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大病乗り越え通算500試合達成…村上伸次主審を支えた情熱「あの時の悔しさは今でも忘れていない」

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 2021年限りでJリーグの審判員から勇退した村上伸次主審(52)が6日、報道陣のオンライン取材に応じた。現役ラストマッチとなったJ1最終節・名古屋対浦和戦の試合後には選手たちから胴上げのサプライズを受け、「セレモニーをやってくれたのでとてもびっくりした。感謝の気持ちでいっぱい」と思いを語った。

 村上主審は2002年、Jリーグの審判員を務められる1級審判員の資格を取得。翌年からJリーグ公式戦を担当するようになり、05年4月28日の名古屋対東京V戦でJ1デビューを果たした。この一戦は当初、同じく今季限りで勇退する家本政明主審が担当していたが、前半限りで負傷交代。後半からの代役でピッチに立ったものの、「前半と後半でレフェリーの対応が悪く、荒れたゲームになったのが印象に残っています」というほろ苦い初陣だった。

 今季までの17年間ではJ1リーグ307試合、J2リーグ196試合、J3リーグ3試合を担当。長年にわたる情熱を支えていたのは、審判活動を始める前に味わった悔しさだったという。村上主審は名門・帝京高を卒業後、立正大を経て、JFLの西濃運輸サッカー部でプレーしていた経験を持つ元DF。西濃運輸に加入したのは1992年、まさにJリーグが始まろうという時期だった。

「Jリーグができる時代で、僕もプロの選手を目指していた。プロになることができなかったあの時の悔しさは今でも忘れていない。でもプロになれなかったという悔しさをずっと持ちながら日々レフェリーをやっていたら、いつの間にかこの歳になってしまった」

 それでも選手時代の経験は審判員の世界でも大いに役立ち、トップレベルの審判員へと導く手助けをしていたようだ。

「選手の時、僕は毎試合イエローカードをもらったり、反則をしてよく怒られていたんですが、選手は時間帯、点差、シーズン最後の昇格、降格を頭の中に入れながら選手はプレーする。そういう気持ちを少しでも汲みながらレフェリングができるのはある意味で僕の強みだったかなと思う。試合が荒れそうだなというときもだいたいわかる。どの選手を落ち着かせることができればこれ以上は対立関係が起きないとか、そういったことは最初のほうから理解しながらやっていた」

 だからこそ、後進の審判員にはできるだけ審判員一本に絞るのではなく、選手としての活動を続けることを推奨している。

「僕の経験を話せば、高校・大学とサッカーの選手として活動しているのであれば、公式戦に出られなくても練習試合とかでボールを蹴ってほしい。どういう時に相手がボールを取りに来るかとか、ヘディングの競り合いでもどういうチャレンジしたら相手が怪我をするのかを理解しながらプレーするのも一つの近道なんじゃないかなと思う」

「正直、いまの若い審判員の皆さんは知識を持っていて、僕より知識もあると思うけど、レフェリーをする中では頭の回転が大事。例えばプレーの三つくらい先まで読める洞察力も自分の中で鍛えていかないといけない。それも画面上ではなくフィールドに立って3プレー、4プレー見えると良いレフェリーになっていくのかなと思う」

 17年間にわたるJリーグ審判人生。その間には毎年の競技規則変更だけでなく、無線システムの導入、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の登場など、審判員の仕事も大きく様変わりしてきた。「デジタルは苦手だった」という村上主審だが、時代の流れには逆らえない。その陰には地道な努力があったようだ。

「レフェリーの世界にもテクノロジーが入ってくるということで、もしわからないことがあったときにはそういうのに長けた若いレフェリーに必ず聞くようにしていた。VARもそうだけど他のテクノロジーに関しても、Jリーグではオフサイドを2Dラインで見るが、(世界各国で使われている)3Dラインはどう見るの?とか、海外に行くレフェリーの話を常に拾ってここまで進んできました」

 近年はTwitter(@MuraNoburin)で日々のトレーニングの様子などを精力的に発信。「僕は基本的には試合の判定がどうのこうのというのは一切するつもりもなかったし、質問が来ても答えるつもりは全くなかった」と制約は課していたというが、「普段の生活とか、トレーニングを発信するくらいでいいのかなという気持ち」での投稿は根強い支持を生み、ファン・サポーターにとって審判員が身近な存在になることに寄与した。

 そんな村上主審が引退を決めたのは2019年1月。この日の取材対応で、当時2週間にわたって集中治療室に入るほどの大病を患い、1か月の入院生活を送っていたことを明かした。

「その時にもしかしたら走ることはできないかもしれないと先生に言われたが、どうしてもやりたいということで、投薬で散らしながらやっていた。それから引退という言葉が頭の中にちらほらありました」。そこで目標としたのはJ1リーグ通算300試合、Jリーグ通算500試合という数字。今季途中に無事達成し、「節目ということで今年で引退」と引き際を決めた。

 現役最終戦では、試合後にDF槙野智章からメッセージ付きのTシャツをプレゼントされ、選手から胴上げで送り出された。またユニフォームを脱いだ槙野への「全くのアドリブ」というイエローカード(非公式)も大きな話題となるなど、「一番印象に残った」というラストマッチとなった。

 今後の活動は2022年初をめどに決まる予定だが、今後も審判の魅力を伝えていくつもりだ。村上主審は「人間というのは7割、8割ネガティブになることが多いと言われている。朝起きたときに会社行くの嫌だなとか思いますよね。僕もそういう気持ちも持っている。でもポジティブな考え方では、一緒に選手と走って、最高の場所で、最高のプレーが見られるということを後進に伝えていきたいという思いがある。そこからサッカーの楽しさ、審判の楽しさを伝えていければ」と話した。

(取材・文 竹内達也)
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