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【GK's Voice 6】「“今の自分”に自信がない」…G大阪・東口順昭、トップを走り続けてきた理由

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9月27日のJ1第19節でJ1通算300試合出場を果たしたガンバ大阪GK東口順昭

GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

 試合に一人しか出場できない。そしてピッチ上でただ一人、手でボールを扱うことが許されたポジション。それがGKだ。“孤独なポジション”で戦う彼らはどのような思い、考えを持ちながらトレーニングに打ち込み、ピッチに立っているのか――。ゲキサカではコミックDAYSで好評連載中の『蒼のアインツ』とのコラボ企画として、GKにスポットライトを当てた連載を不定期で掲載中。第6回はガンバ大阪でプレーするGK東口順昭に幼少時代から現在までを振り返ってもらい、GKとして生きていく術を聞いた。※オンラインにて実施

「俺しかいなかった」から試合に出ている
心を折られた中学時代は苦しい時代だった


――まず、サッカーを始めたきっかけを教えて下さい。
「小学1年生のときにJリーグがちょうど開幕して、友達が近所のサッカーチームに入ると言ったので、一緒にやり始めたのがきっかけです。当時は足が速かったので、だいたいフォワードでプレーしていました」

――その頃、GKに対してどのような印象を持っていましたか。
「GKは1人だけユニフォームが違くて、グローブもつけられるし、スーパーセーブをしたら皆から『おーっ』と言われるので、興味のあるポジションではありました。GKを始めたのは小学4年生で、誰かがGKをしなきゃいけない状況となり、じゃんけんに負けたのがきっかけです。その試合で『いいやん』となって大事な試合ではGKをするようになったけど、俺はフォワードをやりたかったし、点を取りたかった。だから、『練習試合ではフォワードをやらせて下さい』って監督にずっと言っていました」

――小学生時代はフィールドプレーヤーと兼任だったようですが、何がきっかけとなってGK1本でプレーするようになったのでしょう。
「中学に入った瞬間ですね。ガンバのジュニアユースにGKとして入りましたが、その時はまだフォワードの気持ちを捨て切れていなかった。でも、いざ皆が集まって練習するときになって、レベルの高さを目の当たりにした。フィールドには家長(昭博=現川崎F)とかがいて、『これは勝てない。これは無理や』と思い、『GKの方が勝負できるんちゃうか』ということで、そこからGK1本になりました」

――G大阪ジュニアユースでの活動が始まり、GKとして「勝負できる」という感覚は強まりましたか。
「いや、同級生に1人、えげつないのがいました。家長と同じチームから来たGKやったんですけど、『正直、勝てるところがない』と思わされたくらい、スーパー過ぎた。とにかく身体能力が高くて、『勝つのは厳しい。こいつには敵わない』と完全に心を折られたという感じです」

――では、その選手の控えとしてプレーしていた。
「中学1年生のときは、彼がずっとスタメンで出ていて、俺はずっとBチームだった。ところが、中学2年生になると、彼は『ラグビーをする』と言って、ガンバのジュニアユースもサッカーも辞めてしまった。そこから少しずつ試合に出られるようになったけど、もやもやする部分もありました」

――自分の実力でポジションを奪い取った感じではなかったからですか。
「『試合に出られるようになった』という感覚はなかったです。そんな気持ちだから、試合に出てもなかなか自分を出せなかった。2年生のときには、3年生のGKが怪我をして、俺しかいない状況になって、3年生の試合に出ることになったけど、そんなメンタル状態なので、やっぱりミスをしてしまう。GKのミスは失点につながってしまうので、俺のせいで負けた試合も多かった。3年生になっても、『俺しかいなかった』から試合に出ている感覚で、中学時代は自分の中でも苦しい時代でした」

――GKを辞めたいと考えることはありませんでしたか。
「その時期に一度だけ、『サッカーを辞めたい』と母親に言ったことがあります。でも、そのときは『いいよ、やめー』と言われたので、逆に辞めづらくなった。もし、『頑張れ』と言われたら、自分が追い込まれて、もしかしたら違う選択をしたかもしれません」

――その後は気持ちを切り替えてサッカーに打ち込めましたか。
「サッカーはやっぱり好きやった。ガンバでそういうメンタル状態でやるのは辛かったけど、とりあえずサッカーを楽しもうと思った。だから、練習の方が好きだった。試合になると『あー、試合かー』というメンタルになってしまうので、『練習を楽しもう』『サッカーを楽しもう』と考えるようにしていた。今、振り返ってみても、当時は弱い部分がありました」

09年に新潟経営大からアルビレックス新潟に加入してプロサッカー選手としての道を歩み始めた

芽生えた「自分が何とかしないとアカン」という気持ち
攻撃的になることで打ち消せるものがあった


――プロサッカー選手を目標として意識し始めたのはいつからでしょう。
「プロを目指し始めたのは小学生の頃からです。よく、父親に万博記念競技場の試合を見に連れて行ってもらって、『俺はここでプレーするんやな』と子供ながらに勝手に思っていた。寝る前にはGKとして万博のピッチに立っているイメージをしていました」

