日本代表強化、女子W杯招致、商業的価値の向上…JFA宮本恒靖新会長が目指すその先のサッカー界「もっと広い価値観をみんなで作っていけたら」
日本代表として通算71試合に出場し、2002年の日韓大会、06年のドイツ大会と2度のW杯を経験した宮本恒靖氏が今年3月、第15代の日本サッカー協会(JFA)会長に就任した。
元Jリーガーの会長職は史上初めてで、47歳での就任は戦後史上最年少。就任会見では「新しいことができるのが自分の色かなと思う」とフレッシュな志向を口にし、日本サッカー界に新たな風を吹き込む覚悟を示した。
『ゲキサカ』では4月、宮本会長に単独インタビューを実施。就任会見で新たに打ち出した「日本代表強化」「女子ワールドカップ招致」「商業的価値の向上」「露出の工夫」などの指針に迫ったほか、日本サッカーのさらなる普及に向け、新会長が描く未来図を聞いた。
(撮影協力=JFAサッカー文化創造拠点『blue-ing!』)
——Jリーガー出身者として初めて、また戦後最年少の47歳で会長就任となりました。ご自身でどのように受け止めていますか。
「年齢のことは周りの人に言われることはありますが、自分ではあまり感じていませんでした。もちろん今までの会長の方より就任した年齢が若いのはわかっていますが、自分で意識したことはそれほどありませんでしたね」
——周囲からの反応はいかがでしょう。
「周りは驚く人のほうが多かったです。久しぶりに友達から連絡が来たこともありました。『早ない?』とは言われましたね(笑)。ただ驚きを持ってくれつつも、好意的なコメントをたくさんもらいました。自分のイメージよりはたしかに早かったかもしれませんが、いつかトライしてみたかったことではありました」
——FIFAマスターの卒業生とも交流があると思います。素朴な疑問ですが、同期のような関係もあるのでしょうか。
「同期との交流もありますし、いわゆる同窓会もあります。そういったところからは『良かったね』といった前向きな言葉をもらいましたし、『FIFAマスターからそういったキャリアの人が出て誇りに思う』ということも言ってもらいました」
——FIFAマスター卒業生は他にどのような形で活動されているのでしょうか。
「サッカー界だけでなく、スポーツ界の色々な組織の運営で活躍できる人材の育成が主眼になっているのですが、サッカー界の中ではクラブやサッカー協会、FIFAで働いている人もいます」
——中でもサッカー協会の会長というのは異例のキャリアですよね。
「たしかに協会のトップというのは初めてかもしれませんね。ただ、まだ就任しただけであって、これから何をやっていくかが一番大事だと思っています」
——そういった人々とのつながりも活かされそうですね。
「つながりは大事にしたいと思いますね。たとえばフェデリコという同期がFIFAのインファンティーノ会長の秘書をしています。彼と長く共通の時間を過ごしたというわけではないのですが、FIFAマスターの卒業生というくくりになると一気に距離が縮まるコミュニティではあるので、そんなに遠いところにいるとは感じません。他にもインドネシア、モンゴル、ブラジルなど世界中いろいろなところにネットワークが広がっていますし、そういった人脈を活用しない手はないと思っています」
——ここからは先日の就任会見で語られていた今後の施策についてお聞きしたいと思います。まず「競技面での成果」という項目が最上位にありました。中でも大きな注目が集まるのは日本代表の強化だと思いますが、具体的にどのような展望がありますか。
「まずはマッチメイクのところですね。W杯予選のスケジュールもあって難しい現状ではありますが、チームサイドが望むような対戦相手としっかり組んでいきたいと思います。また代表チームが一気に強くなるというのは難しいですよね。マジックはありません。先日までU-23日本代表がアジアカップを戦っていましたが、そうした勢いのある若手が常に育ってきて、A代表で活躍している選手を脅かすような状態をしっかり作っていかなければならないと思っています。強化の機会をどう作るか、どこに遠征に行くかというのも含めて、地道にしっかり続けていくことに尽きると思っています」
——宮本会長自身は選手の立場でも代表チームに深く関わり、また指導者としては育成年代からトップチームを経験し、さまざまな観点から代表チームを見ていると思います。もっとこうしていきたいという考えはありますか。
「何が正解かはわかりませんが、もちろんテクニック、戦術、フィジカルが優れている前提の上で、精神的にも自立した選手が育っていくことが高いレベルに行く近道になると思います。海外に行っていろんな壁に直面する選手が出てくるのはどうしても仕方ないと思いますが、そういうことをしっかりと乗り越えていける準備ができている選手が早くから海外に出て行って成功し、そういった選手の数がさらに増えてくると、よりトップクラブでプレーする選手が増えていくことにもつながると思っています」
