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「金を目指す」戦いへ…OAで2度目の五輪に臨む遠藤航「良い経験で終わるのではなく、結果が求められる」

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オーバーエイジとして東京五輪に臨むMF遠藤航(シュツットガルト)

 これ以上ない“補強”だろう。A代表の主軸としてプレーし、20-21シーズンのブンデスリーガでデュエル王に輝いたMF遠藤航(シュツットガルト)が、東京五輪に挑むU-24日本代表にオーバーエイジとして加わった。16年リオデジャネイロ大会からの5年間で確かな進化を遂げた男が、2度目となる世界舞台への思いを語った。

リオのときに悔しい思いをしている
5年間の成長を見せないといけない



――東京五輪を戦うU-24日本代表にオーバーエイジとして招集され、2大会連続で五輪に出場することになりました。
「新型コロナウイルスの影響で東京五輪が延期になる半年から1年前くらいの時期に、『オーバーエイジはどうなるのだろう?』と思い始めたときがあったので、実際に選ばれて非常に嬉しいです。ただ、その分プレッシャーもあるし、責任も感じています」

――遠藤選手とともに招集されたオーバーエイジはDF吉田麻也選手、DF酒井宏樹選手ですが、森保一監督からのメッセージをどのように受け止めていますか。
「後ろが大事と思っている印象です。だからこそのメンバー構成で、本当に後ろは安定させないといけないと思っています。僕個人としては、リオのときに悔しい思いをしているので、その5年で自分がどれだけ成長したかを見せないといけないという思いもある。まずはピッチ内で自分の良さを出して、手本になるようなプレーを見せられればと思っています」

――6月の活動では初めてU-24日本代表に合流しました。オーバーエイジを受け入れる側も経験していたからこそ、意識したことは?
「コミュニケーションが大事だと思っていました。リオのときは大会前にオーバーエイジと一緒に試合ができたのが2試合だけでした。今回、僕がオーバーエイジに選ばれるかどうかは関係ないタイミングで、森保さんから『五輪どうだった?』『オーバーエイジはどうだった?』と聞かれ、『できるだけ多く試合をこなした方がいいと思います』と話したことがあります。だから、6月の活動でオーバーエイジを3人呼び、試合を経験させたのだと思います。この活動があるのとないのとでは全然違う。一度解散したけど、東京五輪世代の選手はオーバーエイジとプレーするイメージができたと思うし、オーバーエイジもどういう選手がいるのかを知れたのはすごく大きな意味があります」

――東京五輪世代の選手はA代表を経験している選手が多く、すんなり溶け込むこともできたのでは。
「海外組はA代表でやっている選手も多いし、コミュニケーションの問題はなかったです。国内組の選手とはコロナの影響で移動は違うバスだったし、ピッチ内でしか一緒にいられなかったので、コミュニケーションをとる難しさはありました。でも、オーバーエイジ組と話をしていたし、プレー面で僕らから『もっとこうしてほしい』と色々と要求できたのは良かったです。それに、初めての試合になったけど、違和感はまったくなかった。それは、もちろん、試合に出ている選手が多いからこそだと思います。僕も今は、ボランチの相方が誰でも、同じようなプレーができるし、合わせられる余裕があるので関係性も良かったと思っています」

――チームの雰囲気、ポテンシャルをどう感じましたか。
「皆、メンタル的にしっかりしていましたね。若い選手たちだけど、ドシっと構えられる。リオのときに比べると、海外でプレーしている選手、経験のある選手が多く、プレーにすごく自信があってやれていると感じました。他の国の選手がどうなるかは分からないけど、日本には良い選手たちがそろっているし、メダルを取るだけのポテンシャルがこのチームにはあると思っています」

