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“ドーハの悲劇”30年後に大願成就…「自分の失敗談は話していない」森保監督が伝えた教訓

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試合終了直後、協会スタッフとハイタッチする森保一監督

[3.24 W杯最終予選 日本2-0オーストラリア シドニー]

 あえて言葉にはしていなかった。それでも選手時代の重すぎる教訓は紛れもなく、選手たちへのメッセージに込められていた。日本サッカー界の夢が崩れ落ちた“ドーハの悲劇”から約30年——。森保一監督が積年の大願を成就させ、ついにワールドカップ行きの切符を手にした。

 カタールW杯出場を決めた敵地オーストラリア戦の試合後、ホテルでオンライン取材に応じた指揮官はやや目を潤ませながら約30年前の敗戦に関する報道陣の質問に答えた。「自分自身を振り返ると、選手時代にアジア最終予選でW杯に手が届きそうなところで出場を逃した。最善の準備をしてベストを尽くすことはできたと思うが、夢がかかったところでゴール前で守ればということで、守りに入ってしまったところがあった」。1993年10月にドーハで行われたアメリカW杯最終予選、日本はイラクに後半終了間際の失点で引き分け。選手としてピッチに立っていた森保監督は掴みかけていたW杯初出場の権利を逃し、夢舞台に進むことが叶わなかった。

 指揮官がそこから得た教訓は、W杯出場権は「自分たちから掴み取りにいかないといけない」ということ。今回の最終予選中、森保監督は何度も「W杯は自分たちから掴み取らなければならない、相手が与えてくれるものではない」と強調していたが、その裏には自らが直面した苦い経験があったようだ。

 もっとも、日本代表の選手たちには「具体的に自分の失敗談を伝えながら『掴み取りにいく』という話はしていない」。その理由を「6大会連続でW杯に出ていて、反省は大切だが、世界に追いつき、世界の戦いで強豪を追い越していく考えを持たないといけないので、前向きに話したいと思っていた」と述べた指揮官は「シンプルに勝ち取りに行く、掴み取りに行くと伝えていた。今日のミーティングでも『いろんな難しい判断をしなければいけないけど、積極と消極があれば積極的な選択をしてほしい』と話した。経験談としては語っていないが、自分の経験の中で話した」とオーストラリア戦前の様子を明かした。

 また「掴み取りにいく」ことの大切さは、西野朗前監督のもとでコーチとして帯同したロシアW杯での経験でも感じていたという。「日本らしく、勇敢に挑んでいかないと世界には勝てないなというところも学ばせてもらった」と当時を振り返った森保監督は「最終目標とするW杯でベスト8以上の結果を掴み取るところから考えてチーム作りをしてきたので、基本的には変わりない」とあらためて現体制の目標を掲げつつ、「自分たちから勇敢に勇気を持って戦いに挑んでいくという部分はW杯の舞台でも表現できるようにしながら、ここ5連戦無失点で抑えたように守備の部分もしっかりしていきたい」と今後の方針を示した。

 そうした積み重ねの先にこそ、“世界”と対等に渡り合えるチーム作りがあると信じている。「日本代表の世界の中での立ち位置としては、まだまだ追いついていかないといけないところはあるが、世界に追いつき、世界を追い越せというところで、追い越すためにはどうしたらいいかを考えていきたい。相手には敬意を払うが、われわれが相手を上に見るのではなく、相手と同等な視線を持って戦いに挑みながら上回っていけるように、超えていけるようにやっていきたい」。そう野心をたぎらせた指揮官は「選手たちは世界と戦っているし、目線は世界と変わらない。自分たちはやれるんだというところを日本サッカーに関わる人に共有してもらいながら、追い越せをテーマに戦っていきたい」と力を込めた。

(取材・文 竹内達也)
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