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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:Strawberry on the Shortcake(國學院久我山高・山本航生)

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大成高との決勝戦、國學院久我山高のFW山本航生が後半24分にゴール

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 あらかじめ定められていたのかもしれない。あの日から憧れ続けたユニフォームを身に纏うことを。あらかじめ定められていたのかもしれない。あの日から憧れ続けたチームをゴールという歓喜で牽引することを。「僕は『久我山に入りたいな』と思って、ずっと頑張ってきて久我山に入ったので、自分たちの代のチームが小学生や中学生に『凄いな』と思われて、その子たちが『久我山に入りたいな』って思ってくれるようなサッカーができていれば、自分が目指していたようなチームになれていると思います」。國學院久我山高のセンターフォワードに君臨する山本航生は今、かつての自分が目指していた彼らを超えるべく、『憧れのこちら側』で力強く、しなやかに、“イチゴ”を乗せ続けている。

「点を取るのが自分の仕事だということはわかっていたんですけど、ここまでずっと取れちゃうと、逆に『悪いことに遭っちゃうんじゃないか』とか(笑) 親も凄く喜んではくれるんですけど、『気を付けろよ』みたいに言われていて。なんか自分でも結構驚いている感じです」。総体予選準決勝の試合後。圧巻のハットトリックで國學院久我山を2年連続となる夏の全国出場へ導いた山本航生は、そう笑いながら首をかしげる。重要な試合での3得点だけでも驚異的な勝負強さだが、それすら霞んでしまうような数字を今年の彼は積み上げてきている。

 まずは時計の針を今から6年ほど巻き戻そう。既にサッカーの虜になっていた少年は、父親に連れられてたまプラーザのグラウンドを訪れる。舞台はプリンスリーグ関東。予備知識もなく、何となく見に行ったその試合で、彼とそのチームは運命的な出会いを果たす。「もう『あっ!』って。『このチームに入りたい!』って」。小学校6年生だった少年が山本。そのチームは國學院久我山。とにかく圧倒的に楽しいサッカーが、とにかく眩しく見えた。

 当時は清水恭孝監督も「あの時が一番『日本一が近くなったのかな』と思った時ですよね」と認める、屈指の実力を有した世代。富樫佑太(FC岐阜)、平野佑一(水戸ホーリーホック)、渡辺夏彦(FCメンミンゲン/ドイツ)という、1年からレギュラーを張り続けた3人のタレントを擁し、久我山サッカーの理想形とも称されたようなアタッキングフットボールを披露していたチームであり、「まだ『中学で今から頑張ろう』みたいな感じだったので、高校の進路は何も考えてなかったんですけど、もう1試合か2試合ぐらいを見て、『ああ、久我山でサッカーしたいな』と思いました」という山本の心情も十分に理解できる。

 中学時代は東急SレイエスFCでプレーすることになったが、「もう入団したぐらいから、コーチにも『僕は久我山に行きたい』って伝えていました」と本人。その逆算から自らのプレーに磨きを掛けていく。また同校へ入学するには、学業での好成績も欠かせない条件の1つだ。「久我山でサッカーをするためにやっていたことは、やっぱり勉強が一番ですね。成績が懸かってくるので」。サッカーと勉強を両立させながら、“憧れ”へと一歩一歩地道にステップを踏んでいく。

 時間を重ねるごとに、想いは一層強くなる。「清水監督がよく来てくれて、自分のプレーを見てくれて、結果的に評価してもらえました」。サッカー面と学業面を総合的に評価された上で、スポーツ推薦での入学が決まる。『憧れの向こう側』から、『憧れのこちら側』へ。2017年。桜の季節。山本は念願だった國學院久我山高校の校門をくぐった。

 1、2年時の主戦場は左ウイング。特に2年時は同じレイエス出身で、学年が1つ上の宮本稜大(現慶應義塾大)という絶対的なセンターフォワードが躍動していたこともあり、正直に言って山本が得点していたイメージはない。「去年のセンターフォワードとしてのチョイスが航生にあったかと言うと、あまり考えられなかったですね」と明かすのは清水監督。位置付けとしては交替カードの1枚目か2枚目。チームも選手権予選の準々決勝で敗退したため、大きなインパクトは残せずに最終学年を迎えることとなる。

