに14試合8得点(U-22選手権、アジア大会、リオ五輪予選)と破格の数字を残している。

 中島自身は指揮官からの信頼の大きさについては、「監督に聞いてみないと分からない部分もあります」と前置きしつつも、背番号10を背負い続けることに「期待を込めて着けさせてもらっているのならば、その期待に応えないといけない。特別と言われる番号なので、これからも着け続けられるように成長しないといけません」と言葉を強めた。

 そして、手倉森監督が会見で語った言葉が、心の支えになっていることを明かした。「テグさんが話した『翔哉は自分のチームでは活躍してくれる』という言葉を(報道で)見たことがありました。それは今でも自分の心に留めています。プレッシャーにも感じますが、ここでプレーできるのはすごく楽しいし、ここに来たら毎試合良いプレーを見せられるようにしています」。

 指揮官の思いは10番に届き、10番はその期待に応えようとし続けていた――。そして、迎えた1月26日準決勝イラク戦。チームはFW久保裕也(ヤングボーイズ)とMF原川力(川崎F)の得点で2-1の勝利を収め、6大会連続での五輪出場を決めた。中島は自身のパフォーマンスには「納得いきませんでした」と話したものの、「まずはテグさんを五輪に連れていくことができて、本当にうれしいです」と自分を信頼し続けてくれる人に最高の恩返しができたと満面の笑みを見せた。

(取材・文 折戸岳彦)

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