——また女子サッカーの発展も大きな重点項目に挙げています。その中には2031年の女子W杯招致という大きな計画も明らかにされました。
「まずはなでしこジャパンが強くなることでWEリーグがさらに発展し、魅力のあるリーグになっていくことが大事だと思います。その中でも2031年の女子W杯招致を目指す活動を一緒にやっていけたらより大きなうねりになると思います。去年の女子W杯の時にインファンティーノ会長も『女子サッカーにしっかり投資をすべき』という方針を打ち出しました。女子サッカーの価値を理解してくれる人をもっと増やし、一緒に大きなうねりを作っていけたらと思います」
——なでしこジャパンが2011年の女子W杯で優勝した後、欧州各国の女子サッカーが大きく進歩し、いまは追う立場にあるように思います。ここからどのような施策が必要でしょうか。
「もちろんサッカーのレベルも継続して上げていかないと全てはうまく回っていかないと思います。ただ現状では、日本サッカー協会に選手として登録してくれているのは80数万人の方々ですが、そのうち女子選手の登録数は約5万人にとどまっているので、そこに伸びしろがあるのは間違いありません。WEリーグのお客さんの数も毎試合1500人から2000人くらいですが、そこをいかにして増やしていくか、より進んだコミュニケーションもブランディングも必要だと思います。そうしたことも含めて全てやっていかなければならないと思います」
——その取り組みの一つの象徴がW杯招致になるという考えでしょうか。
「国際大会を開くことでいろんな人たちを巻き込んでいく力が出てきますし、大きな夢を語ることで人をインスパイアできることもあると思います。2002年のW杯招致活動や、W杯を開催できることが決まった時のことも思い出しますし、東京五輪もそうだったと思います。大きなうねりができるのは国際大会を招致することのメリットのひとつだと思います」
——2002年当時は選手として経験していましたが、自分が出られるかもしれないW杯の機運は違いましたか。
「正直、出られるとはあまり思っていなかったです(笑)。1992年くらいに招致の話を聞いたので、子どもだった自分にはちょっと遠かったなと。ただ、実際に大会が始まるまでの雰囲気はスペシャルでした。98年のフランス大会が終わって、トルシエ監督が来て、新しい代表チームが始まって、2000年のシドニー五輪も目指しながらでしたが、自国でプレーできる名誉をイメージしながらW杯に出たいと思って努力していました。そういうことを考えると、いまの段階で31年にW杯を開催できるとなれば『7年後に自分が……』というのはイメージしやすいと思います」
——これから招致に向けてどういうところをアピールしていきたいですか。
「まずは次のFIFA総会で27年の開催地が決まります(※注)。まずはどのような基準を満たさないといけないのか、各国がどのようなプレゼンをしているかという情報は集めなければいけません。大規模な国際大会を開催するためには、細かいところまで政府にご協力いただく必要もありますし、招致するための条件をどのようにクリアしていくかなど、大会を招致するための開催提案書は戦略的にこれから作っていこうと思っています」
(※注 その後、5月17日の総会でブラジル開催が決まった)
——代表強化の他には「日本サッカーの商業的な価値を高めていかないといけない」というテーマもありました。現状どのような点を変えていこうとしているのでしょうか。
「まずパートナーシップに関しては23年度に新しい枠組みで始まった契約もあるので、まずはしっかり軌道に乗せてパートナーに価値を還元していかなければなりません。もっといろいろな方にご支援いただけるような方法はないかということも同時に模索していきたいと思っています。大前提にサッカーという競技をよりたくさんの人にプレーしてもらい、レベルを上げていくことが結果的に商業的な価値が高まっていくことにもつながると思います。各地域でサッカーを普及させたり、強化したりしていくためには 47都道府県サッカー協会の皆さんといろいろな取り組みが必要で、そうした活動をしていくためにはお金も必要になります。現在のJFAの年間予算は200億円規模ですが、これから250億、300億の規模に増やすことができると、より社会や地域にも還元することができるようになります。地域で施策を打っていくことでサッカー全体の発展、繁栄につなげていきたいと思っています」
——商業的価値を高めていくという点において、「公益財団法人」であることが一つのハードルになると聞きます。年間の利益率に制限があったり、公益目的事業での収益比率が50%に制限されていたりするようですが、具体的にボトルネックはあるのでしょうか。
「現状そこまでは感じていないですね。ただ、いろいろなことにトライすべきだと考えています。また地域性に関しても日本だけでやるのではなく、アジアにも広げていきたいと思っています」
