今秋、FIFAマスターに入学する元なでしこ大滝麻未の“第2の挑戦”
サッカー選手を取材していて気付くことがある。Jリーガーでも、ヨーロッパをはじめとする海外組でも、25歳を過ぎたころからセカンドキャリアについての雑談が増えてくる。高卒なら7、8シーズン目、大卒なら4シーズン目あたりだろうか。肉体的、あるいはチーム内での立場の変化から、先々に思いをめぐらせる。20代半ばに引退後のことを意識し始める選手が多いようだ。
日本プロサッカー選手会(JPFA)などでは選手のセカンドキャリアに関する取り組みも行っているが、指導者として現場に残れるだろうか、それともメディアの立場でサッカーに関われるのだろうかなど、漠とした不安があるように感じる。
ただ、これはあくまで男子の場合。女子の場合はどうかといえば、話はなかなかそこまでも至らない。セカンドキャリアを議論する以前に、たとえ日本代表選手であってもさほど恵まれた待遇とは言えないというのが要因の一つだろう。現在、日本女子代表(なでしこジャパン)の監督を務める高倉麻子は、A代表で初の女性監督だ。女子サッカーの歴史が浅いことを考慮に入れても、引退したあともサッカーと関わり続けることがいかに難しいかが分かる。
それでも、新たな道を切り開こうとする者もいる。昨年5月、25歳で現役を引退した大滝麻未(27)は、この秋から国際サッカー連盟(FIFA)が運営するスポーツに関する大学院「FIFAマスター」に入学する。「“引退後にもこういう道があるよ”って少しでも知ってもらえたら」と話す大滝とパリで会った。
大滝が世間に知られるようになったのは早稲田大4年のときだった。ユニバーシアードでの活躍もあって、フランスの名門・リヨンから声がかかり、12年1月にトライアウトを経て入団。日本でフル代表の経験はなかったが、一気に欧州トップチームの一員となると、UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝の舞台にも立ち、優勝まで果たした。なでしこジャパンが女子W杯初優勝を飾った翌年のことだった。
その年の夏、ロンドン五輪にサポートメンバーとして帯同。「光栄でもあり、悔しさもあった」というこの経験が、実は代表選手としてのキャリアのハイライト。12-13シーズンまでリヨンに所属し、その後、1年半は浦和レッズレディースでプレーした。14年12月、フランスに戻ってギャンガンでプレー。半年後の引退へと至る。
大学卒業後の選手生活はわずかに約3年半。25歳での引退を惜しむ声も多かった。だが、本人には何の未練もなかった。
「目標は海外で、サッカーで生活するということでした。その目標がリヨンに入ったことで一気に叶ってしまったから」というのがその理由だ。
リヨンは欧州屈指の強豪であるだけでなく、欧州の女子クラブでも数少ない完全なプロチーム。サッカーで生活するという夢が、大学卒業直前に、しかも最高峰の環境で実現した。理想的なスタートで満たされてしまったものは大きかった。その一方で、リヨンで先発メンバーに定着し、活躍する難しさも痛感した。
「選手としては、極め切れなかった」。そんな思いも残ってはいる。それでも、すっきり引退できたのにはもう一つ理由がある。
「学生時代から、なでしこは目標ではなかったんです。そこまでの選手じゃなかったから。なでしこが目標だったら、こんな風には引退してないかもしれないですね」
なでしこ、つまりフル代表入りしない限りは安定した環境を得られないし、選手として多くの人に知ってもらうことも難しいのが女子選手の現状。だからこそ、なでしこジャパン入りとそこでの活躍を目標にする選手は多い。だが、大滝の場合、初めて代表入りしたのがリヨン入団のあと。目標にしてきたものではなく、あとから付いてきたものだった。
選手を“卒業”し、周囲の勧めがいくつか重なったことで興味を持ち、「FIFAマスター」への挑戦を決めた。国際的な機関で仕事をしたいという希望を持っていた彼女にとって、FIFAや国際オリンピック委員会(IOC)に卒業生を輩出しているこの大学院はとても魅力的に映った。学生時代から英語の習得には力を入れていたし、大学時代にはカナダに短期留学もしている。リヨン、ギャンガンでプレーしている間にフランス語も身に付けた。もともと勉強することが好きで、いつでも見識を広げたいと思っている好奇心旺盛な素養も、再び学びの場に身を置くという選択に直結した。
子供のころからサッカーに打ち込む一方で、他の選択肢を捨てなかったことが今、可能性を広げる一助になっている。サッカーの指導者など、現場復帰の興味は今のところない。「トップレベルの指導じゃなくて、子供にちょっと教えるとか。そういう関わり方が良いかな」という程度だそうだ。
両親には「どうしてそこまで頑張るの?」と言われるのだという。「帰って来れば良いのに」とも言われるそうだ。それでも、27歳になったばかりの彼女は新たなチャンスを前にして、まるで水を得た魚のように生き生きと輝いている。過去には宮本恒靖氏が修了したことでも知られるFIFAマスター。この秋からは大滝とともに韓国のレジェンドも挑戦する。「パク・チソンと同級生になるんですよ!」とうれしそうに話す姿は、キラキラと喜びに満ちていた。
