beacon

【単独インタビュー】A代表初招集も出番なし…“W杯優勝”見据える林大地「正直それだけで落ち込んだり、考えすぎたりはしないので」

このエントリーをはてなブックマークに追加

インタビューに応じたFW林大地

 人生初の国際大会にして最大の舞台となった東京五輪で5試合に先発出場したFW林大地(シントトロイデン)は今年3月、ついに日本代表にまで上り詰めた。追加招集でカタールW杯アジア最終予選に帯同し、本大会出場決定の場にも立ち会った。しかし、2試合で与えられた出場機会はゼロ。五輪で紡いだ“下剋上物語”にさらなる期待が高まる中、ベルギーでのシーズンを終えて帰国中の24歳にいまの思いを聞いた。

いつチャンスが来てもいいように


——まずは日本代表のことから聞かせてください。3月シリーズは追加招集という形でA代表に初選出されましたが、どのようなタイミングで呼ばれたんでしょうか。
「急に代理人の方から連絡して、『急きょ行くことが決まったから準備して』という感じでした。まずは素直に嬉しかったですね。それから『行くんだな』という実感が徐々に湧いてきました」

——長旅だったと思いますが、大変でしたよね。
「大変でしたね。飛行機だけで20時間くらいあったので。でも他の選手も遠いところから移動して、スタートから試合に出ている選手もいるので、自分が経験したからこそ日本代表の最前線で戦っている選手たちはすごいなとあらためて思いました」

——オーストラリア戦前々日の深夜に到着するスケジュールでしたね。
「明日一回練習して、すぐに試合という感じでした」

——前日練習からの合流でしたが、26人帯同だったので、おそらく紅白戦からは外れる形での調整だったかと思います。
「そうですね。紅白戦に入らず、横でひたすら走って身体を動かしてという感じでした」

——率直に聞きますが、「呼ばれたのに何をしに来たんだろう」とは思いませんでしたか。
「いや、それは思わなかったですね。いつ自分にチャンスが来てもいいように、ここからどれだけいい準備をしようかと思っていました。正直それだけで落ち込んだり、考えすぎたりはしないので。たった一回紅白戦から外れて出られないからって『うわぁ』ってなるようなレベルの話ではないです。本当にいつでも出番が来てもいいように常に準備して、少しでもいいコンディションに持っていけるかを考えて行動していました」

——そうした中でオーストラリア戦はベンチ外でした。どんな思いで試合を見ていましたか。
「まずは日本代表に勝ってほしかったというのが一番です。それと自分があの試合で中心選手として戦いたいなということを思っていました」

——東京五輪代表でも同じチームだった三笘薫選手の活躍で勝利し、W杯出場が劇的な形で決まりました。その時、うれしい気持ちも含め、いろんな思いがあるのではないかと想像するのですが。
「薫がゴールを決めたこともそうだし、いい意味での嫉妬心はすごく大事だと思っているので、いい意味での嫉妬心はすごく芽生えました。でも逆に初招集でワールドカップ出場の瞬間にいられたこともサッカー選手としては幸せなことだなと思いました」

——ベトナム戦に向けて気持ちも昂っていたと思いますが、どのような思いで見ていましたか。
「自分の中ではメンバー外からベンチに入ったことによって、試合に出られるチャンスがより現実味があるような状況になっていたので、しっかり準備をして、出番が来てもいいようにアップしていました。結果的には出番がなかったけど、サッカー選手、特にベンチにいる選手は準備をすることの繰り返しだと思いますし、その先は森保さんが決めることです。自分が中心になって出たいなという思いと、ああいう状況にあるなら常にいい準備をして、常にいいコンディションでいることが一番重要だなと思いました」

——交代枠が余っていて、それも同点で。ストライカーなら何とか試合に出たいという気持ちはあったと思います。
「一枠あったのでもちろん出たかったですし、最後まで可能性があるならFWだと思っていました。でも出るか出ないかを決めるのは僕じゃない。日本代表の監督は森保さんですし、最終判断は森保さんがすること。それについては自分がどうこう言うものではないと思います」

——試合に出るために足りなかったものは見えていますか。
「これが足りなかったと明確にわかるものはないですけど、『試合に使おうとはならなかった』ということだと思います。どこかで使おうとなっていたら試合に出られたと思いますし、それが何かは自分では分からない。自分のチームで結果を残して、準備し続けるしかないかなと思っています」

——最終予選の重要な2試合を経験できたことを、いまどう捉えていますか。
「あの2試合を経験できたことは自分にとってプラスなので、次は自分の(所属先の)チームで結果を残して、また呼びたいなと思ってもらえるようにしたいです。そして呼んでもらえたら練習からしっかりアピールして、試合で使いたいと思ってもらえる選手になれるように、目の前の1試合1試合を練習からやっていくしかないと思います」

腐るのは無駄な時間



——ここまでの話を聞いていて、そこで“腐る”選手も多いと思いました。そうならないのが林選手の凄さだと思いますが、そのメンタリティについて意識するところはありますか。
「(腐るのが)しょうもないなと思うんですよね。1試合出られるとか出られないとかでどうのこうの言って、それに対する不満を言ったところで、どうなんねんって思うので。それならサッカーのこと、次のことを考えて練習するなり、ケアをする時間にしたほうがいいじゃないですか。なのでそうしている(腐る)のは無駄な時間だなと思うので、そういう考えにはあまりならないタイプですかね」