 4月2日。既に彼は覚醒の中にあった。T1(東京都1部)リーグ第3節。東京武蔵野シティFC U-18戦。まだキックオフから1分も経たない時間帯。左から山下貴之が入れたグラウンダーにニアへ飛び込むと、右のポストを叩いたボールはゴールへ転がり込む。続いては7分。山下のシュートのこぼれ球にいち早く反応し、左足で豪快にニアサイドを撃ち抜いてみせる。以降も幾度となく決定的なチャンスを迎えるなど、常にゴールの香りを漂わせていた9番。目の前のストライカーと、それまでの山本のイメージがなかなか結び付かなかっただけに、その衝撃は相当な大きさだった。

 試合後に話を聞くと、「1点目は『触った』って言ったらたぶんタカに怒られちゃうので、アレは触ってないです」と笑いながら、9番は自身の心境の変化について口を開く。「Tリーグは開幕から3試合連続で点が取れていて、自分の中でも調子が良いとは思っています。特に去年も一昨年もあまり試合に出られていなかった分、今年は『自分が点を取ってチームを勝たせられるように』と思ってシーズンに入りました」。

 センターフォワードへの配置転換にも、ポジティブな感覚を持っていた。「自分の武器はシュートを打つことだと思っていて、あまり他に特徴があるわけではないので、サイドをやっている時は縦に行ったりもできなかったですし、今年になってずっとセンターフォワードをやらせてもらっていますけど、感覚的にはこっちの方が自分は生きやすいかなと思っています」。この時点で公式戦3試合連発。ところが、そんな数字はほんの序章に過ぎなかったことが、徐々に明らかになっていく。

 4月27日。関東大会予選準決勝。関東一高戦は立ち上がりから押し込みながら、FK一発で先制される展開を強いられたが、田中琢人の同点弾で後半に追い付き、試合は延長戦にもつれ込む。その前半3分。カウンターから山下のパスを受けた山本は、「だいぶ最後はキツかったけど、『今日はもう振り抜いて来い』とベンチから言われていたし、『もうチャンスはこれしかないな』と思って」右足を強振。やや当たり損ねたボールは、それでもゴールへ転がり込む。結果的にこの1点が決勝ゴール。國學院久我山はストライカーの一撃で、関東大会の出場権を手繰り寄せた。

「今日は点を取った以外は正直あまり良いプレーはできていなくて。でも、『何とか自分が結果だけでも出してやろう』という気持ちだったので、あそこは『入ってくれ!』みたいな、『何か起こってくれ!』みたいな感じで思い切り打ったら、ああいう形で入りました」。言葉の端々にストライカーらしいフレーズが散りばめられる。翌週の決勝戦でも2ゴールをマークし、その時点で公式戦9試合連発。周囲の注目度が格段に上がっていくのは、自身も自覚していたという。

 6月22日。総体予選準決勝。全国出場が懸かるこの駒澤大高戦で、9番はその真価を強烈に証明してみせる。前半19分。右サイドから戸坂隼人が蹴り込んだクロスを、ニアでスライディングしながらゴールへ流し込む。「あの点の取り方が一番嬉しくて、やっぱりフォワードはまずはニアで触れたら触るし、今日も意思疎通できて戸坂のクロスに合わせられたのは、今までやってきたことが出せた点でした」。

 1-1で迎えた後半6分。今度は左から山本献が転がしたクロスを、絶妙のポジショニングで呼び込んでゴールネットを揺らす。「『ニアに入っていくだけじゃ相手も対応してくる』という話をコーチの方からされていて、何回も動き直すことも意識していたので、ニアに入って、来なかったから次に動き直して、ちょっと後ろに下がってゴールみたいな、そういう形で取れたのも良かったです」。