――ガンバのユースには昇格できず、京都の洛南高校に進学することになります。プロの世界も少し遠ざかったと思いますが。
「ユースに上がれなかったのは妥当やなと思った。技術面もメンタル面も伴っていなかったので、しょうがないと思えたし、『プロは無理やな』と受け止めて一度はプロをあきらめた。ただ、高校でまたボッと火がつき始めました」

――どのようなことを経験して、再びモチベーションが高まったのでしょうか。
「洛南高校は全然サッカーが強くなかった。GKコーチもいないし、グラウンドも土で、ガンバと比べるとレベルはすごい落ちた。フィールドプレーヤーのレベルも落ちるから、GKにかかる負担がすごく大きくなり、自分が止めなければ勝ち上がれないくらいのレベルやった。でも、そこで『自分が何とかしないとアカン』という気持ちが芽生えてきた。GKは受け身やけど、『自分がどうにかしないと』と攻撃的に行くことで、色々と打ち消せるものがあった。受け身になったら負けるということも学べたし、GKというポジションの本質をすごい学ぶことができたと思う。あと、高校3年のときに高校選手権予選の決勝で敗れたことで、より大学でどうにかしてやろうという気持ちになりました」

――中学時代に弱さを感じたメンタル面が高校時代に強化され、福井工業大から転入した新潟経営大で指導を受けた杉山学監督からはメンタル面だけでなく、人間的にも大きく成長させてもらったようですね。
「杉山監督は元プロサッカー選手というところで、精神的に僕のことを強くしてくれました。人間的なところをすごい見てくれていたし、プロになる、ならないで精神状態が不安定なときに、すっと掛けてくれた言葉が救いになったりした。新潟経営大に在籍していた当時は強化指定選手としてアルビレックス新潟の練習にも参加していたので、大学の練習に戻るとどうしてもレベルが落ちる部分があった。自分としてもレベルは高くないのに、ミスをするとイライラしたり、フラストレーションがたまった時期がありました。ボールに当たることもあったけど、それを見た監督から後日呼び出されて『その人間性、その性格のままでプロ生活を過ごしたら、お前はすぐに終わるぞ』とバシッと言われた。そういうことをはっきり言ってくれる人はなかなかいないし、そこで言ってもらえなかったら今が全然違ったと思うので、ホンマに感謝しています」

――新潟への加入が決まり、一度はあきらめかけたプロサッカー選手になれたときの率直な気持ちはいかがでしたか。
「強化指定でずっとアルビの練習に参加させてもらっていたので、正直焦りしかなかった。『このままやったらアカンな。通用しないな』という気持ちしかなかったです」

――プロとして12年目を迎えましたが、改めてGKとして醍醐味を感じる部分を教えて下さい。
「やっぱり、相手が入ったと思ったシュートを止められる、スーパーセーブができるところが一番ですね。その感覚は小学生の頃から変わりません。相手チームや相手サポーターがすごく悔しい顔をしているし、チームメイトや味方サポーターは喜んでくれている。スタジアム全体がグワーってなっている感じになるので、ものすごく気持ち良いですね」

――シュートをストップするために、どのようなことを意識していますか。
「まずはポジショニングを間違わないこと。あと、俺はシュートを打たれる前に頭の中にいくつかイメージが浮かびます。『このシチュエーションなら、こう打ってくる』『この態勢なら、ここを狙ってくる』という感じで、頭の中に写真の連写みたいに頭に浮かんだときは良いセーブができる。自分の調子が悪いときは1、2パターンしか浮かばないか、たくさんイメージできても頭に浮かばなかったシュートを打たれるので、対応できないことが多い。一つのプレーしかイメージできなくても、実際にそうなれば止められるので、そのときも調子がいいと感じています」

――頭に浮かんだイメージと実際のプレーが合致したときは気持ちが良さそうですね。
「めっちゃ気持ちいいですよ。小学生の頃は、わざと片方のコースを空けて、そっちに打たせて止めることもあった。でも、中学、高校になったとき、その方法を取るときっちり決められるので、しっかりポジションをとらないとアカンと考えるようになった。良いポジションからできるだけ我慢してセービングしないとアカンとなったとき、想像するものが変わってきて、今は色々とイメージできるようになりました」

14年にガンバ大阪に移籍すると、初年度のリーグ戦で全試合フル出場を果たすなど3冠に貢献した

ミスをしたら引きずるタイプやったから
自分のプレーを簡単にすることを意識した


――GKとして充実感のある試合内容、試合展開はどのようなものでしょうか。
「失点ゼロでいくのが一番です。それでチームが1点、2点取って勝てるのが理想ですね。ビッグセーブでゼロに抑えて勝つというのは数えるくらいしかできないと思うので、シュートはあんまりこなくてゼロがいい」