女子サッカー選手のセカンドキャリアに新たな可能性が広がったと言い切るのは難しい。今回のFIFAマスター挑戦は彼女自身のポテンシャルと志向によるものが大きいからだ。それでも、女子選手が引退後、たとえなでしこジャパンで大活躍していなくても、サッカーやスポーツと関わる仕事を続けるにはさまざまな方向からのアプローチがある。そんな可能性を見せてくれる挑戦だと思う。
(取材・文 了戒美子 / 写真 佐野美樹)
日本プロサッカー選手会(JPFA)などでは選手のセカンドキャリアに関する取り組みも行っているが、指導者として現場に残れるだろうか、それともメディアの立場でサッカーに関われるのだろうかなど、漠とした不安があるように感じる。
ただ、これはあくまで男子の場合。女子の場合はどうかといえば、話はなかなかそこまでも至らない。セカンドキャリアを議論する以前に、たとえ日本代表選手であってもさほど恵まれた待遇とは言えないというのが要因の一つだろう。現在、日本女子代表(なでしこジャパン)の監督を務める高倉麻子は、A代表で初の女性監督だ。女子サッカーの歴史が浅いことを考慮に入れても、引退したあともサッカーと関わり続けることがいかに難しいかが分かる。
それでも、新たな道を切り開こうとする者もいる。昨年5月、25歳で現役を引退した大滝麻未(27)は、この秋から国際サッカー連盟(FIFA)が運営するスポーツに関する大学院「FIFAマスター」に入学する。「“引退後にもこういう道があるよ”って少しでも知ってもらえたら」と話す大滝とパリで会った。
大滝が世間に知られるようになったのは早稲田大4年のときだった。ユニバーシアードでの活躍もあって、フランスの名門・リヨンから声がかかり、12年1月にトライアウトを経て入団。日本でフル代表の経験はなかったが、一気に欧州トップチームの一員となると、UEFA女子チャンピオンズリーグ決勝の舞台にも立ち、優勝まで果たした。なでしこジャパンが女子W杯初優勝を飾った翌年のことだった。
その年の夏、ロンドン五輪にサポートメンバーとして帯同。「光栄でもあり、悔しさもあった」というこの経験が、実は代表選手としてのキャリアのハイライト。12-13シーズンまでリヨンに所属し、その後、1年半は浦和レッズレディースでプレーした。14年12月、フランスに戻ってギャンガンでプレー。半年後の引退へと至る。
大学卒業後の選手生活はわずかに約3年半。25歳での引退を惜しむ声も多かった。だが、本人には何の未練もなかった。
「目標は海外で、サッカーで生活するということでした。その目標がリヨンに入ったことで一気に叶ってしまったから」というのがその理由だ。
リヨンは欧州屈指の強豪であるだけでなく、欧州の女子クラブでも数少ない完全なプロチーム。サッカーで生活するという夢が、大学卒業直前に、しかも最高峰の環境で実現した。理想的なスタートで満たされてしまったものは大きかった。その一方で、リヨンで先発メンバーに定着し、活躍する難しさも痛感した。
「選手としては、極め切れなかった」。そんな思いも残ってはいる。それでも、すっきり引退できたのにはもう一つ理由がある。
「学生時代から、なでしこは目標ではなかったんです。そこまでの選手じゃなかったから。なでしこが目標だったら、こんな風には引退してないかもしれないですね」
なでしこ、つまりフル代表入りしない限りは安定した環境を得られないし、選手として多くの人に知ってもらうことも難しいのが女子選手の現状。だからこそ、なでしこジャパン入りとそこでの活躍を目標にする選手は多い。だが、大滝の場合、初めて代表入りしたのがリヨン入団のあと。目標にしてきたものではなく、あとから付いてきたものだった。
選手を“卒業”し、周囲の勧めがいくつか重なったことで興味を持ち、「FIFAマスター」への挑戦を決めた。国際的な機関で仕事をしたいという希望を持っていた彼女にとって、FIFAや国際オリンピック委員会(IOC)に卒業生を輩出しているこの大学院はとても魅力的に映った。学生時代から英語の習得には力を入れていたし、大学時代にはカナダに短期留学もしている。リヨン、ギャンガンでプレーしている間にフランス語も身に付けた。もともと勉強することが好きで、いつでも見識を広げたいと思っている好奇心旺盛な素養も、再び学びの場に身を置くという選択に直結した。
子供のころからサッカーに打ち込む一方で、他の選択肢を捨てなかったことが今、可能性を広げる一助になっている。サッカーの指導者など、現場復帰の興味は今のところない。「トップレベルの指導じゃなくて、子供にちょっと教えるとか。そういう関わり方が良いかな」という程度だそうだ。
両親には「どうしてそこまで頑張るの?」と言われるのだという。「帰って来れば良いのに」とも言われるそうだ。それでも、27歳になったばかりの彼女は新たなチャンスを前にして、まるで水を得た魚のように生き生きと輝いている。過去には宮本恒靖氏が修了したことでも知られるFIFAマスター。この秋からは大滝とともに韓国のレジェンドも挑戦する。「パク・チソンと同級生になるんですよ!」とうれしそうに話す姿は、キラキラと喜びに満ちていた。
女子サッカー選手のセカンドキャリアに新たな可能性が広がったと言い切るのは難しい。今回のFIFAマスター挑戦は彼女自身のポテンシャルと志向によるものが大きいからだ。それでも、女子選手が引退後、たとえなでしこジャパンで大活躍していなくても、サッカーやスポーツと関わる仕事を続けるにはさまざまな方向からのアプローチがある。そんな可能性を見せてくれる挑戦だと思う。
(取材・文 了戒美子 / 写真 佐野美樹)