自国開催でメダルを期待されている
それくらいの覚悟でプレーしないといけない



――主将として臨んだリオデジャネイロ五輪では、初戦のナイジェリア戦を打ち合いの末に4-5で落としたことも響き、1勝1分1敗の勝ち点4でグループステージ敗退になりました。
「初戦のナイジェリア戦を落とした影響は大きかったです。いろいろなアクシデント(大会直前にFW久保裕也がチーム事情で招集できず。対戦相手のナイジェリアが飛行機のトラブルにより、試合当日に現地入りするなど)があった中での初戦で、立ち上がりからバタバタしたゲーム展開になってしまった。五輪ゆえの緊張感なのか、経験不足が出たのか、いろいろな要因があったと思うけど、初戦を落としたのはやっぱり痛かったし、今回も間違いなく初戦が大事になると思っています」

――5年前に悔しさを味わい、どういう部分を成長させないといけないと感じましたか。
「フィジカル的な部分も伸ばさないといけないと感じたけど、ボランチでのプレーに、ある意味、限界を感じていました。当時、五輪世代の代表で僕はずっとボランチで出場していたけど、クラブだと3バックの右や中央で出ていたので、所属クラブでもボランチで出るべきだと思った。A代表にも呼ばれてもいましたが、ボランチで出てもパフォーマンス的に良くなかったので、一つのポジションで勝負しないといけないと感じました」

――ただ、19年から海外に戦いの場を移し、シントトロイデン、シュツットガルトでボランチでのプレーを続け、急速な進化を遂げたと思います。
「多分、皆にとって良い意味でサプライズだったと思います。ただ、個人的にはボランチで出続けることができれば、これくらいできるイメージは持っていました。ボランチで試合に出続けて、カテゴリーも上がっていき、すごく成長できた3年間だと思っているし、ボランチで出場して3年が経っただけなので、まだまだ成長できると感じています」

――5年前もボランチでのプレーに良いイメージを持っていたと思いますが、ピッチ上で表現する難しさもあった?
「正直、慣れだと思うんですよ、そこは。シンプルに経験が足りなかっただけだと。ボランチとしてのイメージと自分の求めているプレーが合っていなかったので、すごくもどかしさを感じて当時はプレーしていました。今はイメージしていた自分のプレーをピッチ上で表現できているので、ようやく自分のイメージにプレーが重なってきた感覚です」

――リオ五輪は自身が成長する一つのきっかけにもなったようですが、改めて五輪という舞台をどのように感じていますか。
「リオ五輪前は、五輪に賭けていた。五輪が僕の今後のサッカー人生を左右するくらいに思っていたけど、今振り返ると、ある意味、一つの通過点でしかないと思う。五輪に出たからと言って、A代表でのプレーが保証されるわけでもなく、五輪に出られなかったからと言って、A代表に入れないわけではない。結局一番大事なのは、コンスタントに所属クラブで高いパフォーマンスで試合に出続けられるかどうか。それが、サッカー選手にとって一番大事なこと。代表でプレーできるのは光栄なことだけど、そういう部分の代表と所属クラブの価値観の違い、五輪に対しての考え方は変わったかもしれません。ただ、今は、もう一度五輪でプレーできるチャンスをもらえたので、5年間で成長した姿を見せないといけないと思っています」

――本大会初戦・南アフリカ戦は、1か月後の7月22日に迎えます。改めて、どういう大会にしたいか教えて下さい。
「自国開催なので、皆さんはメダルを期待されているだろうし、それくらいの覚悟で僕らもプレーしないといけない。僕はオーバーエイジとして参加するので、チームの中心としてピッチ内外でしっかりやらないといけない。普段、A代表で見せているようなパフォーマンス、ブンデスで見せているパフォーマンスを発揮してメダルを取りたいと思っています。ただ、出て良い経験でしたで終わるのではなく、結果が求められる大会だと思っているので、僕は本当に金を目指すつもりでやりたいです」

――リオ五輪は一つの通過点として成長につなげましたが、東京五輪でメダルを取れたら、また違う変化が生まれるかもしれませんね。
「若い選手たちにとっては、本当に素晴らしい経験になるだろうし、日本サッカーの見られ方は変わると思う。これからW杯でベスト8に進出するとか、その先のA代表で結果を残すことを考えても、この東京で僕たちがメダルを取ることはすごく大きな意味があると思っています」

(取材・文 折戸岳彦)

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