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[J内定者の声]FC東京“帰還”、明治大DF蓮川壮大「一人だけのサッカー人生じゃない」

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来季よりFC東京入りが内定しているDF蓮川壮大

 昨年のMF安部柊斗に続き、今年も明治大からFC東京へ下部組織出身者の帰還が決まった。「特に先輩がどうこうというのはなかったけど、お帰りという声が多かった。お帰りと言われるとやっぱり嬉しい」。DF蓮川壮大が青赤のユニフォームに再び袖を通す。

 蓮川家の弟。サッカーを始めた時から壮大はそう呼ばれてきた。2つ年上の兄・蓮川雄大は世代屈指の選手として注目される存在で、雄大の影響でサッカーを始めた壮大も、尊敬の気持ちを持って接していた。

 ただ少なからずプレッシャーも感じていたという。「(FC東京U-15)深川に入る時もユース(FC東京U-18)に入る時も、周りには兄がいるからという認識があったと思う」。そのことが直接的な影響ではないというが、小学校までは兄と同じFWとしてプレーしていた壮大だったが、サイドハーフ、そしてバックラインと徐々にポジションを後ろに変えていった。

 しかしそのことが壮大の素質を開花させていく。最初は守備に戸惑いも多かったというが、割り切ってポジティブにプレーすることで気持ちを入れ替えた。すると高校3年生になると、同年よりFC東京U-23がJ3に参入したことで、リーグ戦5試合に出場。一足早くプロの舞台も経験することができた。

 また壮大はFC東京U-18の主将も務めた。当時のFC東京U-18はクラブユースとJユース杯の2冠を達成。重ねて当時中学3年生のFW久保建英の飛び級でユースに昇格していたことで、異常なほど注目を浴びていた。試合になると多くの報道陣が詰めかけ、蓮川主将には“久保くん”についての質問が多くされた。

「最初は僕たちの中でも中3では早いんじゃないかと思っていたけど、すでに貪欲さとか、体つきが中3じゃなかった。確かにタケがフォーカスされていたけど、それくらいのプレーをしていた。質も高かったので、当然という感じ。だから僕も特に気を遣うことなく答えていたし、チームに影響することもなくできていたと思います」


 高校を卒業する段階でプロ入りを意識することはなかった。同期に同じポジションのDF岡崎慎がいたことも、自身を納得させていたという。大学進学を模索する中で、FC東京U-18の監督だった佐藤一樹氏(現京都コーチ)の推薦で明治大の練習に参加。雄大が在学した早大の練習にも参加していたが、練習から感じた強度の高さ、個の意識の高さに感銘を受け、明治大への進学を決めた。

 しかし初めての“部活サッカー”に大学入学後は、「サッカー以前に頭を持っていかれたこともあった」と悩むことも多かったという。ユースの同期で慶應義塾大に進学したFW松岡瑠夢や、筑波大に進学したMF生地慶充がルーキーイヤーからリーグ戦デビューを飾る中で、蓮川はAチームに昇格することなく1年目を終えていたからだ。

「今振り返ると、最初はプライドがありました。自分はこんなもんじゃないというマインドでやっていた。レベルを落として試合に出れる大学に行けばよかったかなと思ったけど、そのマインドがダメなんだと思った。だけど自分が試合に出られなかったので、その時の行動が最後にプロになれるかなれないかの差になると分かっている。後輩たちにはそれを伝えていきたい」

「栗田さんは厳しい監督。でも栗田さんに会えていなかったら今の成長はなかった。明治に入って一番良かったのは栗田さんに会えたことだと思っています」

 昨年度の大学タイトルを総なめにしたチームで、蓮川は3バックの一角を担うレギュラーとして活躍。シーズン終盤には怪我で離脱することもあったが、復帰したインカレでは決勝で決勝点を記録。見事、大会MVPに輝いた。

「高校の時も去年の明治もそうですけど、勝ち続けるチームにいることが自分の成長に繋がると感じています。いい意味で自信を持ってプレー出来るようになる。自信を持ってプレーすることはとても大事なことなのかなと思っています」


 “最強明治”の主力たちの評価は高く、蓮川にもベガルタ仙台など複数クラブが注目した。しかしFC東京が相手が獲得に乗り出したとあれば、他クラブに対抗できる術はなかった。今年1月にキャンプに参加。3月に正式なオファーが届き、進路が決まった。

「深川の時の監督がお世話になった奥原(崇=現育成部長)さんにはこまめに連絡をもらっていました。あと小学校のスクールからずっと教えてもらっていた小池(知己)さんが今年からスカウトになった。それもプラスになったと思います」

「まずは東京で試合に出ることが目標。森重さんとか渡辺さんとかいい選手はたくさんいるけど、臆することなくプレーしたい。大卒1年目から主力で出られるくらいの力を付けたいと思っています。サイドバックでもと言われているので、最近は明治でもSBをやっている。利き足は右ですが、(DFの左右)4つ出来るようになりたいと思っています」


 背中を追いかけ続けた雄大は、早稲田大に進学後、度重なる怪我に苦しみ、プロ入りを断念せざるを得なくなった。 普段から友達のように仲がいい2人。何でも話し合える仲だからこそ、兄の本心は誰よりも分かっている。「兄の分までプロになって活躍したい」。昨年、MVPを獲得したインカレ後に決意を新たにしていたように、宣言通りのプロ入りを勝ち取ってみせた。

「周りからは“お兄ちゃんのためにも頑張れ”と言われるけど、兄からは『自分のためにやれ、そこまで背負う必要はないよ』と言われていた。でも早くプロで試合に出て、支えてくれた人たちに恩返しがしたいし、責任もあると思っています。そういう意味では一人だけのサッカー人生じゃない。応援してくれている人たちに勇気を与える選手になりたいです」

「ベタですけど、家族に感謝しないといけないなと思っています。特にお父さん。全くの初心者だったのですが、小学生の時から毎日一緒に練習してくれていた。尊敬できる男。何でも言うことは納得できる。一人の大人としてすごくしっかりしているので、将来そういう男になりたいなと思っています」


 札幌内定のFW小柏剛(4年=大宮ユース)がすでに特別指定選手としてJリーグデビューを飾るなど、明大からは現在、同期8人のJリーグ入りが内定。また昨季を一緒に戦った先輩たちが各所でルーキーイヤーから結果を残す中で、続きたい思いも強く持っている。「期待されていると思うし、応援も感じる。期待を上回るプレーがしたい」。ハイレベルな切磋琢磨は、プロ入り後も続けていけそうだ。

※学校の協力により、電話で取材をさせて頂きました
(取材・文 児玉幸洋)

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