beacon

荒木遼太郎と塩越柚歩がこれまでのキャリアを通して語るサッカーの魅力と自身のストーリー

このエントリーをはてなブックマークに追加

 プロ3年目の今季、鹿島アントラーズで10番を背負ったU-21日本代表MF荒木遼太郎(20)。創設2年目を迎えたWEリーグの三菱重工浦和レッズレディースに所属し、昨夏の東京五輪メンバーでもあるMF塩越柚歩(25)。24年のパリ五輪を目指す荒木と、来年にFIFA女子W杯を控える塩越の2人が出演し、これまでのサッカー人生を振り返る動画が話題となっている。


「さあ、今こそ思いきりサッカーを楽しもう。2人のプロアスリートが語るサッカーストーリー」と題した動画の撮影時に2人が語ったこれまでのキャリアとサッカーの魅力とは――。そのインタビューの一部をここで紹介する。


――サッカーを始めたきっかけはなんですか?
荒木「最初は色々なスポーツをやっていたんですけど、お父さんが近くの小さなクラブチームで教えていたこともあり、通っていくうちに徐々にサッカー1本になっていきましたね」

――サッカーを始めたのは何歳ぐらいだったんですか?
荒木「年中、年少さんくらいでしたね」

――友達からはどういう風に言われていましたか?
荒木「同級生は意外とインドア派が多くて、家の中でゲームとかしている友達が多かったですね。なのでサッカーは年上の人に混ざってやっていました」

――同級生ではなく、クラブチーム以外でも年上のお友達と?
荒木「そうですね。年上に混ざった方が、みんな上手かったですし、そこでやっていました」

――年上に混ざるのはすごい行動だと思いますが、当時はどのような気持ちだったのですか?
荒木「怖いもの知らずで、サッカーを一緒にやってくれる人がいたら混ざってやりたいという気持ちでやっていました」

――当時、サッカーが好きだなと感じるエピソードはありますか?
荒木「テレビとかもあまり見た記憶がなくて、夜までサッカーをしていました。離れたクラブチームに通っていたので、戻って来たら近くのクラブチームにも参加してみたり」

――東福岡高校の3年間を振り返るとどういう日々でしたか?
荒木「今思うと、結果があまり良くなかったので、もっとサッカーに打ち込むべきだったなって思っています」

――足りなかったということですか?
荒木「そうですね。もっともっと自分を追い込めたかなと思います。自分の代だけあまり結果が出なくて、それもあって後悔はしていますね」

――今までのサッカー人生でご自身がぶつかった壁はありますか?
荒木「中学1年生のときに、ケガも多くて、試合も全然出られなくて、コーチからもずっと怒られていたので、そのときはしんどかった思い出があります」

――それをどう克服しましたか?
荒木「そのときこそ、練習が終わって家に帰ってからもずっとサッカーをし続けましたね。コーチに怒られてへこむけど、自然に体がグラウンドに向かっていきましたね。サッカーが好きだったのかな。怒られていたんですけど、ずっとサッカーをしていましたね」

――実際にプロサッカー選手を意識し始めたのはいつぐらいですか?
荒木「中学2年生くらいのときにどうやったらプロになれるかって考えたときに、東福岡高校で10番をつけてキャプテンをやっている人は毎年プロになっているなと思ったんです。それで東福岡で10番をつけてキャプテンになったらプロになれるんじゃないかなって、そこから真剣に目指し始めましたね」

――その通りになった感じですよね。
荒木「そうですね。ずっと中学生から目指していたので本当になれましたね」

――自分でサッカーをやっていこうと決めたきっかけはいつでしたか?
荒木「小学生になるときに、親の送迎などの協力がないと通えないクラブチームに入ったのですが、そこに行くと決めたときにサッカー1本に集中していくというのは決めましたね」

――小学生のときに自分で行くと決めたんですね。それはレベルが高かったからですか?
荒木「そうですね。幼稚園のときに試合をして、そのチームが強かったので、行きたいという気持ちになりました」

――サッカーするモチベーションはどのようなところにありますか? 
荒木「昔から本当に好きで、負けたくない気持ちでやっていました。今もその気持ちは変わらないのですが、高校くらいからは、親に送迎とか協力をしてもらっていたので、少しでも恩返しできたらなという気持ちでやっています」

――高校最後の選手権のときにケガをされていたようですが、そのときはどんなメンタリティだったのでしょうか?
荒木「3年生のときにケガが多くて、そのときはキャプテンをしていたので、自分のことより、みんなを鼓舞する形で励ましていました」

――サッカーは個人で戦う瞬間もありますが、団体競技という意識の方が強いですか?
荒木「高校の指導者の方からもそういうことを教わりました。ケガの治療とか自分の筋トレをやろうかなと思っていたら、高校のコーチからも『お前は立場的にもキャプテンだから、もっとチームのことを考えてチームのためになることをやるのも大事だ』と言われました。ピッチに立てなくてもできることをやるというのを学びました」

