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ジーコ「日本の課題は若手の継続的育成」

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 40歳だった93年5月16日、Jリーグ開幕第1節に鹿島アントラーズの選手として先発出場し、名古屋グランパスエイト相手にハットトリックを決めた元日本代表監督のジーコ氏は、光陰矢のごとく過ぎた20年間を懐かしみ、言葉をかみしめるように言った。

「感激のひと言。皆で力を合わせて始めたJリーグが、20年間でここまできた。世界のサッカー史にない異例のスピードだった。その土台を築いたこと、今ここに立っていられることに感謝したい」

 93年当時の日本は、W杯にもまだ一度も出場しておらず、世界のレベルからかけ離れた位置にいた。ジーコ、リトバルスキー(当時ジェフ市原)、ラモン・ディアス(当時横浜マリノス)ら、世界トップリーグで活躍した選手にとってはピークを過ぎたあとのJリーグ入りだったが、それでも圧倒的な力の差を見せつけ、日本人DFを手玉に取りながらゴールを量産していた。

「自分は現役を一度引退してから日本に来た。一度は現役を引退した40歳の選手で、リーグ開幕戦でハットトリックを決めたヤツがいるか? 皆さん、ギネスブックで探してほしい。それくらい(外国人助っ人にとって)余裕があったということだ」。そう言って取材陣を笑わせた。

 20年間のJリーグの歩みは、草創期から深く関わるジーコ氏にとっても感慨深いものがある。

「20年たった今、どれだけの日本人が世界でレギュラーとして活躍しているか。草創期に関わった者として、これはすごくうれしいこと。自分のやってきたことを心から誇りに思う」と言い、「これからは育成の問題がある。サッカー強国はどの国も次から次へと途切れることなく若手が出てくる。日本でも、それに並ぶようなシステム作りが必要だし、若手が伸びるためのモチベーションをどうやって作っていけるかが大事だ」と力を込める。

 6月にはコンフェデレーションズ杯が、そして来年にはW杯がブラジルで行われる。「自分はポルトガル人の息子でブラジル人だが、日本人でもあるという気持ちだ。コンフェデ杯とW杯のときには自分も日本人と胸を張って言いたい。日本は来年も、必ずブラジルに来ると信じている」と期待していた。

(取材・文 矢内由美子)

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