——アジア戦略も視野に入っているんですね。たしかに今年1〜2月のAFCアジアカップでは日本代表を応援する海外のサポーターの姿も目立っていて、アジア圏内における日本サッカーの価値の一端を感じました。
「まさにそういった日本代表のブランドはあると思っています。またそういったアジアのファン・サポーターに向けての取り組みに加えて、それをうまくビジネスにつなげることができるのかどうかも戦略的に考えないといけないですね。まだ構想段階なので細かくは言えませんが、海外マーケットに出て行きたい日本の企業や海外にベースのある企業にも話をしていくことで、日本代表の価値、ブランドをより強く感じてもらえるようにしていきたいです」
——専務理事時代にはクラウドファンディングも立ち上げていました。
「クラウドファンディングをやってポジティブに感じているのは、今までやっていなかったことにトライしようというマインドがJFA内に広がりつつあることです。まだ思うような結果につながっていませんし、もっとサポートしてもらうストーリーを作ることはできると思うのですが、クラウドファンディングを通じてJFAのみんなが新しいことにトライする文化になりつつある点ですごく良いと思っています」
——なるほどです。先ほど話に出た「公益財団法人という立場であっても」という点を強調されているのは、JFA内のマインドセットを示していくという目的もあるのですね。
「まさにそうです。JFAには200人以上の人たちがいて、今まではもしかしたら必要以上に『儲けてはいけないんじゃないか』という気持ちがなんとなくあったかもしれませんが、そうではなく、社会やサッカー界に還元していくために収益を上げていくと考えたほうがいいですよね。そういったことを考えようということは伝えています」
——ここからは育成年代の取り組み強化について聞かせてください。先の話にも続くところですが、アンダー世代の代表活動や環境整備にもお金がかかりますし、商業的価値を高めることはますます大事になりそうですね。
「普及・育成に関しては、代表活動にかかるお金もそうですが、やはり47都道府県のいろいろな地域にサッカーができる環境がしっかりあるというところを充実させていきたいですね。お金のことからは少し離れてしまうかもしれませんが、『Japan`s Way』(JFAが2022年に示した指針)でダブルピラミッドというものがあります」
「多くの選手は最初、エリートのほうのピラミッドを目指しますよね。代表強化はトップラインが引っ張っていくものですし、代表の強化ですべきこととして、そこに目を向けるのは良いことだと思います。でも全員がエリートのピラミッドでずっと行けるわけではなく、もう一つのピラミッドに行く人もいます。またそうならずに『もういいからここで辞めよう』となってしまう人もまだまだたくさんいます。そこで『スポーツライフを楽しむ』というピラミッドがあることを知ってもらいたいし、そこでプレーできると言える環境を作りたいですね」
——W杯経験者のJFA会長という立場からして、エリートピラミッドの育成に注力していくと捉えられがちですが、それは違うと。
「もちろんエリートのところも大事です。でもそこに行けるのは限られた人たちだけで、彼らもそこしか知らないとその先が難しくなってしまいます。だからエリートのピラミッドを目指しながら、もう一つのほうにも行けることも大事です。それがまだまだできていないと思いますね。彼らがどんな可能性を秘めているかわからないし、全ての人に広げるのは時間がかかることだとは思いますが、そこは変えていきたいと思います」
——育成年代で実際にプレーしていたり、指導していたりする読者はその点に課題感を持っている人も多いと思います。現状ではどういったところにボトルネックがあると捉えていますか。
「まずは物理的に移籍が難しいことがありますよね。例えば、高校選手権の大会要項の中の参加資格に『転校後6か月未満の者は参加を認めない』というものがあります。また移籍するためのチームがないという問題もあります。チームを移ることには心理的な挫折感という要因もあるかもしれませんし、いろんな事情や背景があると思っています。現実は簡単じゃないですが、まずは『移籍するというキャリアもあるよ』というのが当たり前に語られるようにしていきたいですね。そういった情報がまだまだ少ないので、まずは情報を伝えていくことが大事だと思っています」
「サッカーで代表やプロを目指してきた人たちが、その後、エンジョイでサッカー続けながら、一人の人間として社会でのキャリアを歩み、その先でサッカーに投資するような立場になるかもしれないし、サッカーを支える人になるかもしれない。そんなもうちょっと多様性と厚みのあるサッカー界にしていきたいなと。いまの日本サッカーを取り巻く環境は見た目で言うと、選手としてのキャリアが太く見えて、それ以外は無数の細いキャリアがあるように見える感じですよね。いろんな道がたくさんあって、みんなでサッカーを支えているということが見えるようになればいいなと思います。抽象的で申し訳ないですが……」