——それはずっと昔からですか。
「そうですね。サッカーのプレーについては味方にもめっちゃ言いますよ。ああしてほしい、こうしてほしいとか。でも人の悪口というか『俺はやってるやん』『俺はなんでこんなやってんのにアイツは俺のこと評価してくれへんねん』みたいなのがすごい嫌いで。大学の時に坂本(康博)監督って方がいたんですが、『決めるのは第三者やから自分で物事を勝手に解決して決めるな』と言われていたので、そこはいまも自分の心の中に残っています」

——キャリアを振り返ると、G大阪ジュニアユースからユースに昇格できず、履正社高では1年生から試合に出ながらも、高卒プロ入りにはつながらなかった。そうしたメンタリティは浮き沈みの中で身につけたものですか。
「でも高校生の時は(プロ入りに)現実味がなかったですからね。高校生からプロに行けないことでガクンとなるという認識がなかったので、高校出たら自然な流れで『次にサッカーするなら大学のステージやな』というだけでした。だから浮き沈みがあるとは思ってないし、苦労したとも思ってないですね」

——大学時代についても少し教えてください。ずっと聞いてみたかったんですが、「ビースト」はいつごろから呼ばれているんですか。
「詳しくはわかんないです。大学2〜3年くらいに相手チームから広まっていって、徐々に自分の大学でも広まっていった感じです。あとはプロになって結果が出た時にメディアの方が取り上げてくれて、サポーターの間で広がった感じですかね」

——相手チームの人に名付け親みたいな人がいるんですか?
「本当にわかんないです。ふわっと自然にあだ名みたいな感じで呼ばれていたのが広まった感じでした」

——それくらいインパクトがあったってことですかね。そういった闘争心を全面に押し出すスタイルは昔からですか。
「ずっとですね。自分は上手くなかったので、とにかく一所懸命にサッカーやってました。高校の時も特別に足が速いわけではないし、ドリブルが得意なわけではないけど、サイドハーフをしていて、一所懸命に前に行って、一所懸命に前に行って、上下運動してゴール前に飛び込んでという感じでしたね」

——一方で前線でボールを収めたりする際は技術もありますよね。ああいった技術的な部分はどう身につけたんですか。
「あれは大学4年間です。大阪体育大が独自に取り組んでいる『競り』って練習があるんですけど、それでいろいろ教えてもらいました」

——どういうコツがあるんですか。
「難しいんですよ、むちゃむちゃ。夏嶋隆さんって人がいるんで聞いてみてください。説明できないです(笑)。でもボールなしで、柔道とか空手みたいな感じでする練習です。相手のどこを触ったら身体が一番動くかとか、でっかい相手に対して小さいやつはこう潜りこんで、足のどこにスネをつけて腕を使ったらクルンと回れるかとか、そういうのをボールなしでずっとやってました。そこから『ボールつけてやってみよか』ってなるんですけど、もちろん全然できないんですよ(笑)。でもそれをひたすらやるっていう」

——東京五輪などで海外相手にも通用したのはそのおかげですか。
「そうなんですかね。でもあれ夏嶋先生に聞いたら『あかんな』って言われます(笑)。『下手くそやな』って」

——じゃあまだ『競り』の境地には達していないと。
「全然ですよ。その境地には立てないです。夏嶋先生以外は(笑)」

——最後にワールドカップへの想いを聞かせてください。最終予選の佳境に選ばれ、手が届く位置にあるのではないかと思います。
「やっぱりサッカー選手であるならば出たい大会です。自分は母国開催の東京五輪にも出られましたし、母国でやる東京五輪は特別でした。W杯は母国開催ではないですけど、どんなスター選手でもあの大会は特別と言いますし、サッカー選手であってチャンスがあるなら、試合に出て、上を目指して、優勝を目指してしっかりやりたいなと思います」

——目標は優勝ですか。
「だって嫌じゃないですか(笑)。大会に出て8位を目指そうとか、16位を目指そうとか。みんな思ってると思いますよ。優勝したいって。大会に出るなら優勝したいです」

■DSライトアクロスプロを選ぶ理由


——スパイクについても少し聞かせてください。これまでアシックスでメナス、アクロス、アクロスプロと履き替えてきていますが、今回のアクロスプロの特長をどう捉えていますか。

「やっぱり裏ですね。ソールが大きく変わったので、これになってより一層足の裏の感覚が軽くなった気がするんですよ。あと僕は人工(皮革)がいいので。名前が変わって見た目も少しずつ変わっているけど、履いた感じはほとんど変わらず、それでいてソールが軽くなったのがいいなという印象を持っています」

——ご自身にどういうところが合うと思っていますか。
「僕は足の横幅が広いので、細いのを履くとポイントがグニャグニャって動いてきて、折れそうな気がするんですよ。プレースタイルもガッと踏ん張ったりするので、そういうところにこだわりがあるんですけど、アシックスだと全く気にならずに履けるので自分に合っているなと思います」

——東京五輪では前後半でスパイクの色を変えていましたよね。あれはどういった理由だったんですか。
「ゲキサカさん取り上げてくれていましたよね。ただ僕は汗っかきなので、前後半でスパイクを変えているだけです。あの時はたまたま黒と白のアクロスを送ってもらっていたので、色も変わっていました。見た目は変わってないけど、実は白から白になっていることもあります。見た目でこだわっているわけではなくて、あの時は黒と白のアクロスが馴染んでいて履きやすかっただけですね」

——ずっと前後半で履き替えていたんですね。
「あっち行ってからはあまりやってないですけど、日本にいたときは前後半で履き替えていました」

——疑問が解けました(笑)。ありがとうございました。


(取材・文 竹内達也)

TOP