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元ヴォルティス戦士の徳島凱旋。生駒・古田泰士監督が選手たちに伝えたい「ありがとう」のメッセージ

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プロキャリアを重ねた思い出の地へ凱旋した生駒高を率いる古田泰士監督

[7.24 インターハイ1回戦 昌平高 3-0 生駒高 徳島スポーツビレッジピッチB]

 不思議な運命の巡り合わせとは、まさにこのことだろう。なかなか越えられなかった壁を打ち破り、辿り着いた全国大会の舞台は、自らがプロサッカー選手として4年間を過ごした徳島の地だったのだから。

「これも巡り合わせですよね。県内で勝って出場できた全国大会がたまたま徳島やったというだけなんですけど、このグラウンドもそうですし、徳島県ということもそうですし、私の思い出の地でやらせてもらえたというのは、本当に選手に『ありがとう』と。選手にここまで連れてきてもらいましたので、凄く感謝の気持ちはあります」。

 2005年から2008年まで徳島ヴォルティスでプレーしていた、元Jリーガーの指揮官。創部39年目にして初めての全国出場を手繰り寄せた生駒高(奈良)の古田泰士監督は、教え子とともに新たな歴史の1ページを、しっかりと自らの思い出の地に刻み込んだ。

 もともと奈良県の出身。名門の高田FCジュニアユースでプレーしていた古田監督は、県内の耳成高に進学すると、高校選手権で全国大会も経験。その後は大阪体育大で4年間を過ごし、2005年にはJ2に昇格したばかりのヴォルティスへ入団。在籍していた4シーズンでJ2リーグ戦26試合出場という記録が残っている。

 現役引退後は教員として地元の奈良へ戻り、いくつかの高校でサッカー部の顧問を歴任し、2017年から生駒へと赴任。同校は着々と実力を伸ばしていったものの、なかなか県内ベスト4の壁は厚く、何度もそのステージで行く手を阻まれてきた。

 そんな中、就任6年目となる今年のインターハイ予選でとうとう準決勝を突破すると、決勝でも香芝高に4-0で快勝し、一気に奈良王者に登り詰める。そして乗り込んできた全国大会の開催地が、偶然にも徳島だったというわけだ。

 初戦の相手は優勝候補の一角に数えられている昌平高(埼玉)。相手にとって不足はない。「正直全国でも名門で、名前もみんな知っているようなチームとやれるので、試合展開として攻められることはわかっていたんですけど、その中で自分たちがどれだけできるか、どれだけ楽しめるかというところで、『試合を楽しむ』ということを自分もチームも意識していました」と話したのは、キャプテンのMF横路拓哉(3年)。選手たちは笑顔で全国のピッチへ飛び出していく。

 前半12分にセットプレーから先制点を許したが、以降は守備に回る時間こそ長かったものの、粘り強く失点を回避しながら、時折可能性を感じさせるアタックを繰り出していく。

 特筆すべきは、その応援団の数の多さだ。「県予選からたくさん応援の方にも来ていただいていて、本当に試合中もだいぶ力になりました」と横路が話せば、「昌平と比べて、応援だけは勝っていたと思います(笑)。そこは凄く嬉しかったですし、励みになりました」と笑わせたのは中盤のキーマン、MF佐藤航(3年)。オレンジ色の服を着て、オレンジ色のタオルマフラーを身に付けた“生駒サポーター”がスタンドの一角を染め上げる。

 さらに古田監督の大学時代の“友人”たちも、少なくない人数がそのオレンジの中に含まれていた。そのことに触れられると、「嬉しいことですね。ただ、どっちかと言ったら応援もありますけど、イジりに来たんやろなと。『大丈夫か、オマエ?』みたいな感じやと思うんですけどね(笑)」とは本人だが、その慕われる人柄がこのことからも垣間見える。

 後半に入るとさらに2点を献上。生駒の選手たちも懸命にゴールを目指して奮闘したが、なかなか得点までは届かない。「まあ、いつもぐらいの出来かなって。それは良くも悪くもですけど。『いつも以上のプレーをしてくれよ』とは思っていましたけど(笑)、もうちょっとできても良かったかなと、もうちょっとゴールに迫れる所もあったのかなとは思います。いつも通りやっても勝てないのが全国大会だということはわかっていたんですけれども、やはりいつも通りでは勝てんかったなという感じです」と古田監督。0-3。全国初勝利は次回以降へお預けとなった。

 試合を終えたばかりの選手たちが発した言葉も印象深い。「このレベルでやったことを持ち帰って、その基準でずっとやっていったら県内でも十分戦えると思うので、今日経験したことをずっと継続してやって、選手権でまた全国に戻ってきたいですね」(横路)「このレベルで体験したことを無駄にしないように、練習ももっと厳しくやれると思いますし、それを継続していくことを大事にしていきたいと思います」(佐藤)。自らの身体で感じたことを、心で感じたことを、どれだけ忘れずに、日々の練習から継続できるか。それがこの70分間の経験の大きな意味になるはずだ。

 取材エリアへ到着したオレンジの指揮官に、旧知のヴォルティスのクラブスタッフの方が親しげに話しかける。この日の会場、徳島スポーツビレッジはヴォルティスの練習場。古田監督もプロサッカー選手として研鑽を積んだ、正真正銘の“思い出のグラウンド”である。また、前日にも試合自体は見られなかったそうだが、J2のリーグ戦が開催されていた鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムを訪れ、お世話になった方々に挨拶をしてきたという。

「当時も練習はここでやらせてもらっていたんですけど、クラブハウスもこんな綺麗な建物ではなくて、もうちょっとショボ……、簡素でしたから(笑)。ポカリスエットスタジアムもバックスタンドが付いていて。昔は芝生でしたからね。徳島さんも頑張ってらっしゃるなと感じました」。現役を引退して13年。ヴォルティスに関わってきた方々も、古田監督も、それぞれの時間を重ねている。ただ、時代は移り変わっていっても、彼らの心のど真ん中にサッカーがあることだけは、何1つ変わっていない。

 この全国の経験は、生駒高サッカー部にどんな影響をもたらしていくのだろうか。指揮官にはその道筋がはっきりとイメージできている。

「今までは県で負けていた中で、今回こうやって全国に出て、いろいろな人からいろいろなサポートを僕らも選手もしてもらいました。そういうことのありがたさはずっと伝えてやってきましたし、まだ幸い選手権もありますので、そこに向けてもこの3年生だけではなくて、1,2年生にも大事な部分は伝えていきたいです。まだまだ足りないということは頭にも身体にも染みついたと思いますので、僕も選手たちもこれを今後どう生かしていけるかどうかですよね」。

 勝てなかった悔しさと、本気でやり合えた充実感と。味わってしまった全国大会という舞台。古田監督と生駒高サッカー部がいよいよ足を踏み入れた真剣勝負のフェーズは、きっとここからが本番だ。

(取材・文 土屋雅史)
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