——いえ、当事者にとってはとてもリアリティのある話のはずです。特に元トッププレーヤーの方がサッカー協会の会長としてそこに問題意識を持っているというのは大きな意味のあることだと思います。
「それが日本サッカー協会の役目だと思いますし、今までとは違うとまでは言わないですが、もっと広い価値観をみんなで作っていけたらいいなと思いますね」
——そういった点では育成に話を戻すと、グラスルーツの指導現場についても変化が必要だという話を以前していました。
「それは重要だと思います。例えば、ある4種の試合でコーチの方が相手チームのGKを『ナイスキーパー!』と褒めた場面があったのですが、それが他のコーチにも広がって別の選手がいいプレーをするとまた褒めるんですね。選手にとっては、やはり相手チームのコーチに褒められると自己肯定感につながりますし、すると選手はどんどんノビノビとプレーすることができる。たった20分間の中でもどんどん成長すると思います。」
——もう一つ、JFAの発信・露出方法を変えていきたいという話もされていました。すでに『TeamCam』のように日本代表活動を身近に感じられるような取り組みも進んでいますが、どのような方向性で考えているのでしょう。
「TeamCamやRefereeCamはひとつのテーマを取り上げたものですが、よりJFAとしてのグランドコミュニケーションをどうしていくかという点でやれることはあるかなと思います」
——選手時代、監督時代はサッカー界の中にいても、JFAの内部が見えづらかったという話をされていました。
「そうですね。JFAの中で知っている人はいたけれど、JFAでいろいろな人がどんな事をやっているのかは入ってみないとわかりませんでした。もちろんすべてを詳らかにはできないと思いますが、もっと世の中に伝えていけるものはあるし、こういうことをしながらサッカー界、スポーツ界を良くしていこうとしていますよということはもっと伝えていけると思います。まずは何をしている組織なのかという基本的なことからでも、JFAの透明性に関してはいろいろやれることがあるのかなと考えています」
——最後に今後の日本サッカーを見据えていくにあたり、変化している世界のサッカー界の中での立ち位置は大切になると思います。たとえば競技成績で言えば、アジアの中ではトップだと言われていますが、AFCの意思決定の中心は西アジアに移っているように思います。
「日本はAFCとしても重要な国の一つではあると思います。例えば、最近は西アジアで大会が開催されることも多くなっていますが、何らかの議論をする際に日本の意見が軽んじられるような状況にはなっていないと思います」
——そうした環境において、アジアのサッカー界、世界のサッカー界でどのようにイニシアチブを握っていくべきだと考えていますか。
「まずはアジア全体のレベルを上げていくことがW杯でアジアの国が優勝することにつながるというのはずっと言い続けていますし、JFAは実際にモンゴルやカンボジア、ベトナムなどからの依頼を受けて、アジアの国々に多くの指導者を派遣する活動をしてきました。何かを主張する場合でも、日本だけを考えるのではなく、アジアの地域が強くなるためにという観点でAFCには話していますし、それは変わらずやっていきたいと思います。あとはAFCやFIFAにより多くの日本人が入っていくことは重要になっていくと思いますね。理事や委員などだけではなく、いろいろなポジションにもっと多くのスタッフが入っていって、信頼関係を作っていくことも大事だと思います」
——また一方、国内でサッカーをより多くの人に見てもらうためには何が必要でしょうか。たとえばヨーロッパでは近年『90分は長い』という観点での問題意識を耳にするようになりました。
「ピケの試合(キングス・リーグ)はだいぶ短いですよね(笑)。私は90分というものに慣れていて、もう体内時計に埋め込まれているので、『いま16分だな』というのが当たることもあるし、必ずしも短い試合がいいとは思いません。今のJFAの立場として言えば、まずはサッカーに興味を持ってもらうためにW杯や五輪で人々に関心を持ってもらえるパフォーマンスを出せるのかを考えていきたいですね。そういう代表チームを作り続けることが大事だと思っています。それがW杯招致にも、広くはサッカーの普及にもつながってくると思います」
●宮本恒靖(みやもと・つねやす)
日本サッカー協会第15代会長
1977年2月7日生まれ、大阪府富田林市出身。95年にG大阪ユースからトップチームに昇格。同志社大経済学部で学びながらプロ生活を続け、2000年6月に日本代表デビュー。02年の日韓W杯では“バットマン”と称されたフェースガード姿が大きな話題を呼び、プレーでも史上初のベスト16入りに大きく貢献した。06年のドイツW杯では主将を務め、大会終了後からザルツブルク(オーストリア)で欧州挑戦。09年に神戸へ加入し、11年限りで現役引退。引退後はFIFAマスターを修了し、15年に指導者としてG大阪入り。18〜21年にはトップチームの監督も務めた。22年にJFA入り。23年から専務理事を務め、24年3月から現職。
