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【GK's Voice 3】キーパー=ゲームメーカー…浦和・西川周作「ワンプレーで流れを変える」

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浦和レッズGK西川周作

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載をスタート。第3回は浦和レッズでプレーするGK西川周作に幼少時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。※オンラインにて実施

1試合を除き、すべてPK戦で勝利して決勝進出
『面白いじゃん、GK』と強く感じた


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「93年にJリーグが開幕したとき、僕は小学校2、3年生だったのですが、ちょうど学校のクラブ活動が始まる時期でした。テレビでJリーグの盛り上がりを見ていたし、昼休みには友達とサッカーを遊びでしていたので、そのメンバーと一緒にサッカー部に入ってみようということになりました。サッカーを始めたのはJリーグの影響が大きかったですね」

――当時はフィールドプレーヤーとしてプレーしていたようですね。
「サッカーを始めた頃の僕は右利きで右足をよく使っていて、左足はまったく蹴れなかった。だから、監督に『右SBをやってみよう』と言われて、1年間くらいは右SBを任されていました。当時はやっぱり点を取ることやボールを蹴ることが楽しいという感覚でサッカーをしていたので、まさか自分がGKとしてプロサッカー選手になるとは思っていませんでした」

――サッカーを始めた頃のGKの印象は?
「どちらかと言うと、良い印象はなかったですね。『失点したらGKのせいにされる』『GKの練習は痛そうだな』というマイナスのイメージが強くて、最初はできればやりたくないポジションでした」

――ただ、その後GKとしてプレーし始めることになります。
「きっかけは小3から小4に上がるときの練習試合でした。GKをやっていた先輩が怪我をして不在だったのですが、GKの候補が多くいるわけでもなく、GKがいない状況になってしまった。当時、皆よりも縦にも横にも大きい僕が監督から『周作、ちょっとやってみよう』と指名され、試合に出ることになりました。その練習試合は負けてしまったけど、その試合をきっかけにフィールドプレーヤーをやりながらGKとしてプレーする時間が増えていきました」

――実際にGKとしてプレーすることで印象は変わりましたか?
「年末年始に行われた大会のPK戦で相手のシュートを止めて勝ったことで、『GKってヒーローになるチャンスがあるんだな』『意外とスポットライトが当たるじゃないか』という感覚を持つようになった。GKをやる上で大きなターニングポイントとなったのは、小5から小6になる時に戦う県大会でした。大会はトーナメントだったけど、1試合を除いて決勝まですべてPK戦で勝ったんです。僕たちは田舎の弱小チームで、とにかく皆で楽しくサッカーをしようというチームだったので、県大会で優勝するイメージはまったくなかった。でも、PK戦で勝っていくことで、皆から『シュウくん、ナイス!!』と言ってもらえたり、皆が笑顔になってくれるのを見ていて、『GKっていいな』『面白いじゃん、GK』と強く感じるようになりました」

――GKに対するマイナスのイメージが、プラスのイメージになるのにあまり時間はかからなかったようですね。
「意外と早かったですね。当時はセービングの形も全然分からなかったけど、シュートを止めると皆がすごく盛り上がってくれるのが楽しかった。あと、小学生のときはGKで試合に出場しても、キックオフゴールを狙っていたことがあります。試合開始の笛が鳴った直後に、思い切り相手ゴール目掛けて蹴ると、キック力があったのでストレートにズドンとボールが飛びました。ゴールマウスが大きくて、相手GKの身長が低いときには決まることもあって、僕自身も面白かったし、話題にもなっていたようです(笑)」

――セービングの形も分からないと話されたように、小学生ではGKコーチはいなかったと思います。どうやってスキルを身に付けていきましたか。
「確かにチームにはGKコーチがいなかったし、最初はどんなことをやればいいのか分からなかったので、GK練習をするのも難しい状況だった。でも、市や県の選抜に入ったり、中学では九州のナショナルトレセンに選ばれ、そこでGKコーチに出会えて基礎を教えてもらえました。GKコーチに基礎練習やトレーニングの仕方の指導を受け、チームに帰ったときに仲間のGKと一緒に色々と考えながら練習していた。たとえGKコーチがチームにいなくても、自分たちで考えてプレーする楽しさがあったし、GKとして成長している感覚もありました」

――ただ、中学生のときもフィールドプレーヤーとして試合に出ていたようですね。
「チームが僕のために背番号1のフィールドユニフォームを作ってくれて、前半にGKとしてゴールを守り、ハーフタイムに着替えて後半はフィールドプレーヤーとしてプレーすることもあったし、前半はフィールドで後半はGKということもありました。当時はまだ『フィールドでプレーしたい』という気持ちがあったし、それは今でも思うことです。やっぱりゴールを決めた選手は絶対にスポットライトが当たるし、90分間のパフォーマンスが悪くても、アディショナルタイムにゴールを取ればスターになれます。逆にGKは90分間のパフォーマンスが良くても、最後の最後にゴールを決められてしまうと評価はまったく違うものになってしまう。ただ、そういうポジションだと受け入れているし、その緊張感もGKの醍醐味だと思っています」

