新体操応援でオリンピックを知った少女は12年後にサッカー競技で出場、石川璃音は他競技と同じ上着に感激
当初はバックアップメンバーとして選出されたDF石川璃音(三菱重工浦和レッズレディース)だが、DF清水梨紗の負傷離脱などによってメンバー入り。グループリーグ第3戦のナイジェリア戦では、フル出場も果たした。
「たくさんの選手が戦っている大会で、日本のために金メダルをという思いが強かった。日本のために戦える大会だったなと思います」
石川がオリンピックを初めて知ったのは、2012年のロンドンオリンピックだったという。「でも自分自身はオリンピックを知ったのは新体操をやっていた時。小学校2年生までやっていて、ロンドンオリンピックの時はサッカーではなくて、新体操を応援していました」。
それもあってか、オリンピックは格別なものと感じることができたようだ。「ニュースとかでも他の競技の選手がメダルを取っている姿をみて、自分たちも取りたいなという思いが強くなった」。選手村に入った数日間の貴重な経験や、他競技の選手と同じピンク色の上着を着れたこと。その一つひとつに感激があった。
昨年のW杯に続いて、オリンピックも経験した。ただいずれもベスト8に終わった悔しさを感じて帰国することにもなった。強まったのはリベンジへの思い。21歳DFは「次は2027年のW杯だと思うので、そのために頑張ろうという思いが強いです」と意識を高めていた。
(取材・文 児玉幸洋)
●パリオリンピック(パリ五輪)特集(サッカー)
「たくさんの選手が戦っている大会で、日本のために金メダルをという思いが強かった。日本のために戦える大会だったなと思います」
石川がオリンピックを初めて知ったのは、2012年のロンドンオリンピックだったという。「でも自分自身はオリンピックを知ったのは新体操をやっていた時。小学校2年生までやっていて、ロンドンオリンピックの時はサッカーではなくて、新体操を応援していました」。
それもあってか、オリンピックは格別なものと感じることができたようだ。「ニュースとかでも他の競技の選手がメダルを取っている姿をみて、自分たちも取りたいなという思いが強くなった」。選手村に入った数日間の貴重な経験や、他競技の選手と同じピンク色の上着を着れたこと。その一つひとつに感激があった。
昨年のW杯に続いて、オリンピックも経験した。ただいずれもベスト8に終わった悔しさを感じて帰国することにもなった。強まったのはリベンジへの思い。21歳DFは「次は2027年のW杯だと思うので、そのために頑張ろうという思いが強いです」と意識を高めていた。
(取材・文 児玉幸洋)
●パリオリンピック(パリ五輪)特集(サッカー)