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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:熱を持っている大人(ブリオベッカ浦安・柴田峡監督)

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東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 先制点が入ったとき。追加点が記録されたとき。勝利を告げるホイッスルが鳴った直後。3度に渡って指揮官を中心に歓喜の輪が広がる。そのことに言及すると、「みんな苦しかったじゃない。だから、オレのためにというよりも、みんなで喜び合うためにこっちへ来てくれたということなんじゃないかなと思っているんだけどね」と少し照れながら、そう言って笑った。自らを『熱を持っている大人』と称する51歳。柴田峡は今、ブリオベッカ浦安というクラブで新たなチャレンジを歩み出している。

 タイミングは突然やってきた。6月下旬のあるオフの日。いつものように庭の草むしりを終えた後、温泉に行った柴田は何気なく眺めていた携帯で、浦安の監督解任の報を知る。とりわけ強く印象に残った訳ではなく、その時は「そうか。JFLの監督も解任されることがあるんだな」と思った程度だったというが、夜になって携帯に着信があった。声の主は浦安のテクニカルディレクターを務める都並敏史。最初は全く違う話題を想像していた電話は、予想だにしていない浦安の監督就任要請のそれだった。

 松本のユースアドバイザーに就いていた柴田は、「僕も組織の人間なのでそんなに簡単にはできませんよ」と返答する一方で、「直感的に『コレを受けないと後悔しそうだな』という想いもあった」そうだ。この2年は似たような話が浮上しては、消えていく経験をしている。今の生活や家族のことを考えると、即決はできなかったものの、育成年代を指導する魅力は十分に感じながら、トップチームの現場に、しかも監督として戻りたいという気持ちも、心の片隅で燻っていた。

 翌日。会社に赴き、社長とGMにオファーを伝える。「柴田さんはどうしたいですか?」と問われ、「直感的には行きたいなと思っています」と率直な想いを伝えたが、それが難しいことは重々承知していた。「中途半端な仕事を請け負っている訳じゃないから」だ。ただ、6年半の濃厚な時間を共有してきた柴田の意志を汲む形で、クラブも最終的には離職することを容認する。松本の許可を得た上で、初めて浦安との交渉に入り、環境面などを直接視察した柴田は、「多分もうあの時にオレはOKすることを前提に浦安へ来ていたと思う」とその時を振り返る。都並の電話から3日後。監督就任のリリースが発表される。JFLのファーストステージは最下位。這い上がるしかない浦安の命運は、初めて大人のトップチームを指揮することになる柴田に託された。

 東京の実家から車で通勤。練習は9時開始だが、朝の4時半に起きて、4時45分に家を出る。なぜなら「ディズニーランドと都心の渋滞は避けたいから」。6時には会社に着いて、1日の仕事がスタートする。2時間近い練習を終えると、「何か用事がある時は会社に寄るけど、何もなければそのまま帰る」ことをクラブに許可してもらい、帰宅してからは「夕方の4時から11時まで泥のようにウチや相手のビデオを見ているか、資料を作っているか」。就任から3週間余りでこのルーティンは確立されてきたが、「もう4時半に起きてるから、ビデオを見てると途中で眠くなっちゃう(笑)」そうだ。

 トップチームの監督という職業の重みも実感している。「コーチをやっている時は『オレだってそれなりに責任感持ってやってますよ』ってプライドを持ってやってきたつもりだけど、やっぱりそうじゃないんだなと」感じた。「ある意味、その街を背負っている訳じゃない。そのすべての一挙手一投足を決めることができる訳だから、とてもプレッシャーの掛かる仕事だし、重責のある仕事だけど、だからこそその立場になってみないとわからないんだなって思うよね」とも語った柴田は、それでも想像していたよりも楽しくやれているという。「それはやっぱり選手たちの情熱が垣間見えるから」。

 とはいえ、環境面のビハインドは否めない。「コーチングスタッフが少ないとか、選手たちが午後働いているので、サッカー中心のスケジュールを組めないとか、そういうことに対して『もっともっとこの子たちは向上できるかもしれないのに』というもどかしさはあるかもしれないね」という言葉に、育成年代の指導が長かった柴田の想いが見え隠れする。

 浦安には東京ヴェルディユース時代に柴田の指導を仰いだ選手が少なくない。3年間みっちり指導を受けていた笠松亮太は、「ユースの時のイメージがあるので、最初は少し怖さもありましたし、背筋が伸びましたね」と笑いながら、「育成の時は1対1とか個人の部分を言われることが多かったですけど、今は組織で守っていく大人のサッカーだと思うので、そこを言われる部分は大きいですね」とかつてとの師の変化を口にする。

 また、高校1年時の1年間だけ柴田の元でプレーしていた南部健造は「前の監督には前の監督の良さがあるし、柴田さんには柴田さんの良さがありますけど」と前置きしながら、「でも楽しみだったし、またこうやってサッカーをやっていれば繋がれるんだなって。またお世話になった人と仕事ができて、自分も成長できてというのは、僕にとっては凄く嬉しい時間ですね」と話してくれた。