(インタビュー・文 竹内達也)
元Jリーガーの会長職は史上初めてで、47歳での就任は戦後史上最年少。就任会見では「新しいことができるのが自分の色かなと思う」とフレッシュな志向を口にし、日本サッカー界に新たな風を吹き込む覚悟を示した。
『ゲキサカ』では4月、宮本会長に単独インタビューを実施。就任会見で新たに打ち出した「日本代表強化」「女子ワールドカップ招致」「商業的価値の向上」「露出の工夫」などの指針に迫ったほか、日本サッカーのさらなる普及に向け、新会長が描く未来図を聞いた。
(撮影協力=JFAサッカー文化創造拠点『blue-ing!』)
——Jリーガー出身者として初めて、また戦後最年少の47歳で会長就任となりました。ご自身でどのように受け止めていますか。
「年齢のことは周りの人に言われることはありますが、自分ではあまり感じていませんでした。もちろん今までの会長の方より就任した年齢が若いのはわかっていますが、自分で意識したことはそれほどありませんでしたね」
——周囲からの反応はいかがでしょう。
「周りは驚く人のほうが多かったです。久しぶりに友達から連絡が来たこともありました。『早ない?』とは言われましたね(笑)。ただ驚きを持ってくれつつも、好意的なコメントをたくさんもらいました。自分のイメージよりはたしかに早かったかもしれませんが、いつかトライしてみたかったことではありました」
——FIFAマスターの卒業生とも交流があると思います。素朴な疑問ですが、同期のような関係もあるのでしょうか。
「同期との交流もありますし、いわゆる同窓会もあります。そういったところからは『良かったね』といった前向きな言葉をもらいましたし、『FIFAマスターからそういったキャリアの人が出て誇りに思う』ということも言ってもらいました」
——FIFAマスター卒業生は他にどのような形で活動されているのでしょうか。
「サッカー界だけでなく、スポーツ界の色々な組織の運営で活躍できる人材の育成が主眼になっているのですが、サッカー界の中ではクラブやサッカー協会、FIFAで働いている人もいます」
——中でもサッカー協会の会長というのは異例のキャリアですよね。
「たしかに協会のトップというのは初めてかもしれませんね。ただ、まだ就任しただけであって、これから何をやっていくかが一番大事だと思っています」
——そういった人々とのつながりも活かされそうですね。
「つながりは大事にしたいと思いますね。たとえばフェデリコという同期がFIFAのインファンティーノ会長の秘書をしています。彼と長く共通の時間を過ごしたというわけではないのですが、FIFAマスターの卒業生というくくりになると一気に距離が縮まるコミュニティではあるので、そんなに遠いところにいるとは感じません。他にもインドネシア、モンゴル、ブラジルなど世界中いろいろなところにネットワークが広がっていますし、そういった人脈を活用しない手はないと思っています」
——ここからは先日の就任会見で語られていた今後の施策についてお聞きしたいと思います。まず「競技面での成果」という項目が最上位にありました。中でも大きな注目が集まるのは日本代表の強化だと思いますが、具体的にどのような展望がありますか。
「まずはマッチメイクのところですね。W杯予選のスケジュールもあって難しい現状ではありますが、チームサイドが望むような対戦相手としっかり組んでいきたいと思います。また代表チームが一気に強くなるというのは難しいですよね。マジックはありません。先日までU-23日本代表がアジアカップを戦っていましたが、そうした勢いのある若手が常に育ってきて、A代表で活躍している選手を脅かすような状態をしっかり作っていかなければならないと思っています。強化の機会をどう作るか、どこに遠征に行くかというのも含めて、地道にしっかり続けていくことに尽きると思っています」
——宮本会長自身は選手の立場でも代表チームに深く関わり、また指導者としては育成年代からトップチームを経験し、さまざまな観点から代表チームを見ていると思います。もっとこうしていきたいという考えはありますか。
「何が正解かはわかりませんが、もちろんテクニック、戦術、フィジカルが優れている前提の上で、精神的にも自立した選手が育っていくことが高いレベルに行く近道になると思います。海外に行っていろんな壁に直面する選手が出てくるのはどうしても仕方ないと思いますが、そういうことをしっかりと乗り越えていける準備ができている選手が早くから海外に出て行って成功し、そういった選手の数がさらに増えてくると、よりトップクラブでプレーする選手が増えていくことにもつながると思っています」
——また女子サッカーの発展も大きな重点項目に挙げています。その中には2031年の女子W杯招致という大きな計画も明らかにされました。
