beacon

【GK's Voice 2】FC東京・林彰洋、止まらない向上心「今の自分で良いと思ったことは一度もない」

このエントリーをはてなブックマークに追加

FC東京GK林彰洋

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載をスタート(『蒼のアインツ』はFC東京クラブスポンサーでもある「めちゃコミック」でも配信中)。第2回はFC東京でプレーするGK林彰洋に幼少時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。※オンラインにて実施

初めて出場した試合で9失点
GKは「2度とやるか」と思った


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「僕が幼稚園のときに札幌から東京に来たタイミングで、同じクラスの子がサッカーをやるという話を聞いて、僕もやりたいとなったのが始めたきっかけです。Jリーグが開幕するくらいのタイミングだったし、それまでもサッカーの存在は知っていたけれど、イメージはほとんどありませんでした」

――幼稚園からサッカーを始めて、小学生低学年の頃はフィールドプレーヤーとしてプレーしていたようですね。
「まったくとは言わないけれど、9割9分はGKをやっていなくて、基本的には攻撃的な位置でプレーしていました。でも、試合になると僕は点を取るよりも、『絶対に負けたくない』という気持ちが先に出てくるので、後ろのポジションに入って守ることもしていました」

――当時のプレースタイルは?
「気合いですね(笑)。王様みたいに何でも仕切って、何でも自分でというイメージを持っていて、自分自身ではうまいと思っていたけれど、止めたり蹴ったりは全然できなかったし、今思えば何もうまくなかった。頭を一切使わないから機転も利かなかったし、考えてサッカーをしていたら、フィールドプレーヤーとして面白いと感じられたかもしれませんね。ガムシャラに目の前の相手と戦うことしか考えていなくて、あの頃は本当に気合いしかなかった」

――フィールドプレーヤーとしてサッカーの楽しさも感じていたと思います。
「サッカーを楽しむというよりも、どうやったら勝てるか自分自身を追い込むことを楽しんでいたような気がします(笑)。人一倍負けず嫌いなので、試合だけでなく練習でも負ける状況を認めたくなかったし、同じ学年のチームとの試合なら当然のこと、一つ上のチームとの対戦でも『負けてもいい』となることはなかった。いつも自然と切羽詰まった状況を作って、その追い込まれた状況を楽しんでいたと思います」

――フィールドプレーヤーと兼任して、GKとしてもプレーし始めたいつからでしょう。
「小学3年生から4年生の頃だったと思います。小学生のチームに僕の年代は3、4人しかいなかったのでチームを組めなかった。一個上の学年には20人くらいいたので、いつも年上のチームと一緒に試合をやっていました。僕はフィールドプレーヤーとしては突出したものがなかったので抜擢されることは少なく、試合に出るには層の薄いポジションでという思いもあったと思います。情熱があったわけでもなく、コーチにGK練習をやってみたいと直談判したのが最初だったと思う」

――GKを初めてやってみた印象を覚えていますか。
「そのときのGK練習が良かったのか悪かったのか分からないですが、すぐに『次、お前出てみろよ』と言われて試合に出させてもらった。でも、初めて出場した試合で9失点とかして、ズタボロにされたので『2度とやるか』と思った。ただ周りからは、いつの間にかGKというポジションをやれる人という感じになっていた。その時はGKをやるのは本当に嫌で、フィールドの方が面白いと感じていました」

――まだ、GKの面白さを感じることはできなかった。
「上の学年に混ざって都大会に出場すると、それなりに注目されるという意味での面白さはあったし、公式戦で勝つという面白さもあったけれど、GKをやらされている感もあったので、面白いと思うことはなかった。それと、痛いじゃないですか、GKって。受け身の取り方が下手だと本当に痛いですよ。試合のときにシュートを止めたら満足感もありますが、練習だと痛さしか感じられなかったので、GK練習は一番嫌いだった。でもGKに固定されたわけではないので、『GKをやりながらでもいいか』と思っていたところはあります」

――セレクションを受けて加入した柏レイソル青梅ジュニアユースでもGKとフィールドプレーヤーを兼任していたようですね。
「小学生のときにGKで東京トレセンに選ばれたりしたけれど、やはりGKはやりたくなかった(笑)。本当に好きじゃなかったので、FC東京と浦和レッズのセレクションにはフィールドプレーヤーとして受けにいっていたくらいです。レイソルカップに参加したときに柏レイソルから『来ないか』と誘って頂いたけれど、それはGKとして見られていたので葛藤があった。だから、GKとして入ることになっても、フィールドプレーヤーの練習に参加したり、練習試合にも出させてもらっていました」

――ただ、流通経済大柏高に進学する頃には、GKとして勝負していくと決断することになります。
「中学を卒業した後の進路を考えたとき、高校の次はプロだよなと思うようになりました。フィールドプレーヤーとしてプレーしていこうか迷っていましたが、どちらで勝負しようかフラフラしている状態ではプロになれないと感じ、ここで選択しないといけないと思った。第三者目線で考えたとき、僕が何で評価されているのかを考えると、やはりGKが一番評価されていたと思う。だから、流経柏に行くときには未練がましいところを捨てて、GKに特化したトレーニングも受け入れないといけないと考えられるようになった。本気でプロになるための決断でした」