――GKはミスが失点につながる厳しいポジションだと思います。ミスから失点したとき、自分をどのようにコントロールしてきましたか。
「試合中はパッと切り替えられた方がいい。引きずらない方がいいと思うし、引きずったらアカンポジションです、でも、俺は結構引きずってしまうタイプやったから、もしミスから失点したら、自分のプレーを簡単にすることを意識した。そんなに考えないようにして、まずは自分を落ち着かせるためにバックパスがきたら大きく蹴るとか、ちょっと難しいシュートがきたら簡単に弾くとか、難しいことをしない。そうすると、またゲームの流れに徐々に戻っていけます」

――ミスしてしまった試合を映像で見直して反省することは?
「それまでの準備によりますね。自分がホンマにすべての準備をして、その結果入れられたら仕方ないと割り切ることもある。でも、『この準備ができなかった』『あそこはもっとこうすれば良かった』と思うことがあれば、課題として直していかないとアカンので、見て見ぬふりをして割り切ることはないです。映像を見直して『下手やなー、嫌やなー、アカンなー』って思うけど、課題を克服できたときは喜びを感じられるので、そこはしっかり自分と向き合います」

――日本代表では11年3月に初招集されてから、デビューまで約4年半という期間がありました。GKのポジションは1つしかなく、入れ替わりも少ないことでモチベーションを保つ難しさもあったと思います。
「『試合に出たい』という気持ちしかなかったですね。『今は試合に出れない』と悔しがり、その悔しさをJリーグにぶつけ、また代表に招集されてという繰り返しが結構長かったけど、やるしかなかった。GKは一つのチームで、お互いをもちろんリスペクトして練習をしているけど、その中でも自分がやったるという強い気持ちが伝わって監督は使ってくれると思うので、そういう気持ちの部分はもっと出していけたら良かったと思うところもあります」

――第1GKがいたとしても、「自分が出る」という気持ちで準備し続けなければならない。
「その気持ちがなければ、アクシデントが起きて途中から試合に出たときに良いパフォーマンスはできない。準備し続ける大切さというのは中学時代にもろに感じているし、学んだ部分です」

――クラブチームでは第1GKとして過ごす期間が長いですが、第1GKとしての心構えは?
「普段の練習から自分一人ではできないし、GKというチームでやっているけど、その中でJリーグの試合に出られるのは1人しかいないので、責任を背負って毎試合毎試合挑まないといけない。チームの代表として試合に絡んでいくことで、足りないところや試合中に感じたことを共有するというのも、プロのサッカー選手の仕事やと思うので、そこは意識しています」

――ここまで10年以上、なぜGKとして日本のトップを走ってこれたと思いますか。
「自信のなさ、自分に対して不安だからですかね。『自分はこれで大丈夫なのか?』と常に考えているから、『これでいい』と満足したことは一度もない。『新しいものをやらないとアカン』『もっとこうしないとアカン』『こうすればもっとうまくなる』と思っていて、“今の自分”に自信がなかった。『これでいいのか?』と思い、レベルアップをし続けていった結果、今こうやってできていると思う」

――日本を代表するGKから自信がないと言われるとは思いませんでした。
「もちろん、試合中は自信を持ってプレーしていますが、それ以外の部分ではすごい不安で、『どうしたらもっとうまくなれるのか』を考えています。小学生の頃は王様みたいな感じで、GKでも『俺はうまいんやぞ』みたいな感じやったけど、やっぱり中学時代に鼻を折られて怖くなった。でも、鼻を折られたから変わっていったし、あの経験は大きかったと今でも思います」

――今後、どのようなGKになっていきたいか理想像を教えて下さい。
「勝たせるGKになっていきたい。派手ではないけど、基本がしっかりしていて、当たり前に止められるボールを当たり前にキャッチし、セーブする無駄のないGKになりたいです」

――最後にGKとしてプレーする若い選手たちにメッセージをお願いします。
「最初はシュートを止めるのがすごい楽しくてGKをやり始めると思います。ただ、GKを続けていくとちょっとしたミスでゴールを決められることがあり、どんどんミスが怖くなってしまうと思う。ミスすることは仕方ないけど、それをどう改善していくのかが大事だと思います。俺だけでなく、プロの選手も必ずミスを経験して成長しているので、ミスを怖がらずに大胆にチャレンジし続けてほしい。GKはチャレンジしなくても、仲間が守ってくれることで失点しないかもしれないけど、自分のためにチャレンジをして、GKとしての幅を広げていってほしいと思います」

【『蒼のアインツ』とは…】
コミックDAYSで好評連載中。プロ3年目、20歳のGK・神谷蒼は、万年下位のクラブを3位に躍進させる活躍が認められて、日本代表に初選出された。その後、さらなる成長を求め、ドイツ2部のチームに海外移籍。だが、合流早々、足に大怪我を負い、出遅れてしまった上に、新監督から事実上の戦力外通告を突きつけられてしまう。蒼はドイツで輝くことができるのか――。『1/11 じゅういちぶんのいち』の中村尚儁が贈る、GKサッカーヒューマンドラマ、キックオフ!


(取材・文 折戸岳彦)

↑GKヒューマンドラマ『蒼のアインツ』第1話を読む↑

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