 後半終盤に追い付かれ、突入した延長前半5分。山本献のスルーパスに抜け出した田中が折り返し、大窟陽平のシュートは相手GKに弾かれたが、そこには9番がしっかり待っていた。「こぼれ球に詰めるとか、そういう所に一番早く反応することは意識していたので、そこで取れたのも良かったですし、延長でみんな疲れている中でああいうゴールを取れたのも自分の中で大きかったと思います」。この重要な一戦でハットトリックの大活躍。もう1点を追加した國學院久我山は難敵を撃破し、沖縄行きの切符を手にしたが、その要因に覚醒したストライカーの存在があったことに疑いの余地はないだろう。

 指揮官は山本のセンターフォワード起用について、こう言及する。「航生は上手いし賢いんです。体も強いし、キックがあるので、こちらが求めているサイドからの入り方で駆け引きもできるし、いろいろなアドバイスを吸収しているなと。個人として見たら宮本の方が爆発力はあるし、富樫の方がレベルは上でしょうけど、このチームにとっては彼がセンターフォワードなのが一番良いと思います。でも、凄いですよね。大したもんだと思います。ここまでやれると思わなかったですね」。

 翌日の決勝でも大成高相手に1点を奪い、東京制覇に貢献。これでチームは公式戦15連勝を記録し、山本の連続得点も15試合まで伸びたが、本人は周囲の気遣いを敏感に感じ取っている。「みんなが取らせてくれているというか、自分が決めていない時とか周りが『航生、最後もう1本!』みたいに言ってくれて、みんながそういう雰囲気を出してくれているのもゴールが続いている要因だと思います」。

 プレッシャーを感じるかと尋ねられ、答えた言葉が頼もしい。「そういう記録に対しては『立ち向かっていかないといけないかな』とは思っていて、『プレッシャーが嫌だ』とか言っちゃったら全然ダメだと思うので、『注目されているんだったら、どんどん点を取り続けてやる』みたいな気持ちに今はなっています」。おそらく記録はいつか止まる日がくるだろう。それでも、彼が歩みを止めることは決してない。『久我山のために』。山本を衝き動かすベースは、きっといつだって変わらない。

 以前、山本はこう話していた。「そこまで理想を高くしていいのかわからないですけど、やっぱり夏彦くんとか富樫くんがいた時の代みたいなサッカーというか、それぐらい見ている人が楽しめるような、攻撃的なチームになっていければ理想なんですけどね」。彼にとっての“久我山”は、今でもあの日のたまプラーザで目に焼き付けたイメージと共にある。そして今、誰かにとっての“久我山”はきっと山本たちが披露しているサッカーのイメージと結び付く。そうやって受け継がれていくイメージが、明日のスタイルを形作っていく。

 サッカーにおいて、ゴールを奪うことを『ショートケーキにイチゴを乗せる』と表現することがある。國學院久我山が作る“ショートケーキ”のスポンジは、変わることなく積み重ねてきた信念で練り上げられている。そこへ最後に“イチゴ”を乗せる者の登場が、久我山という“ショートケーキ”を完成させるラストピースであることは、彼らが一番よくわかっているはずだ。「監督からは『自分の得点よりもチームが勝つために貢献してくれ』と言われていて、それは自分もわかっていて、それでも自分の仕事は点を取ることだと思っているので、そういう形でチームに貢献するというのもアリだと思います」。日本一を明確に掲げるチームの中で、“イチゴ”を乗せる役割を担う山本の覚悟は、もうとっくに整っている。

 あらかじめ定められていたのかもしれない。あの日から憧れ続けたユニフォームを身に纏うことを。あらかじめ定められていたのかもしれない。あの日から憧れ続けたチームをゴールという歓喜で牽引することを。「僕は『久我山に入りたいな』と思って、ずっと頑張ってきて久我山に入ったので、自分たちの代のチームが小学生や中学生に『凄いな』と思われて、その子たちが『久我山に入りたいな』って思ってくれるようなサッカーができていれば、自分が目指していたようなチームになれていると思います」。國學院久我山高のセンターフォワードに君臨する山本航生は今、かつての自分が目指していた彼らを超えるべく、“『憧れのこちら側』で力強く、しなやかに、“イチゴ”を乗せ続けている。

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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