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[MOM533]流通経済大MF相澤祥太(4年)_日本代表に“練習参加”人生最良の思い出

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16年3月22日、MF相澤祥太は日本代表に“練習参加”した

[大学サッカー・マン・オブ・ザ・マッチ]
[6.3 関東大学リーグ1部第8節 流通経済大4-1国士舘大 味スタ西]

 同点で折り返すかと思えた前半アディショナルタイム1分。右サイドライン際でボールを持ったMF相澤祥太(4年=流通経済大柏高)が右足を振り抜くと、ボールは一直線にゴール方向に向かう。40m弾。GKの頭上を越えたシュートは左ポストを叩いて、流通経済大の勝ち越し点になった。

 気になるのは狙ったのかという点。試合後、相澤に振り返りを求めると、「正直、狙ってはいない。だけど中に2人が見えて、放り込めば何か起きるかなと。蹴った瞬間、軌道的には入ったかなと思ったんですけど、狙ってはないですね」と素直な感想が返ってきた。

 ロングシュートは得意だった。関東リーグで通算2ゴール目となった相澤だが、初ゴールは3年前の15年10月3日、ルーキーイヤーのデビュー戦。「それは完全に狙った」というロングシュートを決めて、初先発だった大学リーグで鮮烈デビューを飾っていた。

 そしてまた“初先発”に燃えていた。本来ボランチを主戦場とする相澤だが、今季は開幕から主将MF広滝直矢(4年=流通経済大柏高)とMF小野原和哉(4年=磐田U-18)がダブルボランチで出続けたために、出番がなかった。

 ボールを落ち着かせることに関してはチームでトップレベルにあり、流通経済大柏高時代は背番号10、選手権などではトップ下で活躍した相澤をトップ下で使おうと首脳陣は本人に提案。ただ相澤はこれを拒否。我を通したことで、途中出場もままならない状況が続いた。

「そろそろ出たいだろう?」。中野雄二監督から声をかけられたのは5月末。天皇杯も勝ち上がるチームは平日に天皇杯、週末にリーグ戦と過密日程を戦っており、相澤にもチャンスが与えられることになった。

 しかし与えられたポジションはやはり「トップ下」。ただ今回は「もちろん出たいです。どこでもいいから使ってください」と即答。中野監督が開幕前から描いた、相澤をトップ下で起用するシステムは、今季チーム最多の4得点という結果を出した。

「ほとんど試合に出てる選手は本当にきついと思う。今日の俺みたいな感じで出る選手がちょっとでも助けられるようにしないといけない。とりあえず勝たないといけなかったので、勝てたことが一番良かったっす。マジで」

 相澤には忘れられない人生最良の日がある。2016年3月22日。場所は埼玉スタジアム。当日は2日後にW杯アジア2次予選のアフガニスタン戦を控えた日本代表が調整を行っていた。

 ただ海外組の合流が遅れ、FW本田圭佑(当時ミラン)やMF香川真司(ドルトムント)らがその日から合流。複数の選手が別メニュー調整を強いられたため、人手が足りなかった。

 そこで霜田正浩技術委員長(当時)が流通経済大関係者に連絡を入れ、「ボランチやトップ下でプレーできることや、何より物怖じしない選手を」と選手の貸し出しをリクエスト。白羽の矢が立てられたのが、当時大学1年生の相澤だった。

 夢のような知らせを受けた相澤は埼玉スタジアムに急行。そして日本代表選手と同じメニューの練習を消化した。ボール回しの鬼を決める際にMF長谷部誠から「一番年下じゃね?」とイジってもらったことは今でも忘れられない思い出。「人生で一番楽しい時間でした」。

 高校時代から1学年上の先輩MF小泉慶(柏)と比較されることが多かった。「出身は一緒で東京都足立区。(小泉の実家の)銭湯にも行ったことがある。誕生日も4月19日で一緒。中学までは別のチームでしたが、知っててくれてて、本当に仲良くしてもらいました」。

 メディアを通して「オレを超えている」という小泉の言葉を聞いても、「それはない。慶さんはマジで凄い」と今でも尊敬してやまない存在だ。

 ハイレベルな環境。大学では1学年上に、今年川崎フロンターレに入団したMF守田英正がいた。ルーキーイヤーからダブルボランチを組んで、身近な存在として感じてきた。

 そんな存在だったからこそ、ガラリと変わる瞬間も見ることができた。昨年2月に愛知県刈谷市で行われたデンソーカップチャレンジサッカー(デンチャレ)。関東選抜Aを優勝に導いた守田は、同大会でMVPを獲得。そこで評価を高めると、全日本大学選抜にも選ばれ、ユニバーシアード大会で金メダルを獲得。J1川崎Fへの入団内定を勝ち取るというシンデレラストーリーを描いた。

「ヒデさんが変わったのはデンソーですね。あそこからですよ、すごくなったのは。そんなキャラでした?みたいな。そこからまじで絶対的になりましたから。去年、デンソーはマジで大事やでと、人生変わるでと言われていたんです」

 意識していたデンチャレの出場は昨年末の大学選手権(インカレ)直前に怪我をしてしまったこともあり叶わなかった。勝負の年と位置付ける今年だが、チームでの開幕から出番を失っていたことも重なり、「4年目が間違いなく一番悪い」という最悪のスタートになってしまった。

 ただ、かけられた期待にしっかりと応え、勝負所で結果を残すあたりは、相澤が非凡な才能を持っていることを示している。「何か持ってますよ、俺。ここからやるしかないですね」。日本代表でも評価された物怖じしない堂々とした性格。先輩同様、ひとつのきかっけで飛躍する可能性は十分に秘めている。

(取材・文 児玉幸洋)
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