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“最後の決断”は鳥栖→清水戦…DF内田篤人「試合後に引退させてほしいと言いに行きました」

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鹿島アントラーズDF内田篤人

 前日23日限りで14年半の現役生活を引退した鹿島アントラーズDF内田篤人が24日、オンラインでの記者会見に出席し、32歳での重い決断に至った理由をあらためて語った。

「先輩たちがグラウンドでやるべきことをやっていたのを見てきました。(小笠原)満男さん、柳さん(柳沢敦)、(大岩)剛さん、中田浩二さん、僕が入った年は本田(泰人)さんもいましたが、鹿島の選手らしい立ち姿を感じるものがあった。それが僕にはできていないなと。練習中も怪我をしないように少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらというプレーが続く中、(永木)亮太とか小泉慶とか土居(聖真)くんとかが100%でやっている中で、その隣に立つのは失礼だなと思った。鹿島の選手としてけじめをつけなきゃと思った」。

 前日の引退セレモニーと同様、語られたのは「鹿島の選手として戦う」責任。この日は「カテゴリを下げたり、環境を変えるために移籍するのは選択肢としてあるとは思うが、鹿島以外でやる選択肢はなかったので、ここで辞めさせていただきたいと思った」とも述べ、クラブへの愛情を表現した。

 それでも最後の引き金となったのは先発出場した今月12日のルヴァン杯・清水エスパルス戦だったという。試合終了直後、内田は強化部トップの鈴木満フットボールダイレクターに辞意を伝えていた。

「昨季が終わった時、もう契約はしてもらえないかなと少し思っていた部分があり、その中でもう一年チャンスをもらえたなという印象でした。強化部の満さんにはルヴァン杯のあと、そのまま話をしに行きました。なんて言ったかな。チームの助けになっていないということと、このまま契約を解除して引退させてほしいと試合後そのまま言いに行きました」。

 直前の8日に行われたJ1第9節の鳥栖戦(○2-0)でもベンチ入りしていたが出番なし。ホームでの一戦をベンチから見ながら、すでに覚悟は固まりつつあった。

「エスパ戦でどうこうというより、前の試合(鳥栖戦)でベンチに入れてもらった時にピッチのグラウンドレベルで試合を見て、残り10分、20分のプレーを真横で見ながら、この時間帯にこの強度に耐える身体がないなと思っていた中で迎えたルヴァン杯のエスパ戦でした」。

 清水戦では先発出場を果たした内田だったが、1-2のビハインドで迎えた後半24分に途中交代。その後、投入された高卒ルーキーのFW染野唯月、MF松村優太が立て続けにJリーグ初ゴールを決め、鹿島はなんとか勝利を収めたものの、奇しくも自身が生まれ育った静岡・日本平での一戦が引退の引き金となった。

「前半はほとんど抑えながらプレーしたんですが、後半はやっぱり持たないし、細かいことを言えば危ないところがわかっているのにそこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなきゃいけないポジションにスピードを持っていけなかったり、そういうシーンが自分の中で数多くあった。あの最後の試合がやっぱり、自分の中で辞めなきゃだめだって後押しになったかもしれません」。

 そして20日、クラブを通じて引退を発表。23日のJ1第12節ガンバ大阪戦がラストマッチとなった。G大阪戦では「絶対に怪我するなよ、3-0で残り15分で持って来い」と声をかけていたというDF広瀬陸斗が前半13分で負傷。同16分から急遽ピッチに立った内田は持ち味の突破とクロスで見せ場をつくり、巧みなフィードで劇的な同点ゴールも演出したが、やはり満足のいくパフォーマンスではなかったという。

「監督が隣に座って『今日の試合の責任は全部俺が持つから思い切りプレーしてくれ』と言われた」。出場直前のザーゴ監督とのやり取りを明かした内田は「交代出場でも最後の5分、10分は持たない。そこで足が止まっちゃうのは終わりだなと。あの強度でずっと90分やれて、中2日でやってきた自分がいるので。もっと視野も広かったし、蹴るボールももう少し質が良かったかなと思います」とすっきりとした表情で振り返った。

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