「本気でプロになるため」流経柏高からはGK1本でプレーしていく決断を下した(写真は流経大時代)

呼び方が「ユー」から「アキ」へ
海外で感じた劣勢な状況を変える楽しさ


――流通経済大に進学すると、年代別代表でプレーし、A代表の候補合宿にも選出されました。ただ、4年次にセルビアで行われたユニバーシアード大会後に、ヨーロッパに残ってクラブを探すことになります。海外でのプレーを求めたのは、なぜでしょうか。
「どういう手順を踏んで、どうしたら海外でプレーできるのか分からなかったけど、海外には早い段階から興味があったし、チャンスがあるなら行きたかった。もちろん、Jリーグでプレーすることも光栄だと思っていた。でも、当時の日本代表のGKは川口能活さんと楢崎正剛さんという2強しかいない現実があった。僕が自分自身を分析したとき、器用なタイプでもなければ、身体能力がメチャクチャ高いタイプでもなかったので、あの選手たちを超えるとなったとき、同じようにJリーグに入って、同じようなレールに乗っていても絶対に勝てないと感じた。僕がJリーグで経験を重ねても、2人はJリーグだけでなく日本代表としての経験を重ねながら成長していきますからね。だから、自分の行動を改めなかったら、あの2人には一生勝てないと思った。日本代表のGKは川口能活、楢崎正剛の2強という現実を変えるなら、自分で新しい道を切り開いて経験を積んでいくしかなかった」

――スロバキア、ルーマニア、イギリス、ベルギーなど多くの国のサッカーを経験することになりますが、コミュニケーションをとる難しさもあったと思います。
「国柄、民族柄によって選手の特長や気質は違い、コミュニケーションや連係の取り方も全然違ったので、そこを把握するには多少時間がかかりました。あと、僕の場合、試合中に何かあったときには詳細まで、しっかり話し合いたいのですが、『こうしてほしい』『ああしてほしい』と伝えても、なかなか伝わらないのです。それでも、ピッチ外で『こういうタイミングだった』『もっと左側を消してほしかった』と細かいことを伝え、練習のたびにコミュニケーションを取って繰り返すことができれば、日本人ほど律義にはやってくれませんが少しずつ変化も感じられる。だから、試合中に細かいことまでパッと言えたら、もっと局面を変えられるはずだし、時間さえかければもう少し上のレベルでやれる印象はありました」

――海外でGKとして認めさせるため、生き残るために必要だと思ったことは?
「まず、大前提として海外の選手と比べても遜色ないシュートストップを見せないといけない。それと、海外のGKは身体能力が高く、反応や感覚も僕らアジア系の選手では持っていないものを持っていると感じた。だから、シュートストップにプラスして、GKではなかなか見出すことは難しいけれど、自分だけが持っているオンリーワンみたいなものを作り出せないかずっと考えていた。今のGKには足下のプレーが求められるけれど、当時はそこまで求めるチームは少なく、チームによっては右利きなら右足でバコンと蹴れればいい感じだったので、右と左で蹴り分けたり、つなぎの部分をできる選手になることは海外では希少価値が高いと思ったし、少しでも違いが出せると思っていました」

――海外での生活、プレーを経験したことでどのような成長があったと感じますか。
「一番最初に彼らが僕を見たときに何を思ったかと言うと、『日本人の良いGKが来たぞ』なんて思ってくれるわけはなく、『サッカー後進国の日本から、しかもGKが来たぞ』ということで、率直に言うなら『下手なGKが来たぞ』と思われているわけです。結果を出せなければ、その見方は一生変わらないと感じたけど、逆にチームに貢献できると証明できれば絶対に認めてくれると思った。ルーマニアでは数試合に出て多くのシュートを止めるだけでなく、パントキックから得点が生まれたことなどが評価につながり、契約できる状況になりましたが(正式なオファーが届くも契約はせず)、『ユー』と言っていたチームメイトが急に『アキ』と呼び始めたり、監督が話し掛けにくる態度が明らかに変わったり、一気に認められた感じがした。そういう面白さが僕の中にはあった。評価を変えられる自信はあったけど、劣勢な状況を変えていく楽しさを海外で見出せたと感じています」