「まずはなでしこジャパンが強くなることでWEリーグがさらに発展し、魅力のあるリーグになっていくことが大事だと思います。その中でも2031年の女子W杯招致を目指す活動を一緒にやっていけたらより大きなうねりになると思います。去年の女子W杯の時にインファンティーノ会長も『女子サッカーにしっかり投資をすべき』という方針を打ち出しました。女子サッカーの価値を理解してくれる人をもっと増やし、一緒に大きなうねりを作っていけたらと思います」
——なでしこジャパンが2011年の女子W杯で優勝した後、欧州各国の女子サッカーが大きく進歩し、いまは追う立場にあるように思います。ここからどのような施策が必要でしょうか。
「もちろんサッカーのレベルも継続して上げていかないと全てはうまく回っていかないと思います。ただ現状では、日本サッカー協会に選手として登録してくれているのは80数万人の方々ですが、そのうち女子選手の登録数は約5万人にとどまっているので、そこに伸びしろがあるのは間違いありません。WEリーグのお客さんの数も毎試合1500人から2000人くらいですが、そこをいかにして増やしていくか、より進んだコミュニケーションもブランディングも必要だと思います。そうしたことも含めて全てやっていかなければならないと思います」
——その取り組みの一つの象徴がW杯招致になるという考えでしょうか。
「国際大会を開くことでいろんな人たちを巻き込んでいく力が出てきますし、大きな夢を語ることで人をインスパイアできることもあると思います。2002年のW杯招致活動や、W杯を開催できることが決まった時のことも思い出しますし、東京五輪もそうだったと思います。大きなうねりができるのは国際大会を招致することのメリットのひとつだと思います」
——2002年当時は選手として経験していましたが、自分が出られるかもしれないW杯の機運は違いましたか。
「正直、出られるとはあまり思っていなかったです(笑)。1992年くらいに招致の話を聞いたので、子どもだった自分にはちょっと遠かったなと。ただ、実際に大会が始まるまでの雰囲気はスペシャルでした。98年のフランス大会が終わって、トルシエ監督が来て、新しい代表チームが始まって、2000年のシドニー五輪も目指しながらでしたが、自国でプレーできる名誉をイメージしながらW杯に出たいと思って努力していました。そういうことを考えると、いまの段階で31年にW杯を開催できるとなれば『7年後に自分が……』というのはイメージしやすいと思います」
——これから招致に向けてどういうところをアピールしていきたいですか。
「まずは次のFIFA総会で27年の開催地が決まります(※注)。まずはどのような基準を満たさないといけないのか、各国がどのようなプレゼンをしているかという情報は集めなければいけません。大規模な国際大会を開催するためには、細かいところまで政府にご協力いただく必要もありますし、招致するための条件をどのようにクリアしていくかなど、大会を招致するための開催提案書は戦略的にこれから作っていこうと思っています」
(※注 その後、5月17日の総会でブラジル開催が決まった)
——代表強化の他には「日本サッカーの商業的な価値を高めていかないといけない」というテーマもありました。現状どのような点を変えていこうとしているのでしょうか。
「まずパートナーシップに関しては23年度に新しい枠組みで始まった契約もあるので、まずはしっかり軌道に乗せてパートナーに価値を還元していかなければなりません。もっといろいろな方にご支援いただけるような方法はないかということも同時に模索していきたいと思っています。大前提にサッカーという競技をよりたくさんの人にプレーしてもらい、レベルを上げていくことが結果的に商業的な価値が高まっていくことにもつながると思います。各地域でサッカーを普及させたり、強化したりしていくためには 47都道府県サッカー協会の皆さんといろいろな取り組みが必要で、そうした活動をしていくためにはお金も必要になります。現在のJFAの年間予算は200億円規模ですが、これから250億、300億の規模に増やすことができると、より社会や地域にも還元することができるようになります。地域で施策を打っていくことでサッカー全体の発展、繁栄につなげていきたいと思っています」
——商業的価値を高めていくという点において、「公益財団法人」であることが一つのハードルになると聞きます。年間の利益率に制限があったり、公益目的事業での収益比率が50%に制限されていたりするようですが、具体的にボトルネックはあるのでしょうか。
「現状そこまでは感じていないですね。ただ、いろいろなことにトライすべきだと考えています。また地域性に関しても日本だけでやるのではなく、アジアにも広げていきたいと思っています」
——アジア戦略も視野に入っているんですね。たしかに今年1〜2月のAFCアジアカップでは日本代表を応援する海外のサポーターの姿も目立っていて、アジア圏内における日本サッカーの価値の一端を感じました。