――そして、大分ユースに入る頃にはGK1本でプレーしていこうと決断されます。
「今でも覚えていますが、僕が中3の時に大分ユースの当時の監督だった皇甫官(ファンボカン)監督とGKコーチの吉坂圭介さん(現大分GKコーチ)が、わざわざ僕の地元まで足を運んで下さり、『ユースチームに来ないか』と声を掛けて頂けました。そのとき僕は、地元の高校でサッカーをすべきか、県外のチームからもオファーを頂いていたので大分を出ていくべきか、プロになるためには高校に行くべきか、ユースチームに入るべきか悩んでいた。でも2人から声を掛けて頂いたことで、プロへの近道はユースに行き、トップチームの練習に参加できるように活躍することだと感じた。GKとして勝負していくという気持ちを強く持ち、ユースチームに行こうと決断したことを覚えています」

05年ワールドユースで全試合に出場すると、帰国後はプロ1年目ながらも大分の正守護神に

「周作が蹴れ」と言われた高校時代
直接FKを沈めたキックは武器になる


――GKとしてプレーしていて面白さを感じる部分を教えて下さい。
「僕はゲームメーカーという意識でGKをやっていて、悪い流れでもワンプレーで試合の流れを変えられるポジションだと思っています。味方が苦しい時間帯やきつい時間帯に出たビッグセーブは、体力的にもメンタル的にも仲間が一番救われる瞬間だと思うし、『まだ0-0だ、さあ行くぞ』という気持ちになれるはずです。あと、個人的に好きなのは相手が嫌がるプレーができたときです。自分がフィードを蹴り分けてジャブを打ち、相手のバランスが崩れたところで決定的なパスを出せたときは、試合をコントロールしている感覚があって好きです。今は守るだけでなく、攻撃の部分でも色々な人に見てもらい、楽しんでもらえていると思うので、攻守に渡って面白さを感じています」

――西川選手と言えば、正確なフィードが大きな武器の一つだと思います。キックの精度はどのように上げてきましたか。
「自分で考えながら一人でトレーニングをしたり、学生時代によくやっていたのはセンターサークルからゴールに向かってボールを蹴る練習でした。クロスバーを狙ったり、ポストを狙ったり、時にはノーバンでネットに当ててみたり、その練習はすごくやっていました。狙い通りに当たったら本当に嬉しくて、誰もいない中、一人でガッツポーズするくらいでした」

――使っていたボールは1つだけ?
「ボールは2つありました。1つだと、蹴るたびに取りにいかないといけないから大変だったと思います。2つでも、そんなに変わらないかもしれないけど(笑)。でも、逆にボールがいっぱいなくて良かったのかもしれません。何度もチャンスがあると集中力が途切れそうですが、ボールが2個しかなかったので本当に集中して蹴れていました」

――いつから、キックが自分の武器になると感じましたか。
「高校生の時ですね。大分ユースの練習で、皇甫官監督から『周作、ちょっとFK蹴ってみなよ』と言われたときがあり、2本蹴った内の1本が壁を越えてうまく入って、次の試合からは『周作が蹴れ』というふうになりました。公式戦でも直接FKを決めたり、FKのこぼれ球を味方が詰めて得点が生まれることもあって、PKを含めるとユースではトータルで7、8点決められた。それ以降、自分のキックは武器になると思うようになりました」

――両足から正確なボールを蹴れますが、サッカーを始めた頃は右利きだったのに、今はプロフィールで左利きと書いています。
「確かに最初は右利きでした。左足でボールを蹴り始めたのは、シンプルな理由で、左利きが格好良くて憧れていたからです。とにかく左利きになりたいと思いながら、シュート練習もずっと左足でやっていたら、左足の方が良いボールを蹴れるようになってきた。自分でも信じられなくらいです」

――GKとして一番充実感を得られる試合内容、試合展開はどういったものでしょう?
「1-0の試合は『守った』感があります。1点を守り切るというのは相当なパワー、集中力を使います。1点取られたら同点にされる緊張感があるけど、『守り切れば俺らの勝ちだ』と思いながらプレーをして逃げ切ったときは、ものすごい充実感があるんです。相手がパワープレーをしてきているアディショナルタイム、本当にラストプレーで自分がビッグセーブしてゴールを守り抜いたときは、たまらないですね」

在籍した大分、広島、浦和でタイトル獲得に貢献。18年に天皇杯を制して全ての主要タイトルを獲得することに

自分のミスから失点しても
「次、切り替えろ!!」と絶対に声を出す


――逆にGKだからこそ感じる辛い瞬間というのは?
「辛いと感じることはあまりないです。ただ、この間の名古屋戦(8月8日J1リーグ第9節)でプロになって初めて6失点するだけでなく、チームとして試合の中で修正できなかったのは非常に悔しかった。GKとして、失点を他の選手のせいにしたくないし、人のせいにしたら責任から逃げていると思うので、あの試合で自分に何ができたのかだけを考えています。大事なのは反省点がでたら改善していくことで、6失点も絶対に意味があるものにしないといけないし、ポジティブなものにしていかないといけないと思っています(名古屋戦直後の第10節広島戦ではビッグセーブを連発して完封勝利に貢献した)」

