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W杯終戦のU-20日本代表、GL進退の機微を振り返る…松木玖生、田中隼人が帰国直前に語った思い

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U-20日本代表はW杯グループリーグで敗退

 U-20日本代表のW杯が終わった。1勝2敗でグループリーグを終え、3位通過のわずかな望みに懸けたがそれも叶わなかった。29日、アルゼンチン出発前のU-20日本代表は解団式を終え、最後の囲み取材を受けた。

 グループリーグ3試合連続で前半に先制ゴールを奪った。しかし追加点は遠く、後半になると失速。第2戦・コロンビア戦、第3戦・イスラエル戦は後半の2失点で逆転負けを喫した。1勝2敗でグループリーグを終えると、各組3位の成績上位4チームに入ることができず、決勝トーナメント進出を逃した。

 イスラエル戦では、序盤から初先発のMF松村晃助(法政大)とMF安部大晴(長崎)が躍動。相手の中盤とディフェンスのライン間でボールを持ち、MF松木玖生(FC東京)と好連係を見せた。しかし、何度もチャンスの形を作ったが、シュートに持ち込めない。前半終了間際にようやくセットプレーからFW坂本一彩(岡山)がゴールを挙げた。

 前半を1-0で折り返すことはできたが、決定機の数を考えると複数得点を奪いたかった。DF高橋仁胡(バルセロナ)は左サイドから決定機を何度も創出し、攻撃をけん引した。試合直後には「2-0で試合を締めなあかんと思う。最後は相手も前に来るし、2-0やったらもっとリラックスできる。1点だったらちょっとマシな感じ」と点差を広げられなかったことを指摘。グループリーグ3試合を通し、同様の課題が露呈した形となった。

 そして後半、日本は第2戦と同様に先制していながらも劣勢に追い込まれる。イスラエルの攻勢に対して、日本は4-4-2の布陣でブロックしきれず、松村が右サイドに下がって5バックを形成。相手の勢いを削ぐと再び4-4-2に戻した。我慢強く守り続けると、後半23分にMFラン・ビンヤミンが2度目の警告を受けて退場処分。ここから日本は数的優位に立ったものの、イスラエルの覚悟を持った攻撃でさらに守勢に回ってしまった。

 後半31分にFKを献上した日本は、そのピンチをしのぎきれず、1-1と同点に追いつかれる。36分の2枚替えで入ったMF福井太智(バイエルン)は「相手が10人でしたし、その中で簡単に失うシーンは多かった。試合を落ち着かせてほしいと言われて試合に入りました」と振り返る。しかし、イスラエルのリスクを犯した攻撃を正直に受けてしまった。終了間際に痛恨の失点を喫し、1-2で2試合連続の逆転負けとなった。

 1勝2敗でグループリーグを終え、日本は3位が確定。その場ではグループリーグ敗退は決まらず、選手たちは2位通過したイスラエルの歓喜を茫然と見届けていた。翌28日に6組のグループリーグ全日程が終了。日本は各組3位の中で成績は最下位となり、決勝トーナメントへの道は閉ざされた。

 29日、解団式を終えたチームは帰国前に囲み取材を受けた。イスラエル戦での敗戦から2日。松木、DF田中隼人(柏)、そして冨樫剛一監督が大会を振り返った。

 松木は3試合を戦い、世界との差を語る。「最後の決め切るところや、個人の能力で全部試合を終わらせてくるところで、日本と差があるなと感じました」。個人では初戦・セネガル戦で決勝ゴールを記録。「得点を取るところは一つまず求めていたので、そこは達成できてよかった」と語るが笑顔はない。「それ以外は正直何もしていないので、悔しい気持ちが残る大会になりました」と総括した。