――もしサッカー選手になっていなかったら何をしていたと思いますか?
荒木「サッカー選手になってなかったら野球選手ですかね?(笑) いや、でも分からないですね。スポーツ関係のことをやっていたかなと思います。サッカーをやっていて良かったと思うのは、自分の好きなことを仕事にできているということ。ひとまずは夢が叶って、ここから活躍できればと思っています」



――お兄さんの影響でサッカーを始めたとのことですが、サッカーに熱中するようになったタイミングはいつごろですか?
塩越「幼稚園ではバトントワリングをやっていたのですが、兄のサッカーに付いて行ったときにボールを蹴るのが楽しかったみたいで、自分ではあまり覚えていないのですが。でも、習い事は2つできないからどちらかを選びなさいとお母さんに言われて、そのときに自分でサッカーを選んだみたいです。そこから熱中してやってきたのかなと思います」

――そのころからサッカー選手としてこうなりたいというような夢を持っていましたか?
塩越「自分の記憶はそこまでないですけど、サッカーを始めたときからなでしこジャパンに入りたいとか、生まれが埼玉だったので浦和レッズレディース(現・三菱重工浦和レッズレディース)の選手になりたいという夢は持っていました」

――地元・川越の中でレッズの存在は大きかったんですか?
塩越「そうですね。浦和か大宮かみたいなところはありましたが、大宮には当時、女子のチームがなかったので、みんな浦和レッズを意識していたと思いますし、自分もその一人でしたね」

――どのタイミングでジュニアユースに進んだんですか?
塩越「小学6年生のときにセレクションがあって、中学1年生からジュニアユースですね」

――ジュニアユースに進んだタイミングで、サッカー1本で行こうみたいな強い意識、決意はあったんですか?
塩越「本気でサッカーが上手くなりたくて頑張っていたので、サッカー選手になりたいとか、なでしこジャパンに入りたいという思い、サッカーが上手くなりたいという思いでやっていましたね」

――挫折などはありましたか?
塩越「中学生のときは同じ学年に12~13人所属していたのですが、年代別の代表に選ばれる選手が同じ学年にも下の子たちにもいたのに、自分はなかなか選ばれることがなくて。みんなが年代別のワールドカップに出ている中で自分は選ばれなかったというのは、そのときは縁がない場所なんだなと思っていました。今思えばそこは大きな差だったなと思います」

――なでしこジャパンやトップチームに入りたいという道を決めた中で不安や葛藤はありましたか?
塩越「年代別の代表に選ばれていないことだったり、U-20の女子ワールドカップには呼んでもらえたけど試合に出られなかったり、同年代との差は感じたし、上手さだけで上に行けるところではないんだなと思いました。自分に足りないところはたくさんあるんだなと感じましたね」

――足りないところというのは?
塩越「足元のテクニックは昔から自信があったんですけど、スピードだったり、体の強さだったり、フィジカル的な部分とか、あとはシンプルにメンタルの強さが自分はまだまだだったなと思います」

――メンタルの強さも大事だったんですね。
塩越「代表メンバーに生き残るというのは自分自身の強い意志が絶対的に必要で、自分への自信がまだ足りなかったんじゃないかなと思います」

――サッカーで感じている一番の魅力は何ですか?
塩越「チームメイトと試合に勝つというのは、どんなときも最高な瞬間だなと思います。自分が点を決めたら嬉しいとか、アシストしたら嬉しいとかありますけど、結局は試合に勝って、試合のあとにみんなで笑顔で話せたり、笑い合えたりする瞬間が毎回最高だなと思います」

――サッカーはみんなでやる団体競技としての意識が強いですか?
塩越「そうですね。本当に一人じゃここまで来れなかったと思います。個人競技では自分の良さは絶対に出せなかったと思うので、自分の性格的にもチームみんなでとか、仲間と支え合ってみたいな部分がすごく合っているなと思います」

――今後の目標はありますか?
塩越「自分自身がなでしこジャパンの代表になって活躍するというのもそうですけど、自分の活躍でサッカーの魅力がどんどん広まればいいなと思います。また、子どもたちの憧れの存在でありたいなと思います」

――そういう子どもたちに伝えたいメッセージはありますか?
塩越「楽しむことは忘れずにというのは自分の中であるのでそういうことを伝えたいです」

――楽しめる原動力は何ですか?
塩越「応援してくれる人が自分たちのプレーで喜んでくれるとか、そういうのってすごく嬉しくて。家族が応援してくれるとか、ありきたりかもしれませんが、自分のことを好きでファンでいてくれる方たちが自分のプレーを見て勇気をもらった、元気をもらったとか、週末の試合を観たから今週も頑張れるみたいなことを言ってくれるのってすごく嬉しいんです。小さい子どもたちが『柚ちゃんみたいになりたい』と言ってくれることは本当に嬉しいことなので、そういうところなのかなと思いますね」

Sponsored by ナイキ

●女子ワールドカップ2023特集

TOP