「まさにそういった日本代表のブランドはあると思っています。またそういったアジアのファン・サポーターに向けての取り組みに加えて、それをうまくビジネスにつなげることができるのかどうかも戦略的に考えないといけないですね。まだ構想段階なので細かくは言えませんが、海外マーケットに出て行きたい日本の企業や海外にベースのある企業にも話をしていくことで、日本代表の価値、ブランドをより強く感じてもらえるようにしていきたいです」
——専務理事時代にはクラウドファンディングも立ち上げていました。
「クラウドファンディングをやってポジティブに感じているのは、今までやっていなかったことにトライしようというマインドがJFA内に広がりつつあることです。まだ思うような結果につながっていませんし、もっとサポートしてもらうストーリーを作ることはできると思うのですが、クラウドファンディングを通じてJFAのみんなが新しいことにトライする文化になりつつある点ですごく良いと思っています」
——なるほどです。先ほど話に出た「公益財団法人という立場であっても」という点を強調されているのは、JFA内のマインドセットを示していくという目的もあるのですね。
「まさにそうです。JFAには200人以上の人たちがいて、今まではもしかしたら必要以上に『儲けてはいけないんじゃないか』という気持ちがなんとなくあったかもしれませんが、そうではなく、社会やサッカー界に還元していくために収益を上げていくと考えたほうがいいですよね。そういったことを考えようということは伝えています」
——ここからは育成年代の取り組み強化について聞かせてください。先の話にも続くところですが、アンダー世代の代表活動や環境整備にもお金がかかりますし、商業的価値を高めることはますます大事になりそうですね。
「普及・育成に関しては、代表活動にかかるお金もそうですが、やはり47都道府県のいろいろな地域にサッカーができる環境がしっかりあるというところを充実させていきたいですね。お金のことからは少し離れてしまうかもしれませんが、『Japan`s Way』(JFAが2022年に示した指針)でダブルピラミッドというものがあります」
「多くの選手は最初、エリートのほうのピラミッドを目指しますよね。代表強化はトップラインが引っ張っていくものですし、代表の強化ですべきこととして、そこに目を向けるのは良いことだと思います。でも全員がエリートのピラミッドでずっと行けるわけではなく、もう一つのピラミッドに行く人もいます。またそうならずに『もういいからここで辞めよう』となってしまう人もまだまだたくさんいます。そこで『スポーツライフを楽しむ』というピラミッドがあることを知ってもらいたいし、そこでプレーできると言える環境を作りたいですね」
——W杯経験者のJFA会長という立場からして、エリートピラミッドの育成に注力していくと捉えられがちですが、それは違うと。
「もちろんエリートのところも大事です。でもそこに行けるのは限られた人たちだけで、彼らもそこしか知らないとその先が難しくなってしまいます。だからエリートのピラミッドを目指しながら、もう一つのほうにも行けることも大事です。それがまだまだできていないと思いますね。彼らがどんな可能性を秘めているかわからないし、全ての人に広げるのは時間がかかることだとは思いますが、そこは変えていきたいと思います」
——育成年代で実際にプレーしていたり、指導していたりする読者はその点に課題感を持っている人も多いと思います。現状ではどういったところにボトルネックがあると捉えていますか。
「まずは物理的に移籍が難しいことがありますよね。例えば、高校選手権の大会要項の中の参加資格に『転校後6か月未満の者は参加を認めない』というものがあります。また移籍するためのチームがないという問題もあります。チームを移ることには心理的な挫折感という要因もあるかもしれませんし、いろんな事情や背景があると思っています。現実は簡単じゃないですが、まずは『移籍するというキャリアもあるよ』というのが当たり前に語られるようにしていきたいですね。そういった情報がまだまだ少ないので、まずは情報を伝えていくことが大事だと思っています」
「サッカーで代表やプロを目指してきた人たちが、その後、エンジョイでサッカー続けながら、一人の人間として社会でのキャリアを歩み、その先でサッカーに投資するような立場になるかもしれないし、サッカーを支える人になるかもしれない。そんなもうちょっと多様性と厚みのあるサッカー界にしていきたいなと。いまの日本サッカーを取り巻く環境は見た目で言うと、選手としてのキャリアが太く見えて、それ以外は無数の細いキャリアがあるように見える感じですよね。いろんな道がたくさんあって、みんなでサッカーを支えているということが見えるようになればいいなと思います。抽象的で申し訳ないですが……」
——いえ、当事者にとってはとてもリアリティのある話のはずです。特に元トッププレーヤーの方がサッカー協会の会長としてそこに問題意識を持っているというのは大きな意味のあることだと思います。