 第2戦、第3戦では前半優勢から後半劣勢と同様の展開になった。松木は守勢に回った後半立ち上がりをターニングポイントに挙げる。

「この大会で課題に上がったのが後半の立ち上がりのところ。相手にボールを握られてしまった。守勢に回り、ラインが下がってしまって、簡単に相手にサイドを作られてクロスを何本か入れられるシーンが多かった。そこで守勢に回らずプレスをかけに行って、もしくはマンツーマン気味で行って、相手を驚かせるような激しいプレスをかければ、また違った展開があったかなと思います」

 田中も「コロンビアのときから同じことを繰り返してしまった」とイスラエル戦の後半立ち上がりを語る。指揮官による5バック変更はあくまで前に押し出すイメージを持っていたという。しかし「5枚になって引いてそこから跳ね返そうというイメージをしてしまった。なかなかラインを押し上げられず、ずるずると下がって、人数が足りているのにあのような2失点。ラインを押し上げて前からプレスに行ければよかった」(田中)。ピッチ内外の小さな齟齬が大きな差を生み、勝敗を分けてしまった。

 U-20世代の戦いは終わり、選手たちは新たなスタートを切る。

 松木はすでにパリ五輪世代のU-22日本代表にも選出されており、今後はその先に照準を合わせる。「まだパリ五輪は残っていますけど、アンダーカテゴリーの活動はなくなってしまった。自分はもっと上を目指すために、ステップアップのために、色々と考えないといけないことがある。もちろんA代表にも入り込めるように、もっと努力していかないといけない」。この世代はコロナ禍で国際経験が少ない。その中で臨んだU-20W杯だが、「そこに合わせていくのが日本代表」と強調。今回の経験を経て、改めて世界基準の選手像を説く。

「この大会を通して自分個人のレベルアップをしていかないといけないと感じました。他の試合を見ていても一人ひとりの能力が高くて、個人で点を決めてしまうような選手がたくさんいましたし、そういう選手にならないといけない。ただ、自分が自分がになるのではなくて、周りの選手を生かすこともできる、すべてができる選手になっていかないといけないとこの大会ずっと感じていました」

 田中は世界を体感し、上手さと強さの違いを痛感したようだ。「(ロールモデルコーチの)内田篤人さんから話をもらったんですけど、自分たちは正直上手いと言われてきています。でも、自分たちは逆境を跳ね返す力やそれを乗り越える力強さはないと感じています」。国内外での強度の違いも実感し、「海外でプレーする大事さというのも感じました」と語った。

 田中はまた、冨樫監督から聞いた選手時代の“キングカズ”三浦知良とのエピソードも語った。とある試合で0-5と大敗した後、現役選手だった冨樫監督が三浦家に宿泊すると、翌朝5時に練習に向かうカズの姿があったという。

「そういう選手がずっと生き残るというのを言われた。自分もそういう選手が残るし、ずっとサッカーだけに目を向けられる選手が上に生き残ると思った。この大会でもっともっとサッカーが好きになりました。サッカーに目を向けよう、サッカーだけに目を向けようと感じたので、もっともっと上を目指せる機会を得た。自分を信じて上に行けると思うので、パリもそうですし、A代表でも活躍できるようにしたいです」(田中)

 冨樫監督は、選手たちに伝えたかった真意を明かす。

「本当にトップレベルに行った人たちはピュアだなと思うんですよ。これから大人になって汚れた体、心を持つ中でも、トップトップに行っている選手はピュア。心から世界一になりたい、世界一の選手になりたい、自分はもっとやらなければと思える選手しかたどり着けないと思う。本当にピュアにパリ五輪を目指せるのか、A代表を目指す中で、このアルゼンチン世代がこの大会を戦ったからこそA代表にいるとか、あるいはよりトップの選手になって伝えていけるようになってほしいという話は彼らにしました」

 コロナ禍で国際大会を経験できなかった世代は、待望のU-20W杯でようやく世界の強さを痛感した。仲間とともに悔しさを味わった。自分の可能性を知ることができた。遅れを取り戻すために、今回の経験を大きな一歩にしなければいけない。

(取材・文 石川祐介)
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