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ソーシャルフットボールの地域選抜選手権が10日に開幕。うつと戦う日本代表・松嵜の喜びと苦悩

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松嵜俊太郎は日本代表として世界一になることを目標にしている

精神疾患や精神障がいにより医療機関で治療を受けている人がプレーするソーシャルフットボールの「第1回地域選抜選手権」が10、11日に東京・足立区の帝京科学大で開催される。所属クラブの人数の関係等で出られない選手にチャンスを与え、普段は対戦している選手同士の交流を図る意味で初めて8地域(東北、関東、甲信越北陸、東海、関西、中国、四国、九州)を結成。関東選抜で出場する日本代表の松嵜俊太郎の言葉に力がこもった。

「チームメートになる人も普段は相手チームで顔を合わせている人も多いし、関東勢の強さを見せて優勝したい」

 松嵜は大学入学後、公認会計士の資格をとるために専門学校にも通っていたが、頑張りすぎて眠れなくなる日が続いた。それでも大学に通い続け、ある日、ついに起き上がれなくなった。うつ病を発症していた。

「1日天井みあげて終わった日もあります。当時、妹も統合失調症にかかり、家の中も大変な状況でした。落ち着く場所がなくなってしまったんです」

 その後、埼玉県春日部市内の自宅近くの病院に通ったが改善せず、大学は中退。2012年1月、両親に連れられて千葉県流山市の精神科「ひだクリニック」を訪れた。デイケアプログラムの一環として、フットサルのクラブチーム「Espacio」の練習が組み込まれていたことを知る。通院を始めて半年たった同年7月から松嵜はボールを蹴り始めた。

「最初は人と関わることが怖く、電車に乗ると動悸がしたので病院にも電車で行けなかったほどです。人の集団に入っていく怖さはありましたが、一方で高校時代にやっていたサッカーを途中でやめた後悔もあったので、やってみました。(監督の)大角(おおづの、浩平)さんがすごくフレンドリーに接してくれて……。話しかけてくれたこと自体、うれしかった。ボールを蹴ったのは高校1、2年以来で全然へたくそになっていましたが、それでもとても楽しかった。けがしたしたときに『早く練習戻って来いよ』と仲間が声をかけてくれたりしたのもうれしかったんです」

 1年後の2013年7月からは主将に就任。通常、Espacioでは1、2年で主将を交代するが、松嵜は5年ほどつとめ、選手としても日本代表にまで選ばれるまで成長した。並行して、スーパーマーケットで品だしなどのアルバイトもはじめ、社会との接点を増やしていった。今年3月から障がい者雇用で大手広告代理店に就職。30歳で訪れた春だった。

 それでも右肩上がりのままステップアップできないのが、この病の難しいところでもある。3月に入社後、ソーシャルフットボールの日本代表に選ばれた松嵜は5月にイタリアに遠征。しかし帰国後、体調に異変が生じる。体内の時差調整がうまくいかず、眠れない日々が再び生じ、会社も休みがちになった。「休んだらどうだ?」。会社側からの提案で9月から休職。体調が戻った今月から本格的に職場に復帰した。

笑顔が戻ってきた松嵜と作業療法士の大角監督(左)

 精神科の作業療法士としても松嵜をずっと見てきた大角氏はこう分析する。

「今回、松嵜はいろんな刺激を受けすぎて、少し疲れてしまったのでしょう。でもこの病を改善していく上で『所属感』『仲間』というものがすごく大事だと思います。勤める会社があること、通えるデイケアがあることも同じです。何かあっても、そこで相談できる拠り所になるからです。彼が今回、通院するときにひとりで電車で来ました。最初に会ったときから比べると大きな前進です。ソーシャルフットボールを心から楽しむことで『居場所』を感じ、その安心感によって、失いかけた夢や希望を取り戻せるのかなと思っています」

 目の前のボールを夢中に追い、仲間と喜ぶ。サッカーではありふれたごく普通の光景に身を投じることが、社会復帰を果たしたばかりの松嵜にとっては、この上ないリハビリになる。 

(取材・文 林健太郎)

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