 教え子たちとの再会に水を向けると、「笠松は3年間見ていた子だし、(坂谷)武春も1、2年生の時に見ていた子だし、特に健造はJに行ってなかなかうまくいかなくて、山雅にも練習に来たから、それは嬉しいよね。中学から知っている(清水)康也もあんなふうになってやってくれているし、相馬(将夏)は今ケガしちゃってるんだけど、あの子たちだけじゃなくて、他の選手たちもだいたい知り合いの教え子な訳じゃない。何とか1年でも長くやらせてあげたいなとは思うけどね」と笑顔を見せながら、シビアな言葉も口を衝く。

「でも、彼らは“何か”が未完成だからここにいる訳で、ある程度ストロングポイントが明確であれば、もうちょっと上に行けている素材じゃない。それが素材として行けなかったのか、後天的な努力の不足で行けなかったのか、いろいろなマッチングはあると思うけど、じゃあ足りない“何か”とちゃんと向き合ってやったことがあるかということは、どこかでアプローチしていってあげないといけないかなと思うよね」と言い切る強い口調からは、プロ指導者の現実的な側面も窺えた。

 7月22日。就任してから1分け1敗で迎えた、3試合目のリーグ戦となるFC大阪戦。ファーストステージを3位で終えている強豪に、浦安は前半から好ゲームを展開する。32分に南部がエリア内で倒されて得たPKを、清水が冷静に沈めて先制すると、その4分後には柴田も「でき過ぎだよ、アイツ。あんなの見たことねえよ」と笑う南部のヒールシュートがゴールネットを揺らし、2点のリードを携えて45分間を折り返した。

 ところが、一転して後半は防戦一方に。再三のピンチにスタンドからも悲鳴が飛ぶ中、後半18分に失点してたちまち1点差に。さらに猛攻を食らう終盤に、途中交替していた南部は「正直もう見てられなかったので、『ベンチにいたくない』と思いました」と苦笑する。後半アディショナルタイムにはクロスバーにも助けられ、何とか2-1のままでタイムアップのホイッスルを聞く。柴田にとって就任後の初勝利は、チームにとってもリーグ戦9試合ぶりの白星。選手とラインダンスで久々の歓喜を共有したスタンドにも、少なくない笑顔の花が咲いていた。

 実はこの勝利にはある“アシスト”もあった。セカンドステージ第2節の終了後から、チームの練習に前JFA技術委員長の霜田正浩が加わっている。本人も「ボランティアで友情応援ですよ」と言うように、正式就任という形ではないものの、「オレも少し余裕が出たし、選手もシモのトレーニングに凄く食い付きが良かったんだよ」と柴田も認める霜田の指導が、この日の浦安にポジティブな影響を及ぼしていたのは間違いなさそうだ。FC東京時代から10年を超える付き合いの両者だけあって、「シモはオレに遠慮しないし、オレもシモには遠慮しないから、お互いに言いたいことを言える仲というのは大きいじゃない。それはありがたい話だよね」と楽しそうな柴田。最近は通勤の車の中でのミーティングが恒例となっている。この臨時コーチの“友情応援”も柴田の人徳がなせる業と言えるだろう。

 FC大阪戦で印象的だったシーンが3つある。1つは先制点が入ったとき。1つは追加点が記録されたとき。もう1つは勝利を告げるホイッスルが鳴った直後。いずれもベンチの前にできた歓喜の輪には柴田の姿もあった。2ゴールに絡み、チームの勝利に貢献した南部は「あれはたぶん柴田さんの人間性だと思いますね。やっぱりみんなリスペクトしているし、柴田さんも選手のことを信頼してくれているし、お互いの信頼感が自然とああいう形になったと思います」と話す。

 また、笠松はこんなエピソードを披露する。「自分が八戸戦で点を決めた時、柴田さんが凄く喜んでくれて、それを見たみんなも『ああ、本当に選手に近い部分で応援してくれているんだな』というのを感じていて、そこで本当に信頼が生まれたんじゃないのかなと。常に選手の味方だなというのは感じますし、試合に出ていない選手も含めていろいろな想いがあると思うんですけど、良い雰囲気になっているんじゃないのかなと思います」。

 冒頭のようにはぐらかした柴田に聞いてみた。「でも、選手が来てくれなかったら寂しいですよね?」。すぐさま「監督なんてそんなのばっかじゃん」と笑い飛ばした彼も、やはり実際は嬉しくなかったはずがない。

 南部は「いろいろな選手と話しますけど、それこそみんな口を揃えて『監督を勝たせたい』と言うんです」と明かす。その最大の要因は、おそらく柴田が持つサッカーへの“情熱”だ。「そこはオレの“売り”なんだよね。『熱を持っている大人』という言い方が一番いいんじゃないかなと思うんだけど、やっぱりその熱をみんなに伝えていってあげられればいいし、技術論や戦術論、トレーニング論を持っていても熱がない人だと伝わらないからね」とまさに熱っぽく話した直後、「逆に俺が反省しなくてはいけないのは、熱でごまかしちゃう部分もあるからさ(笑)」と続けた言葉が何とも柴田らしかった。

“情熱”だけで物事が進まないことは百も承知。それでも“情熱”がないと物事が進まないのも、また同じくらい確かなことだ。「特に俺は育成から入っているし、人に教えていくというよりも、人と関わっていって、人を良い方向に向かわせたいという想いはずっとあるのかな」。自らを『熱を持っている大人』と称する柴田が、ブリオベッカ浦安と共に“良い方向”と信じる道へ歩み出した新たなチャレンジは、まだ始まったばかりである。



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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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