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“21人中21番手”から大学選抜優秀選手、U-22日本代表候補に選出…新潟医療福祉大DF坂岸寛大の「大事な大学3年間」

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DF坂岸寛大(新潟医療福祉大)

 この一年間で大きくステップアップを遂げ、年代別代表の候補にたどり着いた。パリ五輪を目指すU-22日本代表候補に選出されたDF坂岸寛大(新潟医療福祉大4年)は、26日の合宿最終日で紅白戦に臨む。「やれることを全力で、整理してやっていきたい」と意気込んだ。

 昨夏の総理大臣杯直前まで、新潟医療福祉大の佐熊裕和監督から「メンバー21人中21番手だった」と言われていた。しかし、指揮官が「しっかり育てたい」とも語っていた坂岸は、その期待に応えて着実に成長を遂げる。

 昨年度、冬の全日本大学サッカー選手権(インカレ)で医福大は初の決勝まで進出した。坂岸は4-4-2の左サイドハーフとして活躍。チームは惜しくも初優勝を逃したが、スピードと豊富な運動量を持ったレフティーは個人で注目され、3月のデンソーカップチャレンジサッカー(デンチャレ)茨城大会で大学選抜入りを果たした。

「先輩のオナイウ(情滋/仙台)さんにもデンソーの注目される度合いを聞いていた。活躍するためにオフシーズンもすごく意識してやって、自分のできるプレーを、やってきたことを信じた」

 デンチャレでは北信越選抜に入り、チーム自体はプレーオフで敗退するも、坂岸はプレーオフ選抜に選ばれて本大会に出場。そこで活躍が認められた坂岸は大会優秀選手に選出され、さらに3月の日韓定期戦に臨む全日本大学選抜メンバーにも選ばれる。そして今回U-22日本代表の候補入りを果たし、自身初の代表活動に赴いた。

 今回のU-22日本代表候補は28人中18人が初招集。大岩剛監督体制の常連組はおらず、新戦力発掘の意味合いが大きい。だが候補とはいえ、坂岸にとっては初の年代別代表の招集。「まず最初に驚いた」と率直に思いを語る。

「(代表には)特別な思いはあります。アンダー世代の選手とは絡んだこともないですし、絡むような感じでもなかった。ちょっと遠い存在、憧れ的な感じ。ここに入るような選手たちともまったくプレーしてこなかったですし。驚きと貴重な体験ができるという喜びがありました」

 先週末に所属チームでの試合があったため、23日から始まった代表活動は2日目の合流でリカバリーに徹し、25日の3日目から本格始動。「球のスピード、切り替えのスピードが全然早い。自分の頭の切り替えが遅いなと感じた。技術的な部分もまだまだ足りない。すごく刺激的な一日になりました」と目を輝かせた。

 ここまでの道のりは長く険しく、それでも実のあるものになった。「高いレベルでやって、自分のレベルを上げたい」という目的で横浜創英高から医福大に進学。だが、1年次は出場機会に恵まれず、セカンドチームで苦しむ時期もあった。坂岸が至った考えは「プロのサッカー選手になるために、やることを整理して、やるべきことをやり続けよう」。波はあれど3年間で少しずつコンスタントに試合に絡み始め、そして昨年度のインカレからデンチャレまでは大きく飛躍を遂げた。

 4年生までの道のりを「出るまではすごく長かったですけど、すごく大事な3年間だった」と振り返る。「めっちゃ成長したとかそういうわけではなく、やることをやってきたという感じです」と力を込めた。

 大学では左サイドハーフを務めたが、代表候補合宿3日目の11対11のミニゲームでは左サイドバックでプレー。大学までの間に経験済みのポジションでもあるため「どっちでも適応できる」と自信をのぞかせる。26日の最終日には紅白戦を実施予定。「まず自分のできること、特長を全力で100%で出し切って、その後に結果はついてくる」と奮闘を誓った。

(取材・文 石川祐介)

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