「それが日本サッカー協会の役目だと思いますし、今までとは違うとまでは言わないですが、もっと広い価値観をみんなで作っていけたらいいなと思いますね」
——そういった点では育成に話を戻すと、グラスルーツの指導現場についても変化が必要だという話を以前していました。
「それは重要だと思います。例えば、ある4種の試合でコーチの方が相手チームのGKを『ナイスキーパー!』と褒めた場面があったのですが、それが他のコーチにも広がって別の選手がいいプレーをするとまた褒めるんですね。選手にとっては、やはり相手チームのコーチに褒められると自己肯定感につながりますし、すると選手はどんどんノビノビとプレーすることができる。たった20分間の中でもどんどん成長すると思います。」
——もう一つ、JFAの発信・露出方法を変えていきたいという話もされていました。すでに『TeamCam』のように日本代表活動を身近に感じられるような取り組みも進んでいますが、どのような方向性で考えているのでしょう。
「TeamCamやRefereeCamはひとつのテーマを取り上げたものですが、よりJFAとしてのグランドコミュニケーションをどうしていくかという点でやれることはあるかなと思います」
——選手時代、監督時代はサッカー界の中にいても、JFAの内部が見えづらかったという話をされていました。
「そうですね。JFAの中で知っている人はいたけれど、JFAでいろいろな人がどんな事をやっているのかは入ってみないとわかりませんでした。もちろんすべてを詳らかにはできないと思いますが、もっと世の中に伝えていけるものはあるし、こういうことをしながらサッカー界、スポーツ界を良くしていこうとしていますよということはもっと伝えていけると思います。まずは何をしている組織なのかという基本的なことからでも、JFAの透明性に関してはいろいろやれることがあるのかなと考えています」
——最後に今後の日本サッカーを見据えていくにあたり、変化している世界のサッカー界の中での立ち位置は大切になると思います。たとえば競技成績で言えば、アジアの中ではトップだと言われていますが、AFCの意思決定の中心は西アジアに移っているように思います。
「日本はAFCとしても重要な国の一つではあると思います。例えば、最近は西アジアで大会が開催されることも多くなっていますが、何らかの議論をする際に日本の意見が軽んじられるような状況にはなっていないと思います」
——そうした環境において、アジアのサッカー界、世界のサッカー界でどのようにイニシアチブを握っていくべきだと考えていますか。
「まずはアジア全体のレベルを上げていくことがW杯でアジアの国が優勝することにつながるというのはずっと言い続けていますし、JFAは実際にモンゴルやカンボジア、ベトナムなどからの依頼を受けて、アジアの国々に多くの指導者を派遣する活動をしてきました。何かを主張する場合でも、日本だけを考えるのではなく、アジアの地域が強くなるためにという観点でAFCには話していますし、それは変わらずやっていきたいと思います。あとはAFCやFIFAにより多くの日本人が入っていくことは重要になっていくと思いますね。理事や委員などだけではなく、いろいろなポジションにもっと多くのスタッフが入っていって、信頼関係を作っていくことも大事だと思います」
——また一方、国内でサッカーをより多くの人に見てもらうためには何が必要でしょうか。たとえばヨーロッパでは近年『90分は長い』という観点での問題意識を耳にするようになりました。
「ピケの試合(キングス・リーグ)はだいぶ短いですよね(笑)。私は90分というものに慣れていて、もう体内時計に埋め込まれているので、『いま16分だな』というのが当たることもあるし、必ずしも短い試合がいいとは思いません。今のJFAの立場として言えば、まずはサッカーに興味を持ってもらうためにW杯や五輪で人々に関心を持ってもらえるパフォーマンスを出せるのかを考えていきたいですね。そういう代表チームを作り続けることが大事だと思っています。それがW杯招致にも、広くはサッカーの普及にもつながってくると思います」
●宮本恒靖(みやもと・つねやす)
日本サッカー協会第15代会長
1977年2月7日生まれ、大阪府富田林市出身。95年にG大阪ユースからトップチームに昇格。同志社大経済学部で学びながらプロ生活を続け、2000年6月に日本代表デビュー。02年の日韓W杯では“バットマン”と称されたフェースガード姿が大きな話題を呼び、プレーでも史上初のベスト16入りに大きく貢献した。06年のドイツW杯では主将を務め、大会終了後からザルツブルク(オーストリア)で欧州挑戦。09年に神戸へ加入し、11年限りで現役引退。引退後はFIFAマスターを修了し、15年に指導者としてG大阪入り。18〜21年にはトップチームの監督も務めた。22年にJFA入り。23年から専務理事を務め、24年3月から現職。
(インタビュー・文 竹内達也)