――仮に失点に直結するようなミスをしたとき、どのように自分をコントロールしてきましたか。
「ミスから失点してもチャレンジ精神をなくしてはいけないし、声をなくさないように意識しています。たとえ自分のミスから先制点を奪われても、『次、次、切り替えろ!!』と絶対に声を出す。心の中では『ミスをしたのは俺だけど…』と思っていても、『切り替えろ!!』と声に出すようなメンタルでいる必要があります」

――試合中は引きずってはいけない。
「ミスから失点した状況と同様のシチュエーションが、同じ試合で起きる可能性もあります。気持ちを切り替えつつ、失点したときのミスを教訓にして同じ形から失点しないようにしないといけません。あと、GKのポジションは一つしかなく、試合に出たい選手がたくさんいる中でチームから任せてもらっている以上、最後まで諦めずに戦わなければならない。ミスを引きずるのではなく、どんな状況でもひたむきに戦う姿勢だけは最低限見せなければいけないと思っています」

――GKは1人しか試合に出られません。クラブではほとんどの期間でレギュラーを務めてきましたが、代表ではベンチを温める機会もあり、モチベーションを保つ難しさもあったと思います。
「代表のときは、常に『もしかしたら試合に出られるかもしれない』という状況でトレーニングをしていたので、モチベーションは保ちやすかったです。(川島)永嗣さんがいたり、東口(順昭)選手がいたり、高いレベルの中で一緒に練習していると意識が変わります。お互いに切磋琢磨してやれている感覚があったので、試合に出られなくてもモチベーションが落ちることはなかった。クラブでは色々なタイプのGKとともにプレーしてきましたが、どんなときでも僕はブレずに良い練習をしてこれたと思う。きつい練習でもお互いに声を掛け合いながら、鼓舞し合いながらトレーニングしてこれたことを考えると、僕は周りのメンバーに恵まれてきたと感じられます」

――ここまで10年以上、なぜGKとして日本のトップを走ってこれたと思いますか。
「僕は仲間だけでなく、指導者の方にも恵まれてきたと思っています。大分でトップデビューしたのは1年目の途中でしたが、ユースからトップチームを率いることになった皇甫官監督が、4番手だった僕をシーズン途中から先発に抜擢してくれました。それも1、2試合使うだけではなかった。チームは降格争いをしていた厳しいシーズンだったのに、皇甫官監督の後に監督を務めたシャムスカさんも最後まで使い続けてくれて、プロ1年目から色々なことを経験できたのは本当に大きかったと思います」

――ただ、西川選手の努力がなければ、ここまでの地位を築けなかったと思います。
「それでも、周囲の方の力は大きいと感じています。年々、年を重ねて頑固になってきましたが、人の話をしっかり聞くことは自分の中でも大事にしてきた部分です。若手の頃は、自分のプレーの悪かったところや修正点を言ってくれる人がいます。でも、年を重ね、キャリアを積むと、周囲の方から指摘されることは少なくなっていきます。ただ、浦和ではGKコーチの浜野(征哉)さんや(大槻毅)監督、コーチングスタッフの方たちは伝えるべきことをしっかり伝えてくれます。自分としては、そう言ってくれる人がいることが本当に幸せだと感じています」

――今後、どういうGKになっていきたいか理想像を教えて下さい。
「どんなときもブレないGKになっていきたいです。僕は勝っても負けても周りへの立ち振る舞いを変えないように意識しています。だから僕は、試合に勝ったからファン・サポーターに手を振るのではなく、負けても同じように手を振ります。それは90分間応援してくれた人への感謝の気持ちだと思っているからです。その姿を見て、『西川、何を笑っているんだ』『負けた試合の後に何で手を振っているんだ』と思われる方がいるかもしれませんが、そういう理由で同じように手を振るようにしています。あと、僕よりも(7歳)年上で大先輩の南雄太さんと久し振りに対戦したとき(7月26日J1リーグ第7節の横浜FC戦)、ものすごい余裕を感じました。試合中もそうだし、試合前にあいさつをさせてもらったときもそうでした。常にドシっと構えていて、言い方が難しいのですが、負けた試合の後にも清々しいものを感じた。自分の中でブレない何かがあるのだろうと感じ、こういう選手になりたいと思いました。どんな状況になってもブレない自分でいられるようになりたいですね」

――最後にGKとしてプレーする若い選手たちにメッセージをお願いします。
「ミスは誰にでもあることなので、恐れる気持ちを持ってほしくないと思います。『恐れる気持ちを持つな』『とにかくサッカーを楽しめ。エンジョイしよう』『その中でやるべきこをしっかりやろう』。これはペトロヴィッチ監督(現札幌監督)が口癖のように言っていたことですが、本当にそうだと感じています。まずはサッカーを、そしてGKを楽しむ気持ちを持って頑張ってほしいです」

【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!


(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

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