昨シーズンは全34試合フルタイム出場を果たして自身初となるベストイレブンを受賞した


昨シーズンよりも今シーズン、昨日よりも今日
常に進化させないといけない感覚がある



――この人と出会っていなければ、今の自分はないと言える存在はいますか。
「僕がGKをやってきて色々な考えを用い、新たな自分をアップデートしようと思ったとき、一番衝撃を受けたのは、海外に行ったとき以上に、30歳を迎えて東京でジョアン・ミレッGKコーチ(現・奈良クラブGKコーチ)に出会ったときでした。それまで海外でのプレーも経験し、色々なGKコーチの方に出会ってきましたが、ジョアン・ミレッGKコーチの存在は相当大きかった。それまでもプレーを向上させることは頭に入れて行動していたつもりだったけれど、理論的なものではなく、一つひとつのプレーが明確でなかったし狙いも薄かった。弾いたボールに対してのセカンドアクションだったり、どう修正すればいいのか正確には把握できていなかった。ただ、彼に出会ってから、『シュートを止めるためにどうするのが有効なのか』『どう立ち上がれば次のプレーにスムーズに移れるのか』『弾いた後にどう対応すればセカンドボールに行けるのか』などが、本当に明確になった。そういう部分の考え方が変わったのはサッカー人生の中で大きいですね」

――ピッチに立ったとき、どのような試合展開、試合内容になると最も充実感を得られますか。
「もちろん、失点はしたくないけれど、年間を通して30数試合あったとしたら、全試合ノーミスでパーフェクトゲームを続けることはまず無理だと思う。何を持ってパーフェクトなのかという話ですが、例えば僕が足下のプレーをして味方にパスを通したとします。そのパスを通したことで成功と言うならば成功かもしれないけれど、自分の中に奥深い欲があれば、味方の右足につけようと思って左足につけていたら、それはミスになります。その時点でパーフェクトゲームではなくなる。一つひとつのプレーを細かく見るとパーフェクトになることはないし、失点やミスがなくなることはほぼ考えられないですが、こうすれば失点やミスの可能性を低くできるという考えを持つことができているので、それを具現化できるようにプレーできればと思っています」

――試合中にミスをすることは必ずあると思います。ミスをした後、どのように自分をコントロールしてきましたか。
「試合後にはもちろん反省すべきだし、反省して次につなげるべきだと思う。しかし、どんなミスであっても試合中に反省する必要はない。どんな選手でもミスはするし、どんなミスでもあり得るし、用心深くプレーしてもミスが起こるスポーツだと思っています。たとえミスから失点をしても、その後に自分のプレーができなければ、精神的な弱さをさらけ出してしまっていると思う。ミスをした直後には、その出来事がなかったことくらいにデリートしてしまい、強気に次のプレーに向かうことが必要です。ただ、試合が終わったら、どんな結果であろうと全力で反省してほしい。『その後のプレーが良かったからいいや』と開き直ってしまうと成長はないし、反省することで次に同じプレーでミスをしない状況を作れると思います」

――なぜ、ここまでプロサッカー選手、そしてGKとして生き残り、第一線を走り続けていられると思いますか。
「僕には身長があり、身長があったからこそ評価してもらえたところもあると思う。元々うまい選手ではないし、反射神経が早いわけでもない。そういう様々な才能に恵まれた選手ではなかったと思う。ただ、身長に助けられた部分は多くある。でも、今の自分のままで良いと思ったことは一度もなく、他の人よりもやらないと思っていたし、常にアップデートさせて進化させないといけない感覚を持っています。やはり昨シーズンよりも今シーズンだし、昨日よりも今日だと思って日々上がっていかないといけない。それは年を重ねても変わらない。年を重ねて疲労を取りにくくなれば、その分、頭を駆使してどういうケアをして、それに対してどう練習すればいいのかを考える。自分のことを理解して、もう一段階、もう二段階上がっていきたい欲があることが今までできている部分だと思う。まだまだ止まりたくないし、できることもたくさんあると感じています」

――今後、こういうGKになっていきたいという理想像があれば教えて下さい。
「今まではあれもできて、これもできるというオールマイティで完璧な選手が理想だったけれど、自分がプレーする上でどうすれば失点の確率を減らせるか少しずつ分かってきたので、それをいかに実現できるかというのが本当に大事だと思う。僕はこの考え方を30歳で学ぶことができましたが、これを10代から学べていたら違った人生になったと感じているので、若い選手に僕が持っている知識や考えを伝えていきたいとも思っています。やはり、GKというポジションが発展するには、日本人のGKがサッカー先進国で活躍できる状況にならないといけないと思うし、『日本人のGKってすごいよね』と思われる日が来なければ、日本がワールドカップで優勝するのは難しいと思う。いかに日本人GKがそこに絡めるか尽力していきたいし、現役でいる以上はピッチで全力を出し、自分の理想を具現化できるようにプレーを続けていきたい」

――最後にGKとしてプレーする若い選手たちにメッセージをお願いします。
「僕もそうでしたが、小さい頃や若い時に色々なコーチに出会い、色々な指導を受けると思う。言い方が難しいし、誤解を与えたくないですが、ただ鵜呑みにするのではなく、『もっとこうしたら良いのではないか』『こうすれば、より成長できるのではないか』と一度自分で考えて、必要であれば変化を加えながらトレーニングしていくのが一番良いと思う。このトレーニングをしたら絶対に成功するというトレーニングはないと思うし、いかに試合のシチュエーションに近い状況で練習できるかが成長するためには重要だと思うので、『自分で考える』ということを大事にしながら頑張ってほしいと思います」